認知症と診断されたあとも仕事を続けるには?
認知症と診断されると、仕事にも大きな変化が訪れます。
特に会社勤めであれば、同じ部署で同じ仕事を続けられるとは限らず、働きたいという意思があってもどうしたらいいのか途方に暮れたり、転職や退職など難しい判断に迫られたりしてしまいます。
できるだけ以前と同じように働き続けるには、いったいどうしたらいいのでしょうか。
今回は、そのためにできること、しておくべきことをまとめた『本人と支援者が教える!認知症になったあとも「ひとり暮らし・仕事」を続ける方法』(翔泳社)を紹介します。
本書は認知症当事者のかもしたまことさんの実体験にもとづく工夫と、東京都多摩若年性認知症総合支援センターのセンター長である来島みのりさんが当事者の相談を受ける中でしているアドバイスを紹介した本です。
当事者と支援者、両者の視点から解説されるので、「こうしたい」「こんなときは?」という細かな問題や状況にも対応しています。
もし「認知症と診断されたがどうしたらいいか分からない」とお悩みの方がいれば、ぜひ本書を参考にしていただければと思います。
今回は本書の「第4章:「仕事」をできるだけ続けるためには?」から、かもしたさんが仕事を続けられるようになった経緯と、来島さんのもとに相談に来られたAさんの事例を紹介します。
2人の経験を通して、仕事を続ける選択肢もあることを知っていただければ幸いです。
事例1 部署を異動して仕事を続けた
徐々に仕事のミスが増えて気づいた
私(著者・かもした)は、認知症と診断される前は、事務の仕事をしていました。
ある日を境に、いままではミスなくできていた仕事で、少しずつミスが増えるようになったのです。
仕事の重要な伝達を忘れたり、提出した資料にミスが多かったり……。
自分はきちんと仕事をこなしているつもりなのに、ミスのせいで、周りからは「手を抜いているんじゃないか」と思われるようになりました。
同僚などの態度も変わり、精神的にも不安定になっていき、職場を休みがちになりました。
このときが1番辛かったです。
部署異動、そして病院に行く
ミスが増え始めてきた当時は「少し疲れているのかな?」と思っていました。認知症だと思わなかったので、こういった状態が、約2年続きました。
ただ、ミスが増えてきたことを理由に、部署異動をさせられてしまいました。
このことをきっかけに、上司に悩んでいることを話したところ「病院に行ったほうがいいかもしれない」と言われました。
病院では、最初精神疾患と診断されましたが、脳血流検査をおこない、認知症と診断されたのです。
診断後も仕事を続けるには
認知症と診断されましたが、上司などに相談し、現在も同じ職場で働き続けています。
ただし、診断前と同じ業務というのは難しく、認知症の症状に合わせて、業務内容は調整してもらっています。
「いま自分ができていることと、できていないことを明確にしたうえで、上司と話し合う」ことで、いまも仕事を続けることができています。
事例2 人事や主治医と話し合って「働けるかたち」を模索した
ここでは、ある企業で、18歳から定年まで働き続けた女性Aさんを紹介します。
若いころは接客業をされていたこともあり、いつもハキハキと受け答えをされる方です。
定年前は昇級試験を受け、管理職として活躍されていました。
しかし、50代後半から通常の業務でミスが増えました。
その様子を見て心配した会社から、病院に行くことを勧められて、受診したところ「認知症疑い」と診断されました。
Aさんは会社にそれを伝え、仕事を続ける方法を模索しました。
周囲の風当たりが強くなったことも
「認知症疑い」と診断されたあと、同じ系列の規模の小さい会社に出向するよう言われました。
出向先ではなかなか思うような仕事ができず、雑用ばかりを担っていたようです。
努力家のAさんは「私にできる仕事があれば言ってほしい」と上司にお願いをしていました。
そして言われたことは忘れないように、一生懸命ノートにメモをしていたのですが、症状が進行するなかで、メモの整理が難しくなってきたそうです。
次第にAさんへの周囲の風当たりは強くなりました。
本人・家族・会社・主治医・支援者で話し合った
診断から2年が経過したころ、会社からAさんのご主人に「Aさんのこれからの仕事の方向性を決めるために、話し合いたい」と連絡がありました。
ちょうどこのころに、ご主人から私に、この件について相談がありました。私はすぐに主治医と、この情報を共有しました。
主治医からは「Aさんが定年まで働き続けられるよう協力したい」という話がありました。
そのため、本人夫妻・会社の人事担当者・直属の上司・主治医・私(支援者)で話し合うことになりました。
会社の直属の上司によると「本人が繰り返し同じことを聞いてくるため、周りが疲れている」とのことでした。
また、主治医からは「言語機能は保たれているため接客業などに向いていると思われる」と医学的な視点からの説明がありました。
このころには、Aさんも疲れてきたのか「仕事を辞めたい」と口にするようになっていましたが、話し合いを繰り返した結果、彼女は本社に異動することになりました。
働く場所を変えたことで働き続けられた
本社は社員の数が多く、以前から彼女が親しくしている同僚も複数いました。
また、合理的配慮を受けられる環境が整っていました。
ところが、勤務先が本社に変わったことで、降りる駅や駅から会社までの道順が変わってしまい、今度は会社への行き方がわからなくなってしまいました。
せっかく、合理的配慮を受けられる環境が整っていても、通勤できなければ働き続けることはできません。
Aさんがこのようなことに困っていたところ、たまたまAさんと同じ路線に住んでいる本社勤務の同僚が「一緒に会社に行こう」と言ってくれたのです。
そのあとは、途中から合流して一緒に出勤できるようになり、通勤の問題もクリアできました。
そして、ついに60歳の定年を迎えることができたのです。
定年後、Aさんに「これまでの人生で最も楽しかったことは何か」と伺ったとき「定年まで勤めあげたこと」とお答えになったことは、いまでも忘れられません。
定年退職後もボランティア活動に励む
定年退職のあと、Aさんは人の役に立つ活動をしたいと考え、自宅の近くにある福祉施設にボランティアとして通うようになりました。
活動内容は利用者の話し相手や、簡単なお世話などです。ここでもAさん持ち前の接客の力が発揮され、利用者に明るく、優しく接する姿から、利用者にとても喜ばれています。
認知症と診断されてからも、定年まで勤めあげ、定年後も活躍する彼女の笑顔に私も勇気をもらっています。
▶橋本さんコラム
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