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「ドギー・ハウザー」に見る「飛び級」はギフテッド教育の決め手にはなり得ない

IQ141の小学生のニュースがYahooに上がっていました。

現在小学2年生のこの少年はIQ141であり、中学生レベルの知識や計算能力を持っているとのことです。

自称高IQのヤフコメ民の解決策=「飛び級」

案の定ではありますが、コメント欄には自称高IQの人たちのマウント合戦が始まっていました。

曰く、「自分は賢すぎて周りに馴染めなかった」と。

また、そのことに対し多くの方が「飛び級」を導入することで解決するとの意見を書いています。

果たして、「飛び級」はそうしたギフテッドや偽性ギフテッドを救う手段となり得るのでしょうか。

「天才少年ドギー・ハウザー」

私がまだ小学生だったころ、NHKの教育テレビで「天才少年ドギー・ハウザー」という海外ドラマが放送されていました。

以下はWikipediaからのあらすじの引用です。

ドギー(ドゥギーとも発音される)ことダグラス・ハウザーは10代の医学博士。神童で、高校教育を9週間で終え、わずか10歳でプリンストン大学を卒業。その後4年で医学博士となり、14歳にして華奢で最年少の臨床医になった(毎回同じセリフのナレーションがオープニングに流れる)。劇中では16歳から19歳までの成長が描かれている。
ドギーは天才少年という役柄であるが知能が高い点以外は性格も普通の少年であり、親友のビニーを始め、同年代の級友たちとは対等に接し、自らの才能への慢心もない。ビニーと喧嘩もすれば仲直りもする、ガールフレンドとデートの約束をする、父親の愛車を貸して欲しいと頼むなど、ごく普通の少年・青年である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ドラマ中でドギーは少年でありながら、医師として働いています。

知能は高く、知識も豊富な彼は優秀な医師です。

しかし、患者さんと接したり、同僚と交流したりする場面で年齢相応の未成熟な部分から壁に突き当たります。

そうした壁を同じく医師として働く父親や、彼の特別な能力を全く意識しない幼馴染の助言と支えで乗り越えていく、という内容です。

学校は発達段階の近い人間と生活する機会

ドギー・ハウザーのドラマでも度々彼は自分が周囲よりも肉体的にも精神的にも未成熟であり、それが悩みとなる場面が描かれています。

ドラマでは良き理解者や相談者がいるため、幸運にも彼はそこからさらに成長をし、乗り越えていくことができます。

しかし、現実社会ではどうでしょうか。

「飛び級」を無制限に認めることは、教育格差が広がる日本においてはそうしたギャップに悩む子供を多く作り出すだけではないでしょうか。

しかも、ドラマのように周囲が協力的であるとは限らないのです。

学校は一義的には勉学を学ぶ場所です。しかし、現代社会においては発達段階の近い集団の中で成長機会を得る場所でもあるのです。

学校以外の学びの場をいかに設定するか

以前もギフテッド教育に関する記事を書きました。

この中で、公教育にそうしたことを求めることで不十分な体制だけが整備され、逆に民間でギフテッド対応をすることができる業者の経営を圧迫してしまい、誰もが不幸になると考察しました。

一方で、コロナ禍の全国一斉休校を経て、オンライン授業や指導、交流などが大きく普及しました。

そこから得られる結論は、ギフテッドなどの特別な教育をいかにオンラインを含めて学校外に充実させていくことではないでしょうか。

「飛び級」は現状の制度で十分

現在、「飛び級」制度自体は大学入学や学部卒業時に存在しています。

これらの場合、10代後半から20代前半での1、2年のずれで済むため、それほど発達段階を考慮する必要はないでしょう。

しかし、実際にはこうした制度を活用できているケースはほとんどありません。

それは入試制度が偏差値輪切りを前提としているため、「飛び級」で入る大学よりも1年を受験勉強に費やして偏差値のより高い大学に行く方が価値が高いという考えが広まっているからです。

こうした制度を活用しつつ、学校外の学びの場の充実や認可を進めることがギフテッド対応の最適解ではないでしょうか。

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