見出し画像

【題未定】池波正太郎に感じる格好良さ【エッセイ】

 男の子(ポリコレ的にはこの表現もアウトかもしれません)には格好良いと憧れるものの一つや二つ必ず存在するだろう。私もその例に漏れず、少年時代から憧れているものがある。前回書いた漱石のような文人もその中の一つだ。とはいえ明治の文人となるとあまりにもリアリティが無さ過ぎて、自分の憧れに落とし込むことは困難だ。そんなわけでそれ以外の話をしようと思う。

 アニメのキャラクターや物語の主人公に憧れる時期もあるだろう。ただ、特定のキャラクターやアイドルを追っかけるほどに熱心さの無い私は、そこに憧れを投影するほどには至らなかったように思う。俳優やタレントも同様だ。世代的にはキムタクや織田裕二がそれにあたるのだろうが、残念ながら彼らに私が興味を向けることは無かった。では、何に憧れていたかというとやはり文人である。

 文人の中でもあこがれの対象となる第一候補は世代的にも村上春樹だろう。私の同世代の人には彼の熱心なファンが多い。新刊が出れば必ず購入してノーベル文学賞の発表を心待ちにしている人は少なくない。ただ、私には彼の作風や雰囲気、空気感は合わないようだ。村上春樹氏の作品は決して面白くないわけではないし、彼の世界観が格好良いと思わないでもないが、どうにも気取り過ぎているようで気恥ずかしくなってしまうのだ。

 となると、気取らず、しかし格好良さを感じる作風は誰か。私が憧れとしてとらえる文人として「池波正太郎」を上げたい。

 「池波正太郎」、私が青春時代から現代にかけて最も格好良いと憧れる文人の一人だ。時代小説家(歴史小説ではない)である池波の代表作と言えば『鬼平犯科帳』。火付け盗賊改の長谷川平蔵とその仲間を描いた作品で、ドラマ化、最近にはアニメ化もされている息の長い作品だ。もちろんこの作品も好きではあるが、私が池波の作品の中で最も好んでいるのが『剣客商売』だ。こちらもドラマ化がされている作品で、隠居した剣術家、秋山小兵衛とその息子大治郎が遭遇する事件を描いた作品だ。青春時代の私は池波自身と氏を投影した秋山小兵衛に対して強い憧れを感じていた。

 池波正太郎は江戸の「粋」という文化、風習、考え方にこだわった人物である。その辺りに関しては池波のエッセイ『男の作法』に詳しい。また池波は美食家としても知られていて、「食」に関する内容やこだわり、考えをエッセイにまとめている。池波はいわゆる高級なものを好む好事家的な美食家ではなく、「たいめいけん」などの庶民がちょっとした日に食べる店を好んでいた。そしてそうした知識や嗜好が小説にも表れている。『剣客商売』など、池波の著作では度々食事のシーンや調理の過程が描かれている。そうした影響を受けてか、私も若い時分は一人で食べ歩きをして似非池波を気取ったものだった。

 正直なところ、私が池波の熱心な読者かと言えばそうでもない。『真田太平記』や『仕掛け人・藤枝梅安』を読破しているわけでもない。『剣客商売』やエッセイから何となく憧れを抱いているに過ぎない。あくまでも私視点でのにわかの語りに過ぎないので、本当の池波ファンに置かれましては穏便にご覧いただきたい。

 さて、こうして自分の好きなものや憧れをまとめていくと、自己理解が深まるように感じる。自分自身で気づいていない、自分の性格や性向が見てくるようだ。これを読んでいるnote読者諸氏にも是非おすすめしたいところだ。(それもまた釈迦に説法かもしれないが)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?