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【題未定】忙中閑話:趣味や会話とバランス【エッセイ】

この1週間、本業でイレギュラーな業務が増えたために諸々の雑務に追われて心身ともに疲れ切っていた。ほぼ毎晩21時近くに家に着く日が続き、仕事のことで頭がいっぱいだった。作業をしようと机に向かっても、仕事と眠気の挟み撃ちを受けていたため、様々なことを深く考える余裕もなく過ごしてしまった。noteを書く時間を作ってはいたが、義務的な作業に終始してしまい、あまり深みのある内容に練っていないように感じる。文字を並べるだけで本当に伝えたいことを書かず仕舞いだったかもしれない。

 そんな日々であるからカメラを使って写真を撮る時間も取れなかった。これが私の感性や視野を狭めた可能性はあるだろう。写真を通じて見る世界は、私にとって新たな視点を開くきっかけであり、日常の中にある美しさや意味を発見する手助けだ。その時間がなかったことが、私の心と思考を制限してしまったのだろう。

 加えて平日に家族と会話することがほとんどなかったことも反省材料だ。忙しさに追われている間は、家族とのコミュニケーションがおろそかになりがちだ。家族に申し訳ないということもあるが、そもそもプライベートで会話をする機会が少ない私にとって、そうした時間は貴重だったのかもしれない。

 昨日、久しぶりにカメラを手にした時、満月が静かに空に輝いている姿を捉えた。その瞬間、心に安らぎが広がるのを感じることができた。忙しさの中で失っていたものがあったのだろうか。カメラを通じて見る世界は、新たな視点を提供し、私の内面に光を差し込んでくれる。

 私は素人アマチュアカメラマンであり、大したクリエイティビティを発揮しているわけではない。しかし、写真は私にとって非常に内的な意味を持つ。それは単なる風景や物の撮影ではなく、その瞬間の感動や思い出、そして自身の感情や気持ちを映し出すものだ。写真を通じて自分の内面を探り、表現することが、私にとってのここ最近の大きな楽しみでもある。

 忙しさの中であっても、ゆとりや余裕を持つことの大切さを忘れてはいけない。ゆとりが必要なことは以前からわかっていたが、この1週間で改めて痛感した。日々の忙しさは、そうした重要なことを忘れがちにさせる機構が備わっているのかもしれない。意図的にゆとりをつくることが、深い思考やクリエイティブな活動を育むために不可欠なのだろう。

 忙しい日々の中で意図的にゆとりを持とうとする努力や工夫は常に必要だろう。私にとってカメラを通じた新たな発見や深い思索は楽しみというだけではなく、判断力や思考力にさえ影響するのだろう。そうした時間が、私の成長と人生における意味の深化を支えてくれているのかもしれない。

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