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高校教員である私が浪人を勧めない理由


大学全入時代、到来せず

大学受験の変化について調べると大学全入時代を迎えた、と方々で耳にします。しかし、実際のところはそれほどあまい状況ではありません。

確かに入学難度の低い大学が全入になっていたり、総合型や推薦型と呼ばれる年内入試によって受験勉強をそこまでしっかりせずに合格を勝ち取る生徒がいるのも事実です。

しかし、一方で総合型や推薦型の準備が生半可な受験勉強よりも大変であったり、難関大学に関しては入試問題の難度が高まったりするなど、人口減少が必ずしもかつてより簡単に入れるという状況を導いているわけではありません。

特に受験戦争と呼ばれたバブル期からロスジェネ世代で大学受験から遠ざかっている人(つまり大半の人)の中には、自分の時よりも簡単になっている、今なら早慶に入れる、などとうそぶく人もいますが現実はそこまであまくないということです。
(疑う方はここ数年の共通テストや難関大学の記述試験の問題を見てください。明らかにかつてよりも難化、複雑化しています。)

浪人率の低下の流れ

とはいえ、私立大学の入試の多様化によって第一志望を不合格となっても、私立大学などに滑り止まる確率自体は上がっており、浪人を選ぶ高校生の割合は減少傾向にあります。

かつては3割、4割が浪人すると言われていましたが、現在は20%を下回っていて毎年減少しています。

リンク元の記事にもあるように、中高年以上では浪人ノスタルジー賛歌が目立つようですが、現代の若者の大半は浪人を避けているのが現実です。

浪人という選択を選ぶ場合、大半は難関大学の志望者となっています。

現役進学のすゝめ

結論から言うと、私は個人的に浪人を一切勧めません。

このことに関しては以前にも記事として書きましたが、今回は再度、そして1年以上経った自分の考えをまとめていきたいと思います。

浪人を勧めない理由

理由①:実利的なもの

これに関してはそれこそ以前に書いた記事でまとめたものです。

  1. 費用やコストの問題

  2. 成績向上の期待値の問題

  3. 就職などその後の進路の問題

この辺りに関しては今も同じ感覚で、1年間という若い時期の貴重な時間を使う意味が薄いと感じていることが主な理由です。

理由②:挫折と妥協の重要性

第一志望に合格することはもちろん喜ばしいことですし、それを目指して勉強した以上、報われてほしいと思うのは当然です。

しかし、卒業した生徒の様子を見ると意外に大学生活の充実度が高いのが第一志望を不合格になり、不本意に第二志望以下の大学に進学した生徒です。

より正確に言えば、その挫折経験を受け入れた上できちんと妥協をすることができたケースということです。

もちろん諦めずに次の年まで努力を続け合格をした生徒を評価するのは当たり前なのですが、経済状況や諸々の状況を受け入れてきちんと大人の選択として妥協を選べた生徒に関しても私はきちんとその選択を評価したいと考えています。

長い人生において、全てをベストな選択だけで埋め尽くすことができないのは明らかです。

大学受験という人生の分かれ道において現実的な選択肢を選べたことは、そのこと自体も大きな成長になったのではないでしょうか。
(言うまでもなくそれまでの努力があっての話ではありますが)

理由③:私自身の経験

これは極めて主観的なものですが、私自身が浪人をせずに現役で大学に進学したから、ということです。

私は地元の国立大学に前期で受験し合格しました。しかしもともとは別の大学を志望していましたが、妥協の産物で出身大学に出願した経緯があります。

第一志望ではなかったとはいえ、そこで出会った思わぬ仲間や経験は大きな糧になっています。

想定していない進学先、第一志望ではないがゆえの思わぬ出会いや経験というものの面白さもある、という意識があるため、第一志望にこだわりすぎることなく現役で進学する選択肢に価値を感じるのです。

もちろんこだわっても良い

言うまでもないことですが、第一志望にこだわって浪人する生徒を悪く言うつもりはまったくありませんし、むしろその選択をした勇気と意欲は高く評価すべきです。

しかし、大学入学時点の学力を重視する日本の学歴偏重主義には疑問を感じますし、予備校が設定した偏差値なる謎指標を研究機関たる大学の優劣の基準にすることは明らかな間違いであると思います。

まずはご縁の合った大学に入学し、そこでしっかりと高等教育を受けて学びを深めることの方が、偏差値を上げる勉強よりもよっぽど価値があるのではないでしょうか。

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