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生徒会は「民主主義の幼稚園」


「地方自治は民主主義の学校」

「地方自治は民主主義の学校である」とはイギリスの政治家、法学者であるジェームス・ブライスの言葉です。

民主主義における権力者は国民全員であり、国家の意思決定は国民の合意により行われます。

しかし、日本のような議院内閣制の場合、国民が選挙で行政府の長は選ぶことができませんが、地方自治の場合は二元代表制のため国家政治と比較して住民の意見を反映させやすくなります。

これは民主主義の理想とする政治体制にとても近いため、「地方自治は民主主義の学校」とジェームスは表現しました。

さて、ではもっと身近な民主主義はないのでしょうか。それこそが中高時代に経験したであろう生徒会です。

「民主主義の幼稚園」

生徒会は生徒の代表が立候補し、それを学校の構成員である生徒が投票することで選出される仕組みとなっています。

多くの中高生は未成年の為、実際に国政や地方自治体の選挙に参加したことは無いため、人生で最初に経験する民主主義の洗礼こそが生徒会選挙となります。

もちろん、選ばれた生徒会の役員は自治体の首長や行政府の長ほどの権力や権限を持っているわけではありません。あくまでも学校が認める範囲内において生徒自治をリードする仕事でしかないのです。

とはいえ、自分たちの代表者を自分たちで選ぶという行為や意味などを理解し、責任を持って票を投じるという経験は民主主義を学ぶ最も小さなモデルと言えるでしょう。

そうした点で考えると中高の生徒会はさしずめ「民主主義の幼稚園」といったところでしょう。

民主主義や選挙に関する学びの毀損

そうした貴重な民主主義や選挙に対する学びを毀損するような話がニュースになっています。

大分県では教育支援アプリ(おそらくロイロノート)を用いて生徒会の選挙を行っていたようです。

個々の生徒がどの候補に投票したか、その投票先が教員側にわかるような設定のまま運用をしていたということです。

こうした生徒の投票行動を教員が把握したとしても、特に影響はなかったのではないか、とは思います。おそらく学校内においては実害はほとんど無いと言えるでしょう。

しかし、問題はそこではありません。

この一件で生徒たちの中には選挙制度のうち、秘密選挙が必ずしも保証されていないのではないか、と考えた人もいたのではないでしょうか。

若者の選挙離れが問題化する昨今において、選挙の威信を毀損させる行為は大きな問題ですし、今後オンラインの選挙を導入する場合の足かせともなりかねません。

生徒会の選挙こそ最も身近な主権者教育

言うまでもないことですが、こうした教育支援アプリなどのシステムを利用すること自体は決して悪いことではありません。

むしろ日本の紙による選挙からオンラインへと制度を変える意識を高めるきっかけになる可能性もあったのです。

ところが今回の一件は選挙の秘密性に対する信頼を揺るがすことになったという点で、主権者教育においての失敗例となりました。

選挙が身近に感じない、というのは方々で聞こえてくる意見の一つです。そうした若者に対し、選挙や法制度を他人事に感じさせない最も良いツールこそが生徒会などの身近でかつ実効性のある選挙です。
(模擬選挙は意味が無いわけではないが、仮想の話でしかない)

若者の選挙や政治への忌避感の一つは無力感が原因とされています。そしてそれらの原因を作り出していたのは学校における選挙です。

選挙が教員への忖度になっている、選ばれた代表者が無力で校則などの決まり事を変えることができないといった例を見ていることは若者の無力感と決して無関係ではないでしょう。

しかしそうした空気も変わりつつあります。

今回の大分の事例は単独で見ればそれほど大した事件ではありません。しかし、主権者教育の必要性が高まる昨今の機運に水を差すことになったのは事実です。

成人年齢が18歳となり、中高生への主権者教育がますます求められています。

私たち教員側にも生徒会の選挙などに対して、以前よりも高い意識で関わる必要性があるのではないでしょうか。

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