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マーケットイン戦略が消耗戦に繋がる

前回の記事で「プロダクトアウト」について触れました。

それと対比する考え方として「マーケットイン」という考え方があります。

そして、これが現在の教育現場の混乱の原因になっているのではという考えをまとめたいと思います。

「プロダクトアウト」と「マーケットイン」

「プロダクトアウト」と「マーケットイン」について言葉の意味を確認します。
(本記事においては”・”を省略)

プロダクト・アウトとは,企業が開発・生産した製品を販売促進の強化によって,消費者へ売り込む技術先行型のスタイルのこと。それに対して,消費者のニーズに合わせて企業が製品を開発・供給する市場ニーズ先行型のスタイルをマーケット・イン market-inと呼ぶ。
〜中略〜
1975年以降特に消費者の欲求の個性化・感性化が喧伝されるようになるにつれ,マーケット・イン型の重要性が認識され始めてきた。いわゆる生産志向から市場志向への転換である。

コトバンクより

マーケティング用語で、企業戦略や方針に関するものです。

高度経済成長期において、市場調査を行いシェア拡大や売上を伸ばしていった手法が「マーケットイン」です。

有名企業ではトヨタ自動車のマーケットイン戦略は非常に有名です。

市場調査を徹底して、消費者ニーズの強い車格や車種を集中して生産したり、同業他社の人気車種の分析と研究を行い丸パクリ類似した車種で市場を独占する手法は有名です。

プロダクトアウト戦略の代表格はアップルでしょうか。

現時点で消費者が必要だとは思っていないが、新しい価値観を提案をすることで大きく生活スタイルを変化させて先行者利益を独占する、というものです。

(トヨタもプロダクトアウト型、アップルもマーケットイン型の戦略を行うこともある。プリウスはプロダクトアウト、今回のMacbook Proの端子はマーケットイン戦略でしょう)

かつての学校はプロダクトアウト型

かつて、学校は完全なプロダクトアウト型組織でした。

消費者のニーズよりも、国家百年の計を目指して教育という事業を行う公的機関であり、権威によって保護者を納得させていたわけです。

教員の社会的評価も高く、尊敬されていたために消費者は学費を払い、子供を通わせ、その教育の成果にある程度は満足をしていました。

他に代替機関もなく、保護者ができない特殊な高度な知識を教えるという認識があったためです。

より正確に言えば、売り込むことすらなく、顧客が付いていたとも言えます。

この半世紀でマーケットイン型へ

この半世紀で初等、中等教育を受けた人は激増しそれほどそれらの学校が高度な知識を与えるものであるという認識が薄れました。

また、保護者の半数近くは高等教育を受けており、かつては高等教育を受けた稀有な人材であった教員の希少性は薄れ、その権威を失いました。

こうして、学校を地域の御用聞きや託児所としか認識しない消費者が増大しました。

これらの消費者は購入先を選択するという消費行動は取ることはありませんが、行政や法人に対し直接的なクレームやロビー活動で圧力をかけます。

必然的に、学校はそれらの消費者のニーズを察知し、受け入れ、新たな商品を開発する必要性に迫られて、マーケットイン型へ移行しました。

それが、長時間労働などの教員の労働問題に影響しているわけです。

新興私立がプロダクトアウト型で好評価

近年、人気を博している私立学校の多くはプロダクトアウト型の経営戦略を取っています。

例えば、三田国際学園中学校・高等学校はその良い例と言えます。

偏差値的な消費者ニーズによらず、国際性や世界標準の教育というコンセプトを売りにして入学者を集めています。
(入試制度の分割などを上手く使っているというのもありますが、コンセプトが受けていることは事実です)

これ以外にも、広尾学園やドルトン学園など偏差値だけを売りにしない学校が出てきていることは新しい動きであり、プロダクトアウト戦略が功を奏した例ではないでしょうか。

この辺りが、渋谷教育学園や西大和、北嶺などの新興超進学校が台頭してきた時期と比べて大きな違いのように感じます。

新指導要領はプロダクトアウト型の提案を学校に求める

新しい指導要領は教育活動を地域社会への広がりに求め、主体性を育む探究学習などの活動を重視しています。

そして、これらの活動の具体的な計画を通っている生徒や保護者だけでなく地域住民に対して提案することを学校に要求しています。

これはマーケットイン思考では対応できません。なぜならば、生徒や保護者、地域住民のニーズからでは次世代に必要な力の構成を組み立てることは難しいからです。

マーケットイン思考で、学校への際限ない要求を受け入れ続ける消耗戦から撤退し、プロダクトアウト型の提案とそのリスクを受け入れる覚悟を持つことが新しい教育を模索する道になるのではないでしょうか。

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