「あの人は使えない」という発言
職場にいると「〇〇さんは使えない」といった言葉を口にする人がいます。
大抵の場合、実際にその〇〇さんは仕事が遅かったり、正確さに欠けていたりすることも多いようです。
したがって批判を受けるのも致し方ない側面はあるかもしれません。
道義的な観点ではない
道義的に考えて、誰かの悪評価を陰口のようにすることは決して褒められた行為ではありません。
また、誰かを「使う」といった人材を即物的な道具として扱う言動もあまり好ましいものではないと思います。
そういう観点で考えると「使えない」発言の人は問題があるでしょう。
しかし、客観的事実を口にしているだけで、現実にはこの人が実害を受けていたり、場合によってはカバーに入ってもらうこともあるため、一概に「使えない」発言の人を非難するというのも難しいでしょう。
実際、私も実はこの点で問題があるとは考えていません。人間は誰しも自分より劣った存在を探して安心を得たい動物なのでしょうし。
自分自身もこれを否定できるほどの人格を持ち合わせていません。
私はこの「使えない」発言の人ではなく、発言そのものこそが、目的を共有する共同体組織そのものの問題点の発露であると考えています。
「使えない」発言に隠された問題点
「使えない」という発言の背後には次のような意識が存在するのではないでしょうか。
「使えない」人さえ替えればうまくいく
「使える」人間で構成された組織ほど優れている
1.「使えない」人さえ替えればうまくいく
まず、これは大きく勘違いをしやすい部分です。
確かに、ボトルネックが「使えない」人の業務であった場合、担当者を替えることで状況が好転することは考えられます。
しかし、必ずしも余剰の「使える」人を柔軟に入れ替えることができる組織はそれほど多くないのではないでしょうか。
そもそもボトルネックになっているほどの業務を分散化し、指示系統を見直すなどの処置を行うこと無く、一担当者を批判する言動が現れる組織は決して健全な状態ではないように感じます。
さらに、そういった組織においては業務が属人化している可能性が高く、現在問題が発生していない部署や業務においても、配置換えや事故、トラブルなどで途端にハングアップすることもあるでしょう。
2.「使える」人間で構成された組織ほど優れている
次にこのことについて考えます。
そもそも、「使える」人間だけで組織を構成することが可能でしょうか。
現在、様々な業種で人手不足が叫ばれています。さらに、労働市場の流動化が徐々に進んでいます。ということは、優秀な人材はあらゆる業種で引く手数多であり、より条件の良い環境に移るということです。
つまり、現在の組織の構成員は能力的に釣り合いが取れた人材が残っている可能性が高いということになります。
したがって、「使えない」人間を含むぐらいが構成員の能力として適正状態ということになり、「使える」人間だけで構成することは不可能でしょう。
では仮に、「使える」人間だけで構成された組織は優れているのでしょうか。
これも必ずしもそうとは言えません。
そもそも組織で仕事をする場合、多くの組織では業務マニュアルや手順が存在します。
そして、多くの業務においてその手順を踏むこと自体に時間や手間がかかる(この手順や手間は全体最適化されていることも多くそれ自体を単純に否定できない)ようです。
業種によっては存在する法令確認や申請なども特にその傾向が強いでしょう。
つまり、能力の優劣よりも別の部分がボトルネックになっている可能性があり、その場合構成員を「使える」人間に交換しても業務効率化が成されないということになります。
まあそもそもコンピュータの導入が進んだ組織においては、誰よりもPCの方が優秀なわけで。
では「使えない」発言をどう処理するか
「使えない」と言われている人だけでなく、それ以外のメンバーの業務内容や割り振りの見直しと人員の再配置を行うしかないと考えます。
「使えない」発言は「使えない」と目された人、個人ではなく、その人を含む組織や業務の改善の必要性の可視化の一形態ではないでしょうか。
リーダーではなく、組織の末端としてできることは、「使えない」言われた人の様子をよく見て、サポートするぐらいでしょうか。
まあ、私も「使えない」と言われているかもしれませんし、それぐらいの優しい世界だと助かりますね。
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