見出し画像

宗教2世への相談体制充実を求める文科省からの通知に教育現場は対応可能か

安倍元総理の暗殺以降、宗教問題が何かと話題になっています。

とりわけ直接的な原因の一つとなった、旧統一教会に関しては世間の関心が高く、世論の後押しを受ける形で役所が重い腰を上げた報道が流れています。

文科省からは小中学校、高校へ宗教2世問題などに対して、宗教問題であることから消極的にならずに対応をするように通知があったようです。

学校は支援施設ではない

こういった問題を考える場合、根本的な原則に立ち戻る必要があります。

そもそも論、学校は社会福祉や支援の施設ではないということです。

学校は教育機関であり、その第一義的な使命は「教育」を行うことにあります。

もちろん、生徒が毎日通うという場の特性上、虐待や貧困の兆候を観測しやすい場所であるのは確かです。

しかし、そうした問題の解決を学校がすることが不可能です。人的リソースはもちろんですが、法的権限もそうした活動を前提としてつくられた組織ではありません。
(これまでそこを曖昧にして、すべて学校に押し付けてきたというのが近年の学校を取り巻く社会問題ということです)

学校が可能なのは、カウンセラーやソーシャルワーカー、児童相談所や市町村の福祉事務所へつなぐことのみです。

もちろん早期発見や解決のための協力は重要ですが、それは学校の業務ではないということだけは前提に議論する必要があるでしょう。

学校にできることは存在するのか

保護者の宗教とその家庭における教育方針は密接に関わっています。

聖書を丸ごと信じるのならば、理科の授業はただの嘘っぱちでしかないのです。

また、宗教だけでなく思想信条とも密接にリンクしています。

コミュニスト一家で育った生徒に昨今流行りの株式投資などの教育は忌避されるでしょう。

妊娠以外を目的とした性行為や近代的医療(輸血行為)などを否定する宗教もあります。性教育やジェンダー教育、献血などの慈善活動への呼びかけなどに対して反対の考え方をする人も多数存在します。

学校はあくまでも、世界や日本である程度大多数が正しいと信じるものを教える場所でしかありません。世間一般とは極端にかけ離れた教育方針の家庭の子供を、宗教や思想の呪縛から解き放つことはできないでしょう。

そうした意味では、相談を聞くこと、しかるべき役所などの部署に繋げることしかできないのです。

洗脳と宗教の線引きはできない

そもそも、洗脳のような悪質な誘導と宗教の信心や信仰の線引きはどこでするのでしょうか。

見返りを求めないのがきちんとした宗教だ、と主張する人もいますが、現実には田舎の寺社仏閣には檀家や氏子の必要以上の寄付で建てられた建造物などが存在しています。

個人の思想信条やアイデンティティの深い部分に入り込む宗教に対して、学校教育ができることなどはたかが知れています。

まして、学校は生徒を指導することはできても、宗教問題の多くの主体は保護者であり、学校の領分を大きく超えています。

学校ができることは、食事や生活環境などにおける虐待が見られるような場合の福祉へのスムーズな接続以外にないのです。

どれだけ生徒から相談を受けたとしても、根本的な解決のために教員ができることなどありません。

その点だけは現場の教員の理解はもちろんですが、社会全体やマスコミなどへ周知する必要があるのではないでしょうか。

そうでなければ、また学校というシステムへの無理難題の押し付けが増えるでけでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?