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教育委員会主導の「難関大受験」特化のオンライン講座は一人一台端末の無駄遣いの最たる例

福岡県教育委員会は、東大、京大などの難関大学を志望する県立高校の生徒を対象に入試対策のオンライン講座を実施したそうです。

この取り組みは1人1台端末の活用と、学校横断型教育プログラムの最初の試みとのことです。

このたび、「学校横断型教育プログラム」の第一弾として、難関大学を志望する生徒を対象に、全県立高校の中で難関大学の受験指導に卓越した教員による指導を受けることができる「オンライン講座」を実施します!
1人1台端末の活用により、意欲のある生徒が難関大学の受験に特化した授業を、学校や居住地にとらわれず受講することができ、同じ志を持つ仲間と共に学ぶことができます。


難関大学の受験指導に卓越した教員による指導?

この県の広報資料に関してはいろいろと突っ込みどころがあります。

まずは「県立高校の中で難関大学の受験指導に卓越した教員による指導」というところです。

最初に誤解が無いように書いておきますが、県立高校の先生方の中には非常に教科指導力の高い方がいるのは知っています。

しかし、教科指導力=受験指導力ではない、ということです。もし仮に記事中に名前のある学校に「難関大学の受験指導に卓越した教員」がいて、その指導が上手くいっているのならば数値で示せるはずです。

そこで昨年度の福岡県の東京大学への主な進学者数を見てみます。

以下は5chからのものです。
(必ずしも正確ではないことに注意してください。おそらくサンデー毎日から数字を引っ張ってきたものです。)

$$
大学名|東|京|卒| \\
修猷館|13|21|434| \\
筑紫丘|04|11|421| \\
福岡高| 04| 09|391|\\
東筑高| 00| 07| 217| \\
小倉高| 02| 04| 262| \\
明善高| 04| 00|281| \\
久附設|37|11| 190|
$$

福岡県内で「御三家」と呼ばれる修猷館、筑紫丘、福岡は東京大学に複数名の合格を出しており、これらの学校は福岡市内を3分する学区のそれぞれトップ校として学区の最上位生徒が通学しています。

一見すると素晴らしい実績ですが、最も多い修猷館で400人超の生徒に対して13人と3%、筑紫丘や福岡は1%です。3校の実績を合わせても久留米附設高校には及んでいません。

正直なところこれを見て「難関大学への指導に卓越した教員」がその指導の効果を上げていると言えるような実績ではないように感じます。

残念ながらこの数値から受ける感想は、受かるべき生徒が学習をして合格した、という印象しかありません。

オンラインの無駄遣い

そもそも学校の教員はオンラインの授業や授業動画に慣れていません。

また講義形式の授業であれば予備校の一流講師陣と比較すれば数段劣ります。
(個別なサポートなども含めた指導では教員にも優れた人は多いように感じますが、こと集団授業という形式においては勝負になりません。)

授業動画だけであればスタディサプリの授業を見せればよいし、仮に費用負担が重いというのであれば県が奨学金の一種として負担すればよいのです。

スタディサプリの場合、個別の大学対策講座動画もそろっており、そのクオリティも学校教員の作る、あるいはオンラインで行う授業の比ではありません。

このプログラムの目的としては授業以外にも難関大学を目指す仲間を作るという試みがあるようですが、ならばオンライン授業と切り離して実施するべきでしょう。

学校横断型プログラムと小学区制の矛盾

根本的な問題として、上位大学進学を目指す仲間を集めたいと福岡県の教育委員会が考えるのならば、小学区制を止めればよいのです。

福岡県は全国でも珍しい小学区制を採用しており、その数は13学区で学区外の受験もできない厳しい制限を行っています。
(ちなみに隣県の佐賀県は2学区、熊本県は3学区ですが、どちらも学区外受験枠が存在します、)

もちろん実業系の学校には学区縛りがない、隣接学区の場合は特例で受験可能などの扱いはありますが、普通科高校の場合は原則居住地の学区の学校にしか進学できません。

そのために超上位の生徒が分散する結果となっており、学校横断プログラムを実施して超難関大学を目指す仲間を探す必要が出てくる、ということになります。

小学区制には底辺校を作らない、通学時間の短縮などメリットももちろんあります。

しかし正直なところ、小学区制を維持しながら学校横断型プログラムを実行することは大きな矛盾ではないかと感じるのです。

せめて全県1学区とまでは言わずとも、現在の半分にするだけでも上位生の集中と集約は可能であり、そもそもの問題を解決できそうに思います。

他山の石とすべき

こうしたオンラインの非効率な活用は往々にして起こりがちです。

その原因は、これまでのシステムの根本を解決せずに、機械や技術を利用して表面的に円滑化したように見せることで解決を演出できるからです。

また大学受験、特に難関大学の対策などはすでにコンテンツが飽和状態であるにも関わらず、車輪の再発明をしているところも同様です。
(そして元々のものよりも粗悪な車輪を作る)

しかし、同時にこうしたやり方でお茶を濁す行為は個人レベルでも組織レベルでもよく見かけるものでもあります。

他山の石としたいところです。

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