教育行政の「原則として」という都合のいい丸投げワード
暑さ指数と部活動
先日、山形県の中学生が熱中症で死亡した事件がありました。
あの事件においては暑さ指数(WBGT)の測定すらしておらず、部活動実施における教員や学校の管理責任が問題になっています。
環境省が発表している「熱中症環境保健マニュアル 2022」から、運動・スポーツ活動時の注意事項によれば暑さ指数が31以上の場合は「原則運動を中止」、28以上でも「激しい運動は中止」とされています。
通常、屋外運動部の練習で「走る」行動をいない、という状況は想定しづらく。28以上は中止、31以上ならば行わないのが普通です。
しかし教育行政と学校現場は往々にしてある言葉を言い訳、隠れ蓑にして責任逃れをします。その言葉が「原則として」です。
「原則として」は例外の存在を無条件に認める言葉ではない
おそらくこの暑さ指数(WBGT)の基準を守る場合、日本中の多くの学校は7~9月の日中に運動を行うことは不可能です。
また体育の授業に関しても運動場などの屋外はもちろんのこと、体育館の中でもほとんどの場合、「中止」になる可能性が高いでしょう。
そこで使われるのが「原則として」という言葉です。
「大会前だから」、「引退前の最後だから」、「実技の試験だから」、あの手この手で理由をつけて行っている学校がほとんどではないでしょうか。
実際、これを守る限りにおいてはこれまでの部活動のやり方は根本的に変える必要があります。また、日中の体育の実技も同様です。
現場はこれまでのやり方を変えたくない、教育行政側は学校や教員に判断を丸投げし責任を取りたくない、という奇妙な一致によってこの言葉が多用されています。
しかし、「原則として」という言葉は本来はこうした柔軟解釈をするべきものではありません。ところがある種の霞が関文学的な責任逃れの方便として文言を追加したために、無茶な解釈を許すことになっています。
「原則として」を排除した三重県教育委員会
三重県ではこれまで部活動の中止の判断を「暑さ指数」に基づいて行っていましたが、例外なく中止という方向性に舵を切ったと報道されています。
この教育委員会の姿勢自体は非常に評価すべきでしょう。
実際に人がなくなっており、熱中症による後遺症の残る人もいる状況の中では賢明な判断でしょう。
とはいえこの方針をどこまで現場が徹底するか、部活動に熱心な教員の中には「暑いごときで練習をしないのは甘えだ」という考えの昭和の遺物も残念ながら存在しています。
彼らが現実に即した判断をすることを願うばかりです。
熱中症の被害を最小限に食い止めるためにも日本全国の学校がこの方針に続くべきです。
そして、何よりも文科省がきちんと「原則として」を外した声明を出すべきでしょう。
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