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映画「首」感想(2回目鑑賞を終えて)

 北野監督最新作「首」2回目を鑑賞してきました。

 1回目は聞き取れなかったセリフがあったり、よくわからないシーンもあったので、2回目観てよかったです。
 さらに、原作の小説版も履修してからの鑑賞で、小説版との違いも確かめながらの鑑賞でさらに楽しめました。

 ということで、2回目の鑑賞を踏まえて、あらためて感想を記事にしました。

 ネタバレ全開(小説版含む)なので、未視聴の方はお気をつけください。

 鑑賞1回目の感想はこちら↓



秀吉こそ信長の後継者

 今作での信長はイッちゃってましたが、「首」の死生観・世界観を説明するようなパンチラインを生み出しまくっていました。

「人間生まれたときからずっと遊び」

「生きるも死ぬも俺次第」

「自分以外全員血祭りに上げてから(自分の)首を切ったらスッキリするだろう」

 これらの言葉をすべて実践しているのが秀吉だったと思います。

「人間生まれたときからずっと遊び」
 
人の生死がかかった戦争をスポーツ観戦のように楽しみ、配下の武将に突撃して死んでこいとまで言います。完全に遊び感覚です。

「生きるも死ぬも俺次第」
 信長はムカつくから殺す、家康は使えるから生かす、光秀は邪魔だから殺す。忍者たちは使い捨て。曽呂利も茂助も使い捨てでした。

 秀吉は、権謀術数を用いて、今作の登場人物たちのほとんどの生殺与奪権を終始握り続けていました。

「自分以外全員血祭りに上げてから(自分の)首切ったらスッキリするだろう」
 「
俺が天下獲ったら全員死んでもらう」というセリフも冗談めかしていましたが、これもあながち冗談ではなかったかもしれません。
 信長のようなサディズムを持ち合わせていなかっただけで、秀吉は邪魔者を排除することになんの躊躇もありませんでした。
 おなじ北野監督作品の「アウトレイジ 最終章」の西野(花菱会若頭)みたいなキャラクターですね。

 あと、「俺が天下を獲ったらこんなもんじゃないぞ」という秀吉のセリフと「手柄を立てたやつに跡目を譲ってやるから、死ぬ気で働け」という信長のセリフも彼らの同質性を表しているように思います。

 信長の息子への手紙を見て幻滅しちゃったけど、それまでは信長に憧れていたように感じました。

茂助は秀吉のアナザーストーリー

 原作小説版では茂助と秀吉の対比が主題でした。

 「農民から侍になろうとした茂助」と「農民から侍になったけどメンタリティは農民のままだった秀吉」。そこが成功の分かれ目だった、みたいな。

 小説版では秀吉が「乱暴狼藉やりまくれる下っ端時代が一番楽しかった」みたいなことを言っていて、欲望と上昇志向まみれの初期茂助のようなルール無用の雑草魂メンタリティをずっと保ち続けている様子が伺えます。

 実利を取る庶民と様式を重んじる侍。映画と小説では「首」を蹴り飛ばして終わる結末は同じですが、「首」が表す教訓性は小説のほうが強かったです。
 逆に小説版は物語としては面白かったのですが、エンタメとしてはあんまり面白くなかったですね。

とはいえ、侍になりたかった秀吉の悲哀

 農民出身の実利主義者だったからこそ成功できた秀吉ですが、最初から最後まで威厳がありませんでした。威厳ある侍、大名というより、成り上がりの中小企業の創業社長みたいな。

 弟とはいえ、秀長には友達みたいなノリで接されているし、弥助にも「サルが侍の真似をしている」とか馬鹿にされていました。やんごとない行事にも「百姓」だから出してもらえませんでした。

 秀吉は、実は破滅的でやべー奴ら(信長、光秀、村重)に対して理解不能ながら憧れる部分があったのかもしれません。

 信長の手紙を見て激怒したのも、自分が憧れた侍・信長が息子に家督を譲るなどと普通のことを言い出したってのもあると思いました。
 憧れのロックスターにはセックスドラッグロックンロールであってほしいみたいな。

 侍濃度の濃い奴らを全員排除したけど、結局自分は侍にはなれなかった。ラストシーンの首を蹴飛ばすシーンにはそんな秀吉のコンプレックス・フラストレーションの爆発だったのかもしれません。


各陣営で異なる描き方

 前回の感想で、斎藤利三と服部半蔵の空中忍者バトルに違和感と書いたのですが、2回目を観て、もしかして各陣営ごとに様々な表現演出を分けているのかなと推測しました。

信長陣営→狂気と「首」世界の死生観を語る役割。おふざけなし

秀吉陣営→ブラックコメディ、コント仕立て

光秀陣営→昼ドラのような愛憎劇

家康軍→秀吉陣営より強いコメディ

忍者陣営→アニメのようなアクション、非現実

 2回目鑑賞していちばん強く思ったことは、「信長、意外とふざけていない」というところ。
 信長役の加瀬亮さんの演技がすごすぎて1回目は圧倒されるばかりでしたが、信長のシーンはコメディ感あまりないですよね。
 能を鑑賞しながらパンチラインをつぶやくシーンなどは数少ない今作のシリアスシーンなのではないでしょうか?

 各陣営ごとに演出が違うのは、物語に落差を生み出すとか、観客を飽きさせないとか、なにか深い理由があるのかもしれません。
 私はど素人なのでわかりませんが、これだけの大作で素晴らしい役者もスタッフも揃えて、なんとなくでチグハグなことをする意味もないと思いますし。
 私が違和感を感じた空中忍者バトルも何らかの意図があったのかもしれません笑。

おまけ:小説と映画の違い

  • 小説版では曽呂利門左衛門が死なない

  • 小説版では光秀と村重は衆道関係ではない

  • 小説版では秀長が出てこない

  • 小説版では、策略は勘兵衛任せではなく秀吉主導

  • 小説版の秀吉の家康への土下座はガチ土下座

  • 小説版の信長は狂気がぜんぜん足りない笑

 個人的には小説版の、曽呂利門左衛門が秀吉に一席ぶつ形で物語が始まる冒頭部分がすごく良かったので、映画版でもそのシーンあればよかったのにと思いました。

最後に

 ご拝読ありがとうございました!3回目も観たいですね。

 私はあまり同じ映画を何度も繰り返してみることは少ないのですが、「GONIN」という映画と「アウトレイジ」シリーズだけは何度も繰り返し鑑賞しています。
 そして、「首」も間違いなく何度も観たくなる傑作でした。

 今年ももう終わりの12月のタイミングで最高の映画に出会えてよかったです。

 北野監督作品はサブスクにならないので、DVD買うしかないんですけど、これは買いたいなと思いました。


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