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最初は出版したくなかった?『ジェネリック医薬品の不都合な真実』の翻訳を決断した理由

出版企画を見て「面白そうだ!」と感じても、実際には本にならないものはたくさんあります。

すでに同じテーマの本がたくさんある、テーマが時代を先取りしすぎていてまだ十分な読者が見込めないなど、理由はさまざまです。中には「社会的に負のインパクトを与える可能性がある」、という理由で書籍化を諦めることもあります。

8月26日(木)に刊行となった『ジェネリック医薬品の不都合な真実 世界的ムーブメントが引き起こした功罪』は、まさに社会的な影響を考えて出版を断念しかけた本でした。

それでも出版したのは2つの理由があったからです。

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原書は受賞多数の話題書。でも、社会不安を煽りたくはない…

この本は翻訳書であり、原書は2019年にアメリカで出版された『Bottle of Lies: The Inside Story of the Generic Drug Boom』です。

ジェネリック医薬品業界の「闇」を告発した内容が反響を呼んでおり、私がとある方から原書の翻訳を勧められたときには、すでに「NYタイムズベストセラー」や「ニューヨーク公立図書館 2019年ベストブック」に選ばれるなど大きな実績を残していました。

実際に起きた製薬会社の不正とその不正を追及する査察官とのやり取りを、著者の綿密な取材により、まるでミステリー小説を読んでいるような臨場感たっぷりの文体で再現した、読み応えのあるノンフィクション作品です。

薬の安全性という社会的に関心が高いテーマを扱っていることもあり、これらの実績をPRできれば、日本でも多くの人に読んでもらえる翻訳書になるはずです。

ただ、その一方で、このようなテーマの本を世の中に出すことに対して大きな不安がありました。「ようやくシェアが高まってきたジェネリック医薬品に対して、冷や水を浴びせることになるのではないか」と感じたのです。

私が前職で先発医薬品を扱う広告代理店に勤務していたということも影響していますが、少子高齢化を背景に日本の医療費が拡大を続けており、ジェネリック医薬品が医療財政に大きな貢献をしていることを認識していました。

ジェネリック医薬品の普及は、福祉や教育などの医療以外の大切な財源を確保するためにも重要なことだと考えていたのです(今もその考えは変わっていません)。

そのような背景もあり、「面白そうだけど、この本の翻訳はお断りしよう」と決めたうえで、お断りする口実を探すために本を読み始めることにしました。

意外と忘れがちだけど、「安全・安心」には大きなコストがかかる

しかし、この本を読み進めるにつれ、私の考えが徐々に変わっていきました。

考えが変わった一つの理由は、「医薬品の品質を担保する」ことにかかる人的・金銭的コストや大変さを、きちんと理解していなかったことに気づかされたからです。

今までは漠然と「医薬品は人の命に直結するものだから、国の厳しい基準を満たしたものだけが世の中に流通しているはず」と考えていました。ですが、恥ずかしながら、その品質を「誰がどのようにして」担保しているのかについてはきちんと知りませんでした。

この本の主要な登場人物として、FDA(アメリカ食品医薬品局)の審査官が何名もでてきます。

企業が提出する品質データを性善説にもとづいて鵜呑みにしていては、安全性が不確かな薬から国民を守ることは不可能です。ですから彼らは、医薬品製造の現場に赴き、衛生環境が確保されているか、承認された手順で製造が行われているのか、厳しく調査を行うのです。

この本の中では著者の綿密な取材のもと、不正を行っている企業と査察官との間で実際に行われたやり取りが臨場感いっぱいに再現されています。

企業側は査察官の目を欺くために、査察用に特別に環境が整えられた偽の工場を新設するなど、あの手この手で隠蔽工作を行います。それに対して査察官は、さならがらドラマに登場する刑事のように、わずかな証拠も見逃さず不正を行う企業を追いつめていくのです。

医薬品製造現場をくまなく調査するのには当然人手が必要です。また、巧妙な隠蔽工作を見抜けるようになるには、相当の育成コストがかかるはずです。

「ここまでしないと医薬品の品質を担保することは難しい」、そのことを理解できただけでも、私にはこの本を読んだ価値がありました。

海外企業なしでは、日本の医薬品産業も成り立たないという事実

私に翻訳を決断させたもう一つの理由は、この本に書かれていることが医薬品業界の普遍的な課題であるように感じられ、日本においても対岸の火事では済まされないと思ったからです。

今や医薬品産業は高度にグローバル化しています。医薬品、あるいは、薬の有効成分である原薬は、いわゆる先進諸国だけではなくさまざまな国々で製造されています。

特許によって競争からある程度保護されている先発医薬品とは異なり、ジェネリック医薬品は複数の企業が競合しています。製造コストの点から、比較的人件費などが安い国の企業が優位性を持つことは想像に難くありません。

この医薬品業界のグローバル化が、品質の担保をさらに困難にしているのです。

実際に、この本の中ではアメリカのジェネリック医薬品の40%がインド製であることが述べられています。そして、遠い異国で製造された薬の品質を調べることの困難さが、以下のような事実とともに詳細に描き出されています。

●FDA(アメリカ食品医薬品局)では、すべての医薬品製造施設について2年に一度査察を行うこととされているが、遠く離れたインドの工場では10年に一度ほどしか現地査察が行われていなかったこと
●ビザの取得や移動手段の確保などの理由で、企業には査察日を事前に通知せざるを得ず、アメリカ国内で行っているような抜き打ちでの調査ができないこと
●査察日までに巧妙に不正を隠蔽されてしまうと、限られた日数の中で不正を発見することが非常に困難なこと
●「医薬品は品質が最優先である」という考え方は必ずしも世界共通ではなく、当局の規制が緩い国では、そこに拠点を持つ企業の品質に対する意識も低くなりやすいこと

そこで気になるのは、「日本のジェネリック医薬品にはどのくらい海外メーカーが関与しているのか?」ということかと思います。

実際に、公表されているデータ(※)を調べてみると、ジェネリック医薬品の原薬(薬の有効成分)のうち、60%以上は何らかの形で海外企業が関わっていました。

※出典:三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社「厚生労働省医政局経済課 委託事業 後発医薬品使用促進ロードマップに関する調査 報告書(令和3年3月)」20ページ
より興味がある方は、同報告書の21ページに記載されている「輸入国別の割合」なども参照してください

日本のジェネリック医薬品産業においても、海外の製薬・原薬メーカーが非常に重要な存在であることがわかります。

この本に書かれている事実は我々の身にも起こる可能性のあることであり、他人事とは言い切れないのです。

不都合な事実を知ることが、将来の危機管理につながる

危機管理で大切なことは、どのような課題があるのかを把握し、それらに対して合理的な対策を立てることだと思います。

そうした観点から、この本で書かれている不都合な真実は、日本のこれからの医療安全を考えるうえで役に立つものであると確信し、最終的には翻訳を決断することができました。

最近では、残念なことに、日本のジェネリック医薬品メーカーの不正が複数発覚しました。が、それを受けて政府では、ジェネリック医薬品の信頼の回復のため、品質確保・安全対策の強化の予算を計上するようです。

私個人としても、品質や安全性を担保するための体制が強化され、この本で書かれているような懸念が払拭されることを願っています。

(熊谷)

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