「ノート離れ」に関する一考察
「ノート離れ」に関する記事
記事を要約すると、現在の高1は中学時代から映像授業が多く、授業中にノートをとる習慣が無い、ということです。
この問題には複数の論点が存在します。
それは、そもそも「ノート離れ」なるものは映像授業の影響か、ということ。そしてノートを取ることが学習に必須の行為なのか、という2点です。
「ノート離れ」は映像授業の影響か?
そもそもノート離れなるものは存在するのでしょうか。
これに関してはここ数年で体感的には存在するのでは、と感じる部分があります。
授業中の生徒を見ていると、確かにノートを取らずに見ているだけ、というケースが増加しているように感じます。
では、彼らのそうした行動は映像授業の影響だ、と断定できるでしょうか。
正直なところ、これに関してはかなり疑問符が付きます。
そもそも映像授業は大人達が思うほどには普及していません。
コロナ禍において全国の学校や教育委員会が映像授業を作る、といったお祭り騒ぎがあったのは事実です。
しかし、全国一斉休校が明けた夏以降はほとんどの学校では対面授業が復活しました。
これが2020年、現高1が中学1年生のころの話になります。
そしてその後の2021年に入ってからは映像授業をメインで勉強してたのは一部の塾や予備校に通う生徒と通信制の生徒がほとんどであり、普通校の生徒は常に対面授業がメインだったはずです。
したがって、少なくとも映像授業に慣れ過ぎて「ノート離れ」を起こした、という因果関係を立証するのは無理筋ではないでしょうか。
「ノート離れ」は「主体的・対話的で深い学び」と繋がる可能性
一方で感じるのは、今の生徒はグループワークなどの取り組みに関してはかつての生徒たちよりも「上手に」取り組む印象があります。
これは解答や結論、方向性を導くのに卓越している、ということではなく参加形式に慣れているという意味です。
その様子を見て、あるいは彼らの話を聞くかぎりにおいては、小中学校でそうしたグループワークや相談といった活動が、少し前の時代よりもふんだんに盛り込まれていたようです。
そしてその手の授業においては、ノートテイクを行うことはほとんどありません。
レジュメやワークシートに穴埋めやメモをすることはあっても、板書をするという活動はしない、ということです。
「ノート離れ」に関する考察
以上のことから、私はノートを取らない生徒に関して以下のように考察をしたいと思います。
ノートを取らない生徒は体感的には年々増えているように感じる。
彼らは小学生の時から「主体的・対話的で深い学び」というお題目の下に教育を受けており、講義的授業よりもグループワークや対話型の形式に親しみがある。
そのためノートテイクを主とする座学的な経験が少なく、ノートを取る習慣が身についていない。
経年でこの傾向は進むが、コロナ禍で中学入学を迎えた現高1はいわゆる「中学校」の洗礼を受けていない傾向がある
そのため現高1には「ノート離れ」傾向が特に顕著に感じられる
もちろん「ノート離れ」自体に対する感想自体が主観的なものではあるのですが、安直に「映像授業」を原因と考えるよりは幾分マシかなと思います。
「ノート離れ」の生徒にどう学ばせるか
ここでは「ノート離れ」の是非に関してはあえて触れないようにしたいと思います。
これだけで一つ記事になりそうなほどに深いテーマだからです。
そこで、ここではあえて「ノート離れ」をしているという前提(そもそも仮説ですので)でいかに学びを深めるか、成績を上げるか、点数を取らせるかを考える必要があります。
そしてこの答えこそが「映像授業」の活用です。
彼らは「ノート離れ」しているため、授業の復習をノートを活用して行うことが難しい状況になっています。
そこで、逆に「映像授業」の特性を生かし授業動画そのものを繰り返し見直させることで復習効果を高める、という解決案を提示したいと思います。
そう、つまりそもそも「ノート離れ」をした原因が「映像授業」だったのではなく、「ノート離れ」したがゆえに「映像授業」を活用しなければ学習できない、という原因と結果の混同が起きた可能性があるのです。
「ノート離れ」を起こした世代だからこそ、「映像授業」活用が彼らに対する処方箋となり得るのではないでしょうか。
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