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逃げ遅れた

ツイッターを、まったく開かなくなってしまった。

すでに多くの人が同じようなことを言っているので詳しくは語らないけれども、タイムラインを見るのが、しんどい。

ツイッター上では毎日、企業や個人を問わず、誰かしらが差別的言動等を理由に批判を集めていたり、(この表現は好きではないのだけれども)「炎上」していたりする。

でもまぁ、批判や「炎上」が生じやすい社会になったこと自体は、どちらかといえば良いことだと思っている。

それはこれまで気づかれることのなかった、もしくは「ないこと」にされてきた被害や困難の存在が可視化されるようになったことを意味するからだ(芸能ゴシップなどは例外だけれども)。

とはいえ、最近はその量があまりにも多い。これは個人の問題だけれど、僕が受け止めて咀嚼できるキャパシティーを、完全に超えている。

世の中には本当にさまざまな困難に置かれた人たちがたくさんいて、可能な限り、そういった理不尽や不公正をなくしていけたらよいなと思っている。

でも、僕個人が関われる範囲はそのうちの、ほんの一握りだけだ。いまの僕のキャパのままでは、(情けないけれども)頭がパンクしてしまう予感がしている。だから、積極的にツイッターを見ようと思えなくなってしまった。

「抱朴」というNPO法人がある。北九州を拠点に30年以上、生活困窮者や社会からの孤立状態にある人々の生活再建を支援している、超有名なNPOだ。

そんな抱朴の代表をつとめる奥田知志さんは、著書『「逃げおくれた」伴走者』(本の種出版)のなかで、メディアから頻繁に受ける「なぜ、30年以上もこのような活動を続けられるのか」という問いを挙げ、その理由を「逃げる勇気がなかっただけ」だと述べている。

正直「逃げ出したい」「もうやめたい」そんな思いに何度もなった。(中略)一方、「出会った責任」ということが常に問われた。人は出会ってしまうと「なかったこと」にはできない。だから、「出会った責任がある」と自分たちに言い聞かせた。だが、「責任」って何だ。そもそも、人が人に対して「責任を取る」ことなどできるのか。(中略)だから「出会った責任がある」と、ただただ言い続けたのだ。責任を取れないまま三十年の月日が流れた。

『「逃げおくれた」伴走者』P1

困難に置かれた人々に、出会った責任がある。しかし責任を取る、責任を受け入れる勇気はないうえに、逃げる勇気もない。そういった意味を込めて、奥田さんは自分たちのことを「逃げ遅れた」と表現している。

活動がこれまで続いてきたのは、メディアが期待するような「揺るがない信念」や「消えない情熱」などがあったからではなく、ただただ弱かったからだ、と。

もちろん、謙遜している部分もあるのだとは思う。ただ、これを読んでから、(並べて語るのはおこがましいと自覚しつつ)僕も「出会った責任」について考えるようになった。

ツイッターで積極的に情報を収集するのは疲れてしまうけれども、せめて出会いの中で生じた責任には向き合い続けられるようありたい。

12月12日に、編集を担当した書籍が発売されます。

タイトルは『隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』。「APD/LiD」をテーマとした、ルポルタージュです。

この「APD/LiD」とは、「音は聞こえるのに、特定の状況になると言葉として聞き取れなくなる困難」のことです(「聴覚情報処理障害」「聞き取り困難(症)」などと訳されることがあります)。

聴力に異常はないのに、特定の状況だと言葉が聞き取れなくなる。

たとえば、人通りの多い街中を歩いているときや、雨が降っているとき。周囲のガヤガヤした雑音や雨音が邪魔をして、話し相手の言葉が聞き取れなくなってしまう。

複数人で雑談しているときに、みんなの声が混じり合って聞き取れなくなったり、いま誰が喋っているのかわからなくなったりして、会話から置いてきぼりになってしまう。

授業中、先生の言葉が聞き取れずノートが取れないことを「不真面目」だからだと叱られる。仕事中、先輩の指示が聞き取れずミスをして、「使えないヤツ」という烙印を押される。本人の努力だけでは、どうしようもない問題なのに。

本書は、そんな困難と生きる当事者や支援者などに著者が丁寧な聴き取りを行い、まだまだ知られていない困難について社会に伝えるとともに、「誰一人取り残さない社会」の実現に向けて、社会に求められる変化を問うルポルタージュです。

本書はある日、著者である五十嵐大さんのもとに、とある耳鼻科医の方から「APDについてのルポルタージュを書いてくれませんか?」と連絡が入る場面から始まります。

本書の企画が立ち上がったのは、そこでAPDを知った五十嵐さんが、僕に書籍化の可能性があるかどうかを相談してくださったことがキッカケでした。

正直、「ルポルタージュ」は儲かるジャンルではありません。必要となる取材工数や執筆時間と、見込まれる印税を見比べてみれば、著者からしても「コスパ」のよい企画ではないはずです。

それでも、こうして刊行まで至ることができたのは、奥田さんの表現を借りれば、著者が「出会った責任」と向き合い続けてくださったからでしょう。

取材を続けるなかで、著者は「書かないわけにはいかない」「しかし、自分に一体なにができるのか」という自問自答を、反省や後悔を伴いながら何度も繰り返します。

一体、自分にはなにができるのだろうか。「同じ社会に生きている」という意味で捉えるならば、APD当事者も非当事者であるぼくも、同じ「当事者」と言える。しかしそれでも、やはり「聞き取りにくさを感じているかどうか」でいうと、ぼくは非当事者だ。どう頑張っても、APD当事者が感じてきた苦痛や困難、悲しみを「わかる」と言えない。
当事者による積極的な発信が行われはじめたなかで、あえて非当事者であるぼくが書く意義は、どこにあるのか。こうして取材を重ね、彼らのことを綴ろうとするのは、傲慢で出しゃばった行為なのではないか――。

『隣の聞き取れないひと』P151

いままで知らなかった困難、そして、その困難のさなかにある当事者たちと出会った責任がある一方で、その責任を果たすことができるのかという葛藤。

そうした著者の葛藤がどう決着したのか、詳しくはぜひ書籍を読んでいただければと思います。

冒頭でも述べた通り、現代はかつてなかったほどに様々な困難や被害、マイノリティ性が可視化されている時代です。人によっては、常に誰かから糾弾されているような、居心地の悪さを覚えることがあるかもしれません。

しかしそうした中でも、「やっかいごとには関わらないでおこう」と、すべてを見なかったことにして逃げ出す勇気を持たない人たち。

そんな人たちと一緒に、本書を通じて「誰一人取り残さない社会」実現に向けてすべきことを考えることができれば、担当編集として、それ以上嬉しいことはありません。

先に紹介した『「逃げおくれた」伴走者』のなかで、逃げる勇気のない自分たちを、奥田さんは「すばらしく弱かった」と表現しています。

なぜ「すばらしく」と表現するのかというと、そうして逃げ遅れたおかげで、数多くの思いがけない出会いを経験できたからであるといいます。

『隣の聞き取れないひと』の制作を進める過程で、書籍の中では紹介しきれなかった方々も含め、あまりに多くの方が取材協力や情報提供などを通じて力を貸してくださいました。本当にありがとうございました。この場を借りて御礼申し上げます。

どうか本書を通じて、より多くの人が、これらの方々と出会ってくださいますように。


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