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WBCの決勝戦を授業で見せることの是非

先日、日本チーム(侍JAPANという呼び名を使うのは個人的には恥ずかしい…)の優勝に終わったWBCの決勝戦に関して、教員界隈のSNSでは話題になっています。

決勝戦は3/22の月曜日の午前中であり、小中学校は終業式前であり、この時間に授業があった学校も多いようです。

WBCを授業中に見せたことへの賛否

その授業時に試合を生徒に見せた(という体で自分が見た)クラスが存在したようです。

このような否定的な意見がかなりの数、見られました。
(とはいえ「辞職してください」は言いすぎです)

一方で好意的にとらえた人もいるようです。

Twitterを見ていても賛否が分かれる内容でもあるため、私自身のスタンスや考え方をまとめたいと思います。

WBCを授業中に見せることは教育課程上許されるか

まず教育課程上、WBCを授業中に見せることに対して適法性があるかというと、これは間違いなくありません。

例えば「数学」という教科の授業においては、数学的思考力や学力を高める活動をすることが目的とされており、野球の試合を見てもさすがにそれが学力の獲得につながるという論理構成は不可能です。

仮に、これは野球の試合の中に「確率」の問題に使える、といったトピックが存在したとしても、一試合を通して見る意味は無く、その言い訳も無理筋でしょう。

これは「体育」や「保健」あるいは「総合的な探究」や「総合的な学習」であっても同様で、どうロジックを組み立てても試合視聴を正当化するのは厳しいように感じます。

教育効果はあるか

では実質的な教育効果に関してはどうでしょうか。

これはあらゆるものに関して言えることですが、無いとは言えないでしょう。

日本中が盛り上がっているイベントであり、国籍や所属を考える良い機会にもなります。

また野球がもたらす経済効果、周囲との一体感など教育効果を探せばいくらでも見つかるでしょう。

野球が日本アメリカなど環太平洋地域で盛んな理由など、文化史的な学びもあります。

これをきっかけに様々な学びに関心をもつことがないとは言えないのです。

その意味では教育効果はある、と言えます。

興味が無い側の視点

私自身は野球に全く興味がありません。ですから、WBCもまともに見ていませんし、その試合の結果が気になることもありませんでした。

その時間は授業が入っていませんでしたが、仮に入っていても試合を授業中に見せることはないでしょう。

そういった視点で考えると、今回のWBCを授業中に見た生徒の中には試合を見ていない状態では気になって取るもの手につかずな人もいれば、一切興味がなかった人もいるでしょう。

気になっていた生徒にとっては有意義な時間であったでしょうし、興味が無い生徒にとっては無意味な時間であったでしょう。

規則で縛らず、おおらかに構える

こうした特別なイベントに際して、例外的な対応をすること自体は決して悪いことではない、と個人的には考えています。

数年に一回のイベントであり、この特別なイベントがきっかけで関心を深めたり、その道に進む契機になることもあるかもしれません。

もちろん、そうした対応が規則違反であり、他者から批判を受けるのは仕方ない部分があります。

しかし、そういった画一的、統制的な姿勢を取り、教育の許容性を狭めることが果たして教育や学校全体の質の向上に寄与しているでしょうか。

見せたクラスも、見せなかったクラスもあっていいのではないかと私は思います。

見せた教員は見せる行為に対して教育効果を考えた上で規則違反であること素直に謝る、見せなかった教員は見ていないクラスからの突き上げを上手くいなす、見せた教員を責めずに多様性を認める、といったおおらかに構えることこそが現在の日本の教育に求められる柔軟性だと思うのです。

繰り返しますが、私自身は授業中にスポーツを見せることも無ければ、ゲームやアイスブレイク的なことをすることはありません。

それをする教員もいる、しない教員もいる。

好きな生徒もいるし嫌いな生徒もいる。

多少は我慢して付き合うが、無理には強制しない。

どちらも存在し、どちらも許容される社会の方が快適だと思うのです。


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