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夏の高校野球の是非【小論文の時事】



【1】 近年の夏の暑さ  

 特に2023年7月8月は例年になく真夏日が続き、40℃を簡単に超えることが増えてきました。また私たちももうそのような状況にも慣れてきて、真夏の室内気温対策や日焼け対策、熱中症対策も理解が進んでいます。かつては「昔だって夏は暑かったんだから気合いで乗り切るべきだ。精神面の鍛えが足りない。」というような風潮もありましたが、最近ではそのような意見もまだまだ残ってはいるものの徐々に減っているようです。実際に地球温暖化問題が世の中に浸透し、また特に熱中症に関する夏の気温に関するニュースのみならず、急な豪雨や土砂災害、河川の氾濫などが頻繁に報道されることで、国民の間でも「昔とはまた違う状況なんだな」というリアルな様子が徐々に認識されているようです。

 日本の夏の気温がいかに危険なものかという認識が共通のものとなり、振り込め詐欺に対する注意喚起と同じような頻度で、夏には特に高齢者に向けた熱中症に対する注意喚起が盛んに行われています。にもかかわらず、真夏には救急車のサイレンの音が街中に鳴り響き、「熱中症患者さんかなぁ」と思いながら道を譲るのが当たり前のようになっています。


【2】 夏の高校野球の現状  

 そのように、もはや日本だけでなく世界でも、日本の夏は危険な暑さだと認識されている中で、甲子園球場で行われる高校野球の全国大会は夏の風物詩として昔から同じように変わらず開催されています。

 新型コロナウイルス蔓延の影響もあり、一部例外的な大会運営がなされたこともありましたが、2023年にはまた例えば負けたチームが甲子園の土を持ち帰るようになるなど、コロナ禍以前の様子に戻っています。高校生にとって青春の部活動であり、野球部員のみではなく吹奏楽部を含めた応援団も含めて、教育の一環として重要なイベントであり、一般国民からしてもお盆休みの時期に若さみなぎる戦いを通して感動を与えられる夏の風物詩として楽しまれています。

 しかし、近年の猛暑の中、また災害や熱中症が多発し、それによって命を落とす方が後を絶たない中で、特に若年者であり未来明るい高校生たちが夏真っ盛りの炎天下に全力プレーで何時間も活動し続けるというのは、大人の責任として考えなければならないという意見もたくさん出てきています。そのような意見は年々増えているとも言えるでしょう。


【3】 様々な意見の考察  

 どのような意見にも長所短所があり、まさに論点として様々な考え方が存在します。小論文では自分の意見のみならず、他者の意見に対する理解を加味して深みのある文章を書いていかなければなりませんから、様々な意見を深く考察し自分でも噛み砕いた上で、最も合理的だと考える方法を自分の意見として選択しましょう。論点においてはおおよそ100点満点の方法、つまり短所がなく長所しか存在しないような方法はありません。逆にそれがあるのであれば、そもそも論点ではないからです。100点満点の方法ではなく、長所短所を足し引きした上で、最も高得点を得られる手段を選択するということになります。その前提でこの「夏の甲子園球場での高校野球の是非」について考えていきましょう。

 まずはこの文言を精査し、その対処法を考えます。

(1) 夏
(2) 甲子園球場
(3) 高校
(4) 野球

ということでそれぞれ細かく分析していきます。

(1)夏でなければならないのか  

 最近の日本の夏の暑さは異常な状態です。炎天下の甲子園球場においてアマチュアの部活動としての高校野球を教育の一環として行うというのはもはや虐待ではないかというような意見すら多く出ています。近年は特に暑さ対策として、必要に応じた水分補給の推奨やベンチ内のスポットクーラー、大型冷風機の設置、アイスベストの活用などの対策を行なっているようですが、これまでの高校野球の伝統はあれど、未来に光あふれる命に変えられるものでもなんでもありませんから、この「夏」である必要性について疑問に考える意見もあるでしょう。

 例えばもう部活動は春の大会を本命の大会として終える、もしくは秋に最後の大会として部活動の集大成とし、真夏はまさに「夏休み」としてしっかりと暑さ対策をして体調を整えることを優先するという考え方です。また夏休みは夏休みですから、部活動以外の活動を充実させることに使うべきだという考えもあるでしょう。例えば高校3年生であれば受験勉強をしたり就職活動をしたり、また高校1年生や2年生も普段できないボランティア活動を経験するなどの選択肢もあるでしょう。

 そのように、まずは「夏」以外で高校野球大会を行うべきだと考える意見もあるはずです。

(2)甲子園球場でなければならないのか  

 プロ野球でも猛暑の影響から、真夏の土曜日・日曜日もお昼間の試合開始ではなく夜の試合開始になってきていますし、何よりもドーム球場を増やすことによって涼しい中でのプレーができるようにされています。特に甲子園球場は伝統のある球場だからこそグラウンド自体の照り返しが強く、また手すり等の設備もかなりの熱さになり火傷をしてしまいそうになるくらいのレベルになっているようです。そのため選手監督のみならず観客席の応援団にとっても過酷な環境になっています。どれだけ伝統が重いものだとしても若い命には変えられませんから、甲子園球場という野外の球場ではなく、例えば大阪の京セラドームを使用するなどの代替案も出ています。また全試合をドーム球場にするということではなく折衷案として甲子園球場と京セラドームを併用して開催するという案もあるようです。

(3)高校の部活動という教育におけるあるべき姿  

 プロ野球であればまさにプロフェッショナルの選手や監督、また観客もそのプロフェッショナルのプレーを見るためにチケット代を払って観戦しています。しかし、高校野球というのはあくまでもアマチュアの部活動であって、プロ野球とは大きく状況が異なります。教育の一環としての部活動だということであれば、そもそも「夏の甲子園大会」というシンボリックな大会のために、野球推薦等で都道府県をまたいで選手を獲得し、100人以上もの部員を抱えて何が何でも甲子園出場・優勝を目指すという姿自体が教育に適しているのかどうかという疑問が叫ばれてきています。特に夏の甲子園のために私立高校で勉強を差し置いて朝から夜まで野球漬けになるというのは、公立高校での部活動と比べて公平性に欠け「教育」としてのあるべき姿とは程遠いのではないかという意見も出ています。また、「転校すると1年間試合に出られない」といった規則もあり部活動として正しいことなのかという疑問、さらに、100人以上の部員が所属する場合1度も試合に出られないまま3年間応援席で応援し続けるのみという状態が本来の部活動のあるべき姿なのかという発想もあるようです。

 そのため中には、例えば部員が多い場合は複数チームを編成することこそが教育のあるべき姿だという意見もあり、高校生に対する「教育」という観点にそぐわない、例えば「転校すると1年間試合に出られない」といったようなルールは撤廃すべきだという意見もあります。

(4)野球というスポーツの種類  

 野球はサッカー等と違い、一発勝負という手法がそぐわないスポーツとされています。そのため、例えばWBCでも予選はリーグ戦で行われます。トーナメント戦になるのは最後の最後だけで、「1敗」に対して過度な重みを持たせない状態になっています。それに対して高校野球では最初から最後まですべてトーナメント戦で試合が進みます。つまり、1試合でも絶対に負けられない環境だということです。そのような条件の場合、勝利至上主義の考え方のみがチーム内にはびこり、それはまた(3)のように教育の場にふさわしくない手法が選択されるという結果になりかねません。

 そのような意味で「野球」というスポーツの特色を優先し、ある程度チーム数を絞った上で予選ではある程度リーグ戦にするように、WBCやサッカーW杯を参考にすべきだという考えもあるようです。


【4】 案の比較  



課題: 夏の高校野球甲子園全国大会の是非



賛 成 案

● 夏休みに開催されることが日本文化において好ましい
● 伝統ある甲子園こそ高校野球の目標としてふさわしい
● 教育の一環として1つの目標に向けて向かわせるべき
● 1試合の重みを教育として感じるべき

論拠例

反 対 案

● 真夏の酷暑というリスクを負わせるのは若年者にとって危険
● 伝統はあれど命には変えられずドーム球場も検討すべき
● 教育としては勝利至上主義はふさわしくない
● 世界の野球ではリーグ戦が基本

論拠例

折 衷 案

● 真夏でもドーム球場をうまく使用することができる
● 甲子園球場とドーム球場を併用するべき
● リーグ戦の中で1校に複数チームを作って皆がプレーできるようにすべき
● 春や秋に大会を開催しチャンスを1度に限定しない

論拠例


【5】 論述の流れ  



題: 夏の高校野球甲子園全国大会の是非



仮説の段落

<意見提示>「私は〜だと考える」
 賛成反対等の方向性を設定
<根拠提示>「なぜなら、〜だからである」
 設定の主たる根拠について概要通知


論理展開の段落

<譲歩>「確かに、〜」
 自分が選択しなかった案の理論を分析評価

<対比>「しかし、〜」 
 自分が選択した案の理論を説明

<例示>「例えば、〜」 
 自分が選択した案の理論を具体例で証明


結論の段落

<結論>「従って、〜」
 具体的な議論を経て至った結果の総括



【6】 攻めの選択と守りの選択  

 小論文試験やグループディスカッション試験を受ける際の状況に合わせて、攻めの選択と守りの選択をしていかなければなりません。

 一次試験や事前提出の書類でなんらかの失敗をしてしまい合格点までかなり遠い状況になっている場合、また他にも受験者数に対して合格者数がとんでもなく少ないような試験になっている場合は、一発逆転を狙うべき状況である以上、ある程度のリスクを背負ってでも「攻めの選択」をする必要があります。

 逆に、例えばあらかじめ結果が出ている共通テストで有利な状況になっている場合、提出済みの志望理由書において自己アピールがうまくできているような場合、また受験者のほとんどが合格できるような種類の試験である場合は、無難な「守りの選択」をする必要があります。

 原則としては自分自身にとって書きやすい案を自分の主張として展開していくわけですが、賛成案でも反対案でも折衷案でも、どの案でもある程度同じような勝負で、どの文章でもある程度書けそうだという場合は、上記のような試験の状況に合わせて選択するというのも1つの重要な戦略です。今回の課題である「夏の高校野球甲子園全国大会の是非」というテーマにおいては、攻めの選択と守りの選択は下記のようになるといえるでしょう。

<攻めの選択>  折衷案
<無難な選択>  賛成案
<守りの選択>  反対案


【7】 大人が高校生を守る  

 高校生は勉強も部活動もただただ必死に行うもので、特に野球部で一生懸命に甲子園出場、全国制覇を目指して連日練習をしている高校生には何の罪もありません。大人がルールを決め、ある程度大人の作るレールに乗って、その条件の中で精一杯青春の時間を過ごしているだけです。だからこそ、大人が高校生の未来をつぶしてしまうことだけは絶対にないように、高校生が最高の日々を過ごし、最高の成長を見せ、立派な大人として幸福に暮らしていけるように守ってあげなければなりません。伝統を守る、酷暑から命を守る、といったように高校生を何からどのように守ってあげられるかは大人にかかっています。大人が高校野球というものを1つの夏の風物詩としてイベントとして楽しむ道具にすることは許されません。例えば、「ビールに合う感動シーンを見たい」「高校生が死に物狂いで必死に頑張っている姿を見たいから夏がいい」「高校野球とは頭を丸刈りにしてからじゃないとどうも似合わない」などの身勝手な考えがあるようですが、それらを高校教育の場に当てはめることはできません。本当に高校生のためになる「高校野球」とはどうあるべきかを大人が責任を持って考え、その環境を提供していくべきだといえます。


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