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超進学校に間違って入学した低学歴家庭の「深海魚」はいかに挫折し、いかに乗り切ったか

前回の記事にさらに続く内容です。

私は親が大卒ではない家庭で育ち、そのため大学という存在や大学入試を全く意識せずに高校に進学しました。

今回は高校で感じたギャップや挫折、そしてどうやって乗り切った(乗り越えてはいない)かをまとめていきたいと思います。

超進学校に入学する

私の入学した高校は、地方で言えば超進学校と呼べるところでした。

入学偏差値は70を超えており、いわゆる超難関大学や国立大学医学科に2桁の合格者を出し、地元のエリート養成学校という側面もある学校です。

こうした学校は関東や関西では山ほどありますが、地方ではそれほど多くないため、庶民まる出しな私はそこにいるだけで居心地の悪い思いをしていました。

しかし、それどころではない衝撃がそのすぐ後に、訪れることになります。

定期試験の衝撃

高校に入って初めての定期試験の結果が返ってきました。結果は440人中、350番。

中学校の時からすると考えられない悪い数字です。

しかし、私は「定期試験に向けて勉強する」という習慣を身につけていませんでした。

中学時代は塾の宿題と小テストをこなしていれば、定期試験は全く勉強せずともそれなりの点数が取れていたからです。

その感覚のまま受けたために、散々な結果となったわけです。

しかし、さらに次の試験はより大きな衝撃となります。

実力試験というトラップ

私の母校では定期試験と定期試験のちょうど中間時期に、「実力試験」という試験が実施されていました。

「実力」とは名ばかりで、きちんと範囲を示された試験です。

この試験の前に、試験範囲として数学の参考書(黄チャートだった記憶があります)を50ページぐらい指定されました。

しかし、分量が多すぎることと試験が「実力」という名前であることからすっかり勘違いして、当然ながら無勉強で臨みました。

その結果はクラスで最下位、440人中でも420番ぐらいと見たこともない数値が並んでいたことを覚えています。

まさに進学校の「深海魚」となったのでした。

約1年間の雌伏と転機

その後、高校1年の間は腐っていたように思います。

授業は聞き流し、勉強の方法もわからず、衝撃だった悪い成績にも感覚がマヒしていきました。

さらに悪循環だったのが、模擬試験(とはいっても進研模試ですが)の結果は校内順位がほぼ真ん中で、それほど悪くなかったのです。

このため、模試(実はこれも下がってきていた)ができていると自分に言い訳して見て見ぬふりを3学期の後半までしていました。

転機は、高校1年の2月ごろだったように記憶しています。

高校2年に上がる前の春休みに、塾や予備校に行くことを母親から提案されました。

気は進みませんでしたが、問題意識だけはあったため、あまり同じ学校の生徒のいない現役生専門の予備校を選んで通うようになりました。

そして、これが大きな転機となります。

英語の講師の出会い

私が通ったのは現役生専門と銘打った予備校で、特に英語の指導に力を入れているようでした。

当時、全教科の成績に問題を抱えていた私ですが、中でも英語の勉強法に関した躓きが大きく、自分ではリカバリーができない状況になっていました。

その予備校の講師の方は英語の指導に非常に優れており、長文の読解に関する解説や読み方に関してのノウハウが豊富でした。

単語の暗記を真剣にやっていなかった私は長文が読めなくなっていました。

そうしたときに、前置詞の意味把握で文章を理解する手法や、句動詞(動詞+前置詞など)によって大意把握が可能であることを学びました。

この手法は効果的で、考えて組み合わせたり、ロジカルに分解すれば問題を解くことができると気づいたのです。

こうした英語の「読み」に関しての学びは、学習することの楽しさを始めて意識しました。

学ぶこと全般に絶望していた私にとって、その発見はさながら血の池に垂れる蜘蛛の糸のようでした。

模擬試験でのまぐれ当たり

また、この時期にその予備校の模試で国語の高得点を取ってしまい、なんとなく予備校内で「できる人」扱いをされるようになってしまいました。

たまたま国語の相性が良く、理系なのに国語が得意なことも功を奏しました。これに関しては完全に「まぐれ当たり」で、実力とは全く異なる結果だったと思います。

しかし、得点自体は間違いではなく、全国の同点者には桜蔭や麻布の生徒が名を連ねる中、上位者に名前を並べてしまったのです。

予備校内で「できる人」となってしまった私は、生来のプライドの高さからそうしたキャラクターを演じざるを得なくなりました。(しかもトップ校の制服を着ているのです)

その結果、学校の勉強をそっちのけで予備校の勉強だけに1年間、注力しました。2年生の定期試験の結果に関してまったく記憶に残っていないのは、おそらく全く気にも留めていなかったのでしょう。

そして、それが良い方向で結果に表れることになります。

高3の「校内模試」の結果

私の通っていた高校では、高校3年生は「校内模試」という試験を受けていました。

教員が大学入試を研究し、旧帝大の入試に近いレベルの問題を出題するというものです。受験者の平均が3割を切るという鬼畜な試験です。

高校3年の頭のこの試験の結果でほとんどの教科で半分を超え、気づけば理系の上位4割ぐらいの成績になっていました。

この時の気分は最高でした。1年のクラスメイトの半数以上が自分よりも成績が悪いという状況に強い満足感を得たのを覚えています。(どうやら私は性格が悪いようです)

と、同時にそれ以上成績を上げるモチベーションを失ってしました。

こうして高3の一年間はとにかく浪人しないで確実に出願できる成績を維持することを意識して学習し、地元の国立大学に前期試験で合格しました。

この語大学でもう一度挫折を味わうことになりますが、それは別の機会に書きたいと思います。

きっかけは塾や予備校とその講師

私の転機は前回の記事でも、今回の内容でもわかるように塾や予備校のようです。

そして、国語や英語という文系教科の先生に強い影響を受けていることにこれを書いている時点で気づきました。

私の進学先は、母校の高校の中ではそれほど誇れるほどの実績ではありません。

しかし、底辺の「深海魚」から脱することができた経験は生徒に参考になることかもしれないと思い、折を見て担任や教科担当クラスの生徒に話をしています。

だからこそ、私の根底には学校だけでなく、塾や予備校といった場所も含めて生徒自身の変化のきっかけになる可能性があると考えています。

そして、学校以外の自分の場所を探すべきだとも考えているのです。

もちろん、部活動も悪くはありませんが、異なる場所や集団に属することはより強い刺激となるのではないでしょうか。

私が「深海魚」生活を乗り切ったのは、異なる場所の存在だと思うからです。

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