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6割主義でいこう

学校教員という人種は基本的に真面目な人が多いです。

そのため、日頃の教材研究はもちろんのこと、部活動や書類の仕事などに10割のエネルギーを使ってしまい、平日はクタクタ、休日も出勤するといった生活スタイルを取る人も少なくないようです。

しかし、そのような働き方では継続的に業務を遂行することは難しいでしょう。

結婚や出産といった生活スタイルの変化はもちろんですが、体調不良や急病などが突発的に発生するからです。

そのためにも、常に余裕を持った働き方を意識することが実はとても重要です。
(もちろんどんな職業でもそうですが)

6割の力で可能になるように普段の業務を調整する

突発的なトラブルやアクシデントは常に発生する可能性があります。

それらに対応するためにも、通常業務に関しては普段から6割の力を意識することが重要だ、私は考えています。

これには以下の2つの意味があります。

  1. 6割の力で出来る分量に業務を調節する

  2. 6割の完成度で納得する

1.6割に調節する

日々の仕事をこなすと自分の仕事がどれくらいの負担で済むかは見当がついていきます。

その見当に対して6割の時間や労力でできることを精選していきます。

時間がかかり過ぎてしまうことや、多大な労力を必要とするものを整理、分割し、毎日の作業量や作業負荷は自分のキャパシティの6割でこなせるように調整を掛けていく、ということになります。

学校の教員の仕事が定時で終わらない、といって問題はTwitterなどで度々問題になります。

これらの大半の原因は、教員の能力不足でも、仕事量の過多でもなく、教員の責任感と学校や地域社会の押し付けのミスマッチによるものです。

学校の教員は自分の仕事量を調整することが可能なことがおおいのではないかと思います。実は、仕事を増やしているのは自分自身であることを認識することは迚も重要です。
(私のような私立勤務ももちろんのこと、公立学校に勤務されている方の多くも実は可能ではないでしょうか)

2.6割の完成度で納得する

これは特に授業への教材研究や事前準備についてあてはまる内容でしょう。

教員の授業準備はここまでやれば完璧ということはありません。どれほど突き詰めても切りがないほどに奥深いものではあります。

しかし、同時にどれほど突き詰めても生徒の理解度や学習への取り組みはある一定のラインを超えては大幅に変化が見られません。

そこで、完成度を6割を基準にして時間を捻出します。

実際、授業の準備の時間をある程度減らしても、さほど理解度の定量的な測定値は下がることはありません。

むしろ個別対応をする余裕を生むことで、向上することさえあるでしょう。

大半の仕事は6割の結果で十分

こうして時間的に余裕を持たせて対応したり、クオリティを下げることに抵抗がある人は多いと思います。

しかし、あなたが時間や労力を費やして行った仕事の成果はどれほど社会に還元できているでしょうか。

正直、ほとんどの場合は顧客のわがままを通しただけであったり、仕事をする側の自己満足に過ぎないのではないでしょうか。

全力は10割ではなく8割

全力を出して取り組むべきだ、という奴隷根性丸出しの批判はともかくとして、全力を出さずしてスキルアップは無いのではないか、という意見もあります。

全力で仕事をすることは必要な時期はあるでしょう。そうした時に一時的に全力を出すこと自体は否定しません。

しかし、そこでの全力とは労力や可処分時間の8割を費やす状態であるべきです。

あくまで、それ以外の対応や自分自身への負荷を考えて2割の余裕を残した状態のことを「全力」と定義すべきではないでしょうか。

そうでなければ、仕事で自分の人生をすり減らしてしまい、何のために仕事をしているのかさえ分からなくなってしまいます。


ということで、私はこの記事も6割ぐらいの満足度や完成度で書いています。

それぐらいの方が気楽に続けることできそうです。

ですので、誤字脱字にご理解いただけると幸いです…

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