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認知症の本の編集者が推す、2022年の個人的ベスト小説『ミシンと金魚』

今年もあともう3か月ですね。

社会人になってから毎年同じことを言っているような気がしますが、1年はどうしてこんなに短いのでしょうか ……。そして、私がコラムを担当するのも、どうやら今年最後のようです。

そこで今回は、少し早いのですが、今年読んだ本の中で最も印象に残った1冊を紹介したいと思います。

その1冊は、『ミシンと金魚』という小説です。

この本は2021年のすばる文学賞受賞作で、著者は訪問ヘルパーの経験があり現役ケアマネジャーでもある永井みみさんです。

物語の主人公は認知症を患っている「カケイさん」というおばあちゃんで、基本的に彼女の一人語りによって話が展開していきます。

前半は、少し認識の齟齬がありながらも、独特なユーモアセンスで物事を捉えるカケイさんの軽妙な語りに引き込まれます。

後半は、彼女の壮絶な過去が明らかになり、幸せとは何か、自分の力ではどうしようもないほどの苦難に出会ったときにどう向き合ったらよいかについて考えさせられます。心から出会ってよかったと思える作品でした。

また、認知症診療、介護施設についての問題提起とも受けとれる記述があり、介護の現場経験がある永井さんだからこそ描くことができる内容についても心に刺さりました。

このように、読み応えたっぷりな一冊なのですが、最も衝撃だったのはカケイさんのリアルな描写でした。

「これまでお会いした方のご発言みたいなものを集約したような形になっていると思います。」(永井さん談)というカケイさんの発言や行動の一つひとつに、まるで認知症の人の頭を覗いているかのような気持ちになりました。

あるとき、カケイさんが唐突にデイサービスの職員に向かって「あんた……あんたね、まだ間に合うから、お姑さんにたのんで新聞とってもらいなよ。」と言う場面が出てきます。

それは、カケイさんからみると、嫌な顔一つせず排泄介助をしてくれる職員が、苦労をしながら仕事をしても貧乏なまま一生を送った祖母の記憶に重なったからです。よくしてくれる職員に、勉強をして今よりもいい生活をしてほしいというカケイさんの願いがこもった言葉でした。

また、認知症の人の中には、薬を飲みたくないと訴える方がいます(いわゆる服薬拒否)。その状況を描いた場面では、カケイさんが「だって、まだほら、ね。」「薬が。ね。生きてんでしょ。」と介助をしにきた義理の娘に言います。

それは、自身の手の震えが原因で、あたかも薬が生きているかのように見えたからでした。

脈絡がない行動や発言に見えても、本人にはきちんとした理由がある。

これは、私が担当した書籍『「認知症の人」への接し方のきほん』の著者である矢吹知之先生(認知症介護研究・研修仙台センター/東北福祉大学)に教えてもらった言葉です。知識としてだけでなく、この本を通して強くイメージできるようになりました。

行動の裏に隠されている理由や本人の想いを知ろうとせずに、「認知症だからどうせ何もわからないんでしょ」と適当にあしらうのは、一見楽なようにみえても認知症の人の信頼を失って、結果的には本人との関係やその後の介護を難しくする。

矢吹先生のこの言葉も、カケイさんを通じて以前よりも深く理解ができた気がします。

もし自分が認知症で、何をしても誰も気持ちを理解してくれないと感じながら毎日を過ごすことになったら…… そう考えると、悲しいし、悔しい。次第に、周囲に対して負の感情を抱くようになってしまうかもしれません。

『ミシンと金魚』と出合い、また、『「認知症の人」への接し方へのきほん』の書籍制作を通じて矢吹先生のお話を聞くことで、認知症の人について誤解していることや、知らないことがまだたくさんあるんだと認識することができました。

2025年には「65歳以上の人の5人に1人は認知症」という時代がやってくるとされており、その後も、少なくとも2060年までは認知症の方の数は増え続けると予想されています。

周りに認知症の人がいることは珍しいことではなく、ごく当たり前になっていくはずです。

住み慣れた地域の中で認知症の人がよりよく過ごせるように、そして、自分が認知症になったとしても安心して過ごせるように、もっと認知症のこと、そして、認知症の人のことを知りたいと思いました。

(編集部:熊谷)

◆編集担当書籍の紹介

「認知症の人」への接し方のきほん あなたの家族に最適な方法が見つかる!「場面別」かかわり方のポイント(はじめての在宅介護シリーズ)


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