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ユージーン・スタジオにイラつく私

ユージーン・スタジオの展覧会カタログ『新しい海』を読みました。その感想文です。

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東京都現代美術館で初の平成生まれのアーティストによる個展という箔を引っ提げて開催された企画展を私は見に行けなかったんですけど、私の観測範囲では同世代とそれより年下のトーキョーファッションピープル風の友人はほとんど行っており、かつ普段は美術館には行かない層も足を運んでいたのが印象的だった。それを見て、ふーんなるほど、作品は綺麗でダイナミックでインスタ映えして実際に人気があって、実際はどうなんだろう?と関心を持ちました。その後、最近はなかなか見ないツイッターでふと、昔からフォローしている美術館フリークの人による酷評というか皮肉というか混乱に近い関心を見て、これはどういうこと?と思って少し調べてみたらあまりに浅いコンセプト文に爆笑してしまったのであります。

コンセプト文は美大1年生どころか、中2のツイッターかよというレベルで、もはや「それっぽい」体すら取れておらず「何言ってんだよ」「何も言ってないよね」という真顔の反応が反射で出て、その後わらけてきてしまう。目玉的作品の「海庭」やインスタで何回も見た多面体サイコロの「この世界のすべて」とか本当に文章が凄過ぎるんだよな。

ツイッターのオジサンオバサンは「3分で会場を出たかった」だとか「本当に何も感じなかった」だとか、それを超えて「不快」みたいなリアクションが多かったが、これに現象に関してはもっと考えないとですよね。まあ、アーティストそのものには関心はなく、この「オシャレでしゃらくさいインスタ映えアート」をなんで都現美がフックアップすんねん?その意義説明してみろや!的な関心の人もいて、それもおっしゃる通りだと思います。

でも個人的には、そこも気になるけれど、それよりもこの賛否の分かれ方そのものに着目したいんですよね。ひとつは言語プラットフォームのツイッターではアンチコメントが集まり、そんなことが起こっていることすら知らない若いファッションピープルがビジュアルプラットフォームのインスタに写真をアップしイメージが伝播するという構造。

私はインスタで長文ポストをする(言語を届けるためにインスタを使う)というマイノリティですが、じゃあインスタとツイッターのどっち側に付くねん?と聞かれたら当然Instagramなわけであります笑。それは何故か?ツイッターの嫌なところは今更説明するまでもないんですけど、アートってまず「現象」から始まって欲しくて、「言語」は先じゃないって思いはあるかもです。Instagramの問題は五感における視覚偏重であるところなんですけど、ビジュアル・イメージの伝播によって、今までにない芸術的・文化的ムーブメント、トレンドって確実に起こってますよね。まずはそれに期待している点。

例えばユージーン・スタジオの作品の一部は要はダニエル・アーシャムなわけですけど、アーシャムにだって大したコンセプトステートメントなんて無く、それていてビジュアルは冴え渡っており、ラグジュアリー・ブランドやポケモンとコラボして、今までのアートワールドを無視してリアルワールドに確かな足跡を残しているわけです。こういう現代的な動きは日本からも生まれて欲しいという思い。

確かに僕だって彼のアートを見たら「現代アートのまがいもん」「見栄えだけ」「浅いコンセプト」って思いましたよ(酷い言い様)。だけど現代アートってなんやねん?って考えたらこれだって西側諸国の一部の狭い世界で作られたワールドであって、原理原則に立ち返ればそんなもん芸術のすべてではないわけですよ。

そんで更に思ったんですけど、「こんなもん現代アートのまがいもん」的言い掛かりを付けてる人を見たら、これってボザール風絵画が征する世界で印象派の作品を「こんなもん印象で描いただけやんけ」ってクサしたり、デュシャンが便器に落書きして公募展に作品放り込んだことに怒った人と同じ構図やん、、という。現代アートの歴史って「大文字のアートかくあるべし」を脱構築したり自己破壊しながら展開されてきた歴史がある中で、こんなもん現代アートじゃない、、という意見が集まる作品ってすごいですよね。現代アートの歴史を何も知らずハチャメチャやるバカが「現代アートです!」って叫んだとしても(よくある)別に怒らないし静かに無視する人たちが、寒川裕人には拒否反応を示している。これがとても面白い。

西洋発のアートワールドとその構造を無視してビジュアル・イメージが伝播し、リアル・ワールドにアンカーを打つアーティストと言えば今は漫画家とかがそうなわけですが、それとは別の方法でもアーティストはガンガン出てきて欲しいわけですよ。西洋アートワールドはリアルワールドの展開の箔付け程度に使ったらいいんですよ(既にそうやってる)。

というわけで僕は一周して寒川にはもっと活躍して欲しいと願っている、応援側なわけですが、そうは言ってもコンセプトの浅さはホントどうにかした方がいいと思う。喋らん方がいい笑。でもこれ喋ってたからこんなに話題になったんだよなあ。難しい問題です。カタログ内に寒川と福岡伸一先生の対談があったが、対談でも本当に最初から最後まで大したことを言ってなくてものすごい。戦略的にやってねーだろこれ、素だろこれ、と感じてしまう。福岡伸一先生の優しさが身に染みる対談です。

ついでに言うとカタログには3つの文章があって、ひとつは都現美の学芸員による文章、2つめはアメリカのアート批評家による文章、3つめは寒川と福岡伸一先生の対談です。1つめは半分が作品の説明で半分がポエムで作られた批評ではない文章。作品に対して説明的ではあり、作品の作られ方や背景には多少学びがあったが彼の作品がアートワールドやリアルワールドにどうプロットさせるのかという点に関して全然ピントが合わない文章。2つめは今回の展示の中のひとつであるホワイトペインティングを抽象表現主義の歴史や変遷の中に位置付けようとする文章。これは1つめの文章と高低差があり過ぎてなんやねんとなる文章。この批評の是非を解くほどのバックボーンは僕に無いので流し読み。東アジアのミニマルとは違う、という話のみ個人的関心と繋がったので興味深かった。まあなんにせよ、ひとつの作品にフォーカスしたものでアーティストである寒川についてはよくわかりません(だからダメな文章というわけではない)。

僕は寒川の作品の前で自撮りをするファッションピープルは支持し、作品を賞賛する文化人には「何が良かったんですか?」って(嫌味じゃなく純粋な興味で)聞きたいし、批判する文化人には「何がダメなんですか?」って(嫌味で)聞きたい。ええやん!アーシャムとオラファーとエルリッヒまとめてやっちゃう若手アーティストがどこまで行くのか見ましょうよ。作品づくりも一応繊細なんでしょう?という思いです。はい、一旦以上です。プール(海庭)は見てみたかったな。他は大丈夫です。

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