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【読了】Red

不倫の話だと思っていた。
大方その通りだった。
だが、それだけではなかった。
道徳から逸れた男女の淫欲を綴っていながら、時折純心が見え隠れする、欲望の中に透き通ったものが混じっている、そんな世界だった。

"不倫をしてはいけない"

小学校の道徳の授業でも、中学校の保健の授業でも習った記憶など無いのになぜか、その概念は僕の中にいつからか居座っている。

とは言っても、不倫はきっとなくならないとも思う。「不倫は文化」なんて言葉がある。発言騒動の真相は置いておくとしても、あながち間違ってはいない気がする。教育や学問として枠付けするにはあまりに不明解で多角的な領域。行為の善悪の問題以前に、人が人として繁栄を歩んでいる時点で抗えたものではないのだろう。

何だか、不貞行為を許諾しているようになってしまったが、決してそうではない。
"不倫をしてはいけない"
その縛りつけは僕の理性の中に確かにある。
ただ、僕が不倫に対して頭から否定的な考えを持った人間であるなら、きっとこの本を手に取ってはいない。


私は下を向いて、両手で顔を覆い隠した。
遠い昔に手放したと思っていた愛が溢れないように。

彼女の気持ちが、やんわりと両眼を揺さぶった。
なぜか。それは僕にもあるからだろう。遠い昔に手放したものが。それはきっと愛では無いが愛に似た何か、自分でもわからない、ただ美しい色をした記憶だ。もう2度と開けることはないと痛みで鍵をかけたその記憶は、僕の片隅で静かに過去と同居している。

しかし、彼女は違う。手放したと思っていたかつての愛に、不意に再会してしまう。
人には図らずも変化が訪れるものだが、彼女が望んでか望まずか選択した人生にその愛を持ち込むことはできない。もう昔と同じ気持ちを抱いてはいけない。
抱くほどに、それは不純物へと変わってしまう。
自分がもし彼女のように記憶の鍵を開けられてしまったら、と考えずにはいられない。


自分の意志を超えて細胞から引きずられてしまう。そんな相手がこの世にいるなんて、想像もしていなかった。

当然彼女にも分かっているのだ。自分の邪な愛情が、それ以外の全ての歯車を壊してしまう事など。
分かっていても、それは理性でしかなく、理性など生物としての本能に侵食された途端に脆く朽ちるうわべの抑制でしかない。
生物としての性を内包したまま、人間としての役割を生きる危うさと難しさを感じる。


なにひとつ特別じゃない、とびきり魅力的でもない、大多数の男に備わった細部で、それに欲情するのは、私がただ、この人を好きだからだ、触れただけで泣きそうになる奇跡を味わった。

まるで真っ白な新雪に足を踏み入れる時の淡い嫌悪感と、心地よさと、儚さがぐちゃぐちゃに溶けていくような感覚だった。理性の上に立ったままでは見えない景色を彼女の中に見た。
読み終えてもなお、不倫をしてはいけないと思う。
だがそれは未だかつて僕が、壊れるほどの色欲に駆られたことがないだけだからなのだろう。



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