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「みんな揃って損をしよう」という学校文化

コロナが収束を見せる中、学校では多くの行事が再開しています。

しかし、その一方で下がり続ける教員採用試験の倍率など、教育現場は深刻な人手不足に陥っています。

教員だけでない人手不足

そうした人手不足は教員だけではないようです。

バスのドライバーはその一つです。

コロナ禍で観光需要が低下し、ドライバーの数も業者の倒産や整理解雇などで大きく減少しました。

ところが、コロナの終息とともに観光需要が増加し、現在はバスドライバーが大きく不足しているとのことです。

北海道などの観光地ではなおさらのことかもしれません。

バス移動でプールの授業

北海道、函館市では小学校にプールを設置していない学校が複数存在し、そうした学校はバスを利用してプールのある学校に移動して授業を行っていたようです。

今年度に入ってからは、そのドライバーが不足し移動手段の確保が難しいためにプールの授業を中止したとのことです。

ここまでであれば仕方ないことだと思います。

人員の確保が出来次第実施したり、長期休みを利用するなどの方法も考えられるでしょう。

ところがこの話の恐ろしいところは別に存在します。それは、中止をする対象です。

なんと、函館市内の「すべての」小学校で中止をするというのです。

プールの設置をしている小学校数

函館市内ではプールの設置数は39校中19校、約半数しか設置していないそうです。(この割合の少なさも驚きますが)

とはいえ、ドライバーの問題だけで言えば半数の学校は授業ができることになります。

リンク先の記事には以下のような一文があります。

さらに、プールがある学校だけで授業を実施した場合、教育格差が生まれることから市内のすべての小学校で中止を決めました。

教育格差が生まれる、という言い方は聞こえは良いのですが、実施できるにも関わらず実施しないというスタンスに個人的には疑問に感じます。

これがまかり通るのであれば、教員不足で担任や専科がいない学校は教育格差是正のために授業をしない、ということも許されてしまうのではないでしょうか。

プール授業そのものの存在意義

個人的にはプール授業そのものの存在意義も疑問を感じる部分はあります。

学校のプール授業で泳げるようになる生徒はそれほど多くないという実感があるからです。

泳げる子供の大半はスイミングスクールに通っていたり、保護者から指導を受けているケースが多いように思うからです。(学校の人数でプールの指導と監督は実質的には不可能と感じています)

またプールの設備維持や運用コストも考えると、外部委託を行うべきなのかも、とも考えています。

日本的横並びの強制

こうした横並びで強制を行う慣習は日本においてはいたるところで見られます。

学校教育においてはあらゆるものが一律で統一され、強制をされます。

学習の習得具合に差があっても全員が進級するシステムなどはその良い例でしょう。

今回のプール中止にしてもそうした出る杭を打つ文化が原因のように見えるのです。

仮に不公平だというのならば、次年度に向けて確保する、温水プールなどの利用を時期をずらして実施する、といった手法もとれたでしょう。

少なくとも今年実施可能な子供たちの授業を中止する理由にはならないでしょう。

見えない事情もあり、この函館市の対応の是非を論じるのは難しいところです。

とはいえ、一部が出来ないから全員やらない、過度な公平性の強要に関しては考え直すべき時期に来ているのではないでしょうか。


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