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この社会の恋愛文化に思うこと

これは僕のためのリストです。恋愛に関する疑問を言葉にしておかなければならないと感じていました。多くの人にとっては共感できないかもしれませんが、僕にとって、また一部のアロマンティックな感覚を共有している人にとってはわかるかもしれません。

  • なぜ友情より恋愛の方が重要だと思われているのかがよくわからない。

  • (異性愛において)長年同性なら同性同士で固まっておいて、一番重要な人間関係は異性に限定するのが訳がわからない。これまで深く関わってこなかった性質の人がなぜ一番重要な人間になるのか。

  • 恋愛関係=彼氏/彼女と人間関係を縛り付ける意味がわからない。

  • 恋愛関係が一番の承認に繋がるのはなぜか。

  • 言ってしまえばただの関係性の一つに過ぎない恋愛関係がステータスになるのはなぜか。

  • なぜ人を所有できると考えているのか。

  • 恋愛感情から家族愛に変わるという意味がわからない。家族愛ってそもそもなんなんだ。

  • なぜ世の中の音楽は恋愛のことばかりなのか。

  • なぜ友情は恋愛よりドラマチックなものとして捉えられないのか。

  • 恋愛したいと思うとはどういうことなのか。

  • 彼氏や彼女という言葉の意味がわかっていない。そこには人間関係のモノ化が行われている。しかし、感情は固定でも永遠でもない。

  • 友情には関係性の変化も含まれうるが、恋愛には感情の固定化が求められているのはなぜか。

  • 異性愛者にとって、異性との友情は成立しない。少なくとも同性の友達ほどにならないのはなぜか。

  • つまるところ、異性愛者にとっての異性との友情は、切ろうと思えば切れる程度のものにすぎないのか。

  • 恋愛感情が湧かないと言うと冷酷な人間のように扱われるのはなぜか。ロボット?

  • 恋愛によって拠り所を得るよりも、むしろ無くしているように見える人がいるのはなぜか。

雑記

もっと友情など、恋愛に回収されない関係性のあり方を描いたコンテンツが生まれて欲しいと思っています。この世の中には恋愛を描いた作品(特に異性愛)が多すぎると思っているし、僕からすれば飽和状態だと感じるほどなのに、いまだに増殖している。消費している人たちはいい加減飽きないのかなーと感じています。

また、恋愛感情が湧かないアロマンティックであることに気づいたのは今年に入ってからでしたが、今までのもやもやは上記で書いたことと重なります。

確かにアロマンティックという言葉によって救われた部分もありますが、より一層自分のできないこと、分からないことが明確になったと言うことは、もやもやが強固な壁になっただけなのではないかと思うこともあります。

それでも自分のままならなさを言葉にするだけでも、意味があることだと思うし、僕と同じような人は確実にいるはずなので、ここに残しておきます。

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