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なぜ、問題行動に走るのかは【5ステップ】で当てはめる

こんにちはSHOです。僕のnoteを読んで頂きありがとうございます。

今回はいつもと違うのですが、テーマを話す前に少し自分の話をさせてください。

○死にたいと思ったことはありますか?

まさにこの通りなのですが、これを読んでいるあなたは「死にたい」と思ったことはありますでしょうか?

僕は、あるんです。

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自分はなんて無価値なんだろうか、生きている意味なんてあるんだろうか。どうしたらいいんだ、いっそいなくなってしまったほうがいいんじゃないか。

そう考え、夜中に家を飛び出し1人歩き始めました。

最初はそこまで車の通りが多くないところを歩いていたんですが、しばらくすると車が通りが多くなるところにやってきました。

ビールを片手に持ち、多少お酒を飲みながら歩いていたので若干ではありますがフラフラしながら歩いていたと思います。

この感じなら....と思い後ろから車の気配を感じたので道路の真ん中の方に寄せていったのですが.....

ライトに照らされた瞬間、クラクションを鳴らされ「はっ!」と咄嗟に怖くなって外に逃げていってしまいました。

何が言いたいかというと、結局僕は「死にたい」と口には出していたものの死ぬ勇気も覚悟も持ち合わせていなかったのです。

「死ぬ勇気も覚悟もないくせに、死ぬなんて言葉使うんじゃないよ!」

怒られてしまいました。でもその通りなんです。ただ、心配されたくて、こんなことすれば僕の見方も変わるんじゃないかって思って。

それ以来、僕は2度と自分で「死ぬ」という言葉を軽々しく使うまいと誓いました。

○10/31 京王線車内刺傷事件

被害に遭われてしまった方には心よりお悔やみ申し上げたい。似たような事件がちょっと前に小田急線内でもあったんだけど、今度は京王線か、本当に怖いからやめてほしい。電車好きの僕としては、こういう事件があることで「電車は怖い」と思ってしまう人が増えてしまいそうで本当に残念で仕方がない。

そして今回の容疑者の彼。彼の考え方は非常に問題がある。

彼の事件後の供述の一部をみると「今年6月ごろに仕事で失敗し、友人関係もうまくいかず、死にたかった。自分では死ねないので、2人以上殺して死刑になりたかった」などと言っていたり、「人を殺すジョーカーにあこがれていた。犯行の勝負服として購入した」と言っていたり、「殺せなくて悔しい」などと言っているようなのです。

読めば分かるとおり「異常」の2文字です。ただし、この人が本当にしたかったこと、求めていたこと、望んでいたことは何なんだろうか?って考えたときに、額面通り「人を殺したかった」「死刑になりたかった」というところではないと僕は思っています。本当に望んでいたことは「人殺し」ではないんじゃないかな。だから殺せなかったんだし、悔しいっていう感情は偽物の感情だと思う。

僕が事情聴取をしているわけではないんで、何とも言えないところはあるんだけど、きっとこの人は「注目されたかった」気持ちが絶対にあるはず。いわゆる【承認欲求】というやつです。本当はもっと自分の価値を認めてほしい、誰かに褒められたい気持ちがあったのじゃないかな。

でも、それが叶わなかった。だったら人に迷惑をかけてでもいいから「俺のこと見ろよ!」的な気持ちで犯行に及んだんじゃないだろうか。これが僕の推測です。

○問題行動の背後に働く5つの心理段階

タイムリーな事件を引き合いに出したのですが、今回の行動は明らかに異常であり、問題行動と言えます。言い方に問題があることを承知で申し上げるのなら、もし本気で死にたいのであれば人への迷惑は最小限に済ませるべきです。誰にも迷惑をかけて死ぬことなんてできないんです。

今回は多くの人に迷惑をかけてしまいました。憎しみが生じたら連鎖していくのです。それなのになぜ人は問題行動に走ってしまうのでしょうか?

これを説明するのに非常に参考になることが「幸せになる勇気」という本の中に書かれてあります。今回僕がここで説明することは「幸せになる勇気」に書かれてある「問題行動の背後に働く5つの心理段階」についてです。

「幸せになる勇気」に書かれてあることについては後日解説していきますので、今回はこのテーマについてまとめていきます。1から5にかけて徐々にエスカレートしていくので、なるべく早い段階で対策を講じなければなりません。

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1 称賛の要求

例えば子どもたちは、親や教師に対して「良い子」を演じ、組織で働く人間は上司や先輩に対してやる気や従順さをアピールします。それによって褒められようとするのです。

これって一見誰にも迷惑をかけているようには見えず、生産的な活動に取り組んでいるようにも見えますが、彼らの目的は「ほめてもらうこと」なのです。いわゆる『他者承認』というものです。さらにいえば所属する共同体の中で特権的な地位を得ることです。

なので、もし誰からもほめられることがなかったら、特別視されることがなかったらどうなるのかというと、努力することは意味がないと思うだろうし、意欲・モチベーションは無くなっていきます。何か良いことをしたい、貢献したいとかそういう気持ちはありません。単に「ほめられることをしたい」だけです。

このようなタイプの人はほめてくれる人がいないと適切な行動をしないし、罰を与える、叱るような人がいなければ不適切な行動もしてしまうような世界観(ライフスタイル)を身につけていくのです。

なので、教育者や親、指導者は、彼らのやっていること、行為だけに目を向けるだけではなくて、その目的を見定めないといけないのです。このタイプの人は「特別でありたい」「注目されたい」「ほめてもらいたい」という想いが強すぎるので、そんな特別ではなくて価値があるのだと教えていく必要があります。

具体的には「良いこと」をしたときに注目をするのではなくて、日頃の些細な言動に目を向け、その人が興味・関心があることに注目し、共感を寄せていくことが大事です。

2 注目喚起

・良いことをしたのにほめてくれない
・組織の中で特権的な地位を得るまでには至らない
・ほめられることをやり遂げるだけの勇気や根気もない

こういう時に「もうほめられなくても良いや、何でも良いから目立ってやろう」と考えるようになるタイプの人がいます。叱られようが、悪いことをしてでもです。「なりふり構わず」という言葉がマッチしているのではないでしょうか。

このタイプの人の行動の本質的なところには「悪いことをしよう」という気持ちではなく、とにかく「目立ってやろう」というものがあるのです。組織の中で特権的な地位を得たい、確固たる居場所がほしいというのが彼らの目的です。正攻法ではもううまくいかないから、別の手段を講じることで「特別なわたし」をアピールしていくのです。「良い子」はもう無理だ、じゃあ「悪い子」になってそれを叶えようという魂胆です。

上でも書いて同じことの繰り返しですが、怒られても良いし、悪いことをしても良いと思っているのです。自分の存在を認めてくれない、存在を無視されるくらいなら、怒られてでも、悪いことをしてでも注目されたい、特別視されたいと思ってしまうのです。

こういうタイプの人に対して伝えるべきことは「称賛の欲求」の場合とほぼ同じです。

3 権力争い

この段階に来ると、このタイプの人は誰でも従うことはなく、挑発を繰り返し戦いを挑もうとします。その戦いに勝利を収めることによって、自らの「力」を誇示しようとします。いわゆる『反抗をする』というものです。

これは殴り合いの喧嘩をするというわけではありません。口汚い言葉で罵倒したり、軽犯罪(万引き・器物破損)などを行ったりと平然とルールを破ることだってあります。

積極的な人はこのような行動をとるかもしれませんが、では消極的な人はどうなるのかというと「不従順」によって権力争いに挑んできます。どんなに厳しく叱られようと、勉強や習い事を拒絶したり、親や教育者、指導者たちの言葉に無視を決め込みます。

本当にやりたくないのではありません。勉強や習い事を不要だと思っているわけではないのですが、ただただ不従順を貫くことによって自らの力を証明したいと考えるのです。

ここで多くの人が相手に対し「叱責」をしてしまうのですが、それは相手の挑発に乗って同じ土俵にあがっているに過ぎません。次なる手段で反抗をしてくるだけです。がっぷり四つの状態が続くわけです。

この場合、仮に法に触れる場合であれば、法に従った対処が必要なのですが、それ以外の権力争いを察知したときには、すぐさま彼らのコートから退場することが必要です。叱責することはもちろん、腹立たしい表情を浮かべるだけでも権力争いの場に立ってしまうと考えましょう。

4 復讐

権力争いを挑んだのに勝てない、歯が立たない、勝利を収めることができず、特権的な地位を得ることもできない。相手にされず敗北を喫した場合、彼らが次にとる行動は「復讐」です。認めてくれなかった人、愛してくれなかった人に対して愛の復讐を画策します。

<称賛の欲求、注目喚起、権力争い>これらの問題行動の根底にあるものは「もっとわたしを見てほしい、注目してほしい」という愛を乞う気持ちです。いわゆる承認欲求なのです。そうした愛の欲求が満たされないと分かると、人は一転して憎しみを求めるようになるのです。

これ、NARUTOを読んでいる人なら分かるかなって思うんだけど、まさに「うちは一族」やないかーい!って思うんです。

「愛してくれないことは分かりました、だったらいっそ憎んでほしい。憎悪という感情の中で、わたしに注目してほしい。」と考えるようになります。

この段階まできた人は、もう誰からも称えられることはありません。どんどん孤立していきます。それでも良いんです。「憎まれている」という1点で繋がろうとするのです。

さらにこのタイプの人は正面きって戦ってくることをしません。「悪いことをしよう」ではなくて「相手が嫌がること」をひたすら繰り返します。例えばストーカー。これをすれば相手が嫌がることもわかっているけど、それでも憎悪や嫌悪によって繋がろうと画策します。アドラー心理学では自傷行為や引きこもりも復讐の一環だと考えられています。自分を傷つけ、自らの価値を毀損していくことで「こんなわたしになってしまったのはお前のせいだからな」と訴えます。

この段階まできてしまったら、もう何もできることはありません。手を差し伸べれば「復讐の機会がきた」とばかりに言動をエスカレートさせていきます。利害関係のない第三者に助けを求めるしかないのです。

5 無能の証明

もし、あなたが「特別な存在」として扱われたいがために、様々な策を講じてきたものの、どれもうまくいかなかった、親も、教師も、上司も、友達も、みーんな憎むことすらしてくれない。わたしの居場所なんてどこにもない、見出すことができないとしたらどうしますか?

諦めよう

こう考える人が多いのではないでしょうか。だって、何をしても認めてくれない、努力なんてしたくないよって。

でも、親や教師や指導者や会社の上司が

・あなたならできる!もっとやりなさい!
・頑張りなさい!甘えてるんじゃないの!

とまぁ色々な形で介入してくることが想像できますが、もう正直ほっといてほしい、迷惑なんだ、もうこれ以上わたしに期待しないでほしいと思うようになってしまいます。この思いが「無能の証明」につながります。

今の自分に絶望し、人生にも絶望し、自分のことを心底嫌いになり、自分には何もできない、何も解決する力もない、無価値なんだと思い込むようになります。そして、これ以上の絶望を経験しないために、あらゆる課題から逃げ回るようになります。もうこれ以上傷つきたくないのです。「できるかもしれない」と課題に取り組んで失敗するくらいなら、最初から「できるはずがないんだ」と諦めた方が楽なのです。

なので、このタイプの人は「自分がいかに無能であるか」ということをありとあらゆる手段を用いて証明しようとします。あからさまな愚者を演じ、何事にも無気力になり、どんな簡単な課題にも取り組もうとしなくなります。演じているうちに、本当にそうなんだと信じ込むようにもなります。

この段階に来てしまった人には、もう何もできることはないのは「復讐」の場合と同じです。利害関係のない第三者に助けを求めるしかないのです。

第3段階で踏みとどまれば、まだ何とかできる余地があるのですが、第4段階に踏み込んでしまうと、もう当事者同士で解決することが非常に難しくなるのです。精神も不安定になってくるので精神疾患を患う可能性も高くなります。

この内容は先ほども申し上げた通り「幸せになる勇気」に書いてあり、それを参考にしてまとめています。「嫌われる勇気」を読んだ人は結構いますが、実は「幸せになる勇気」の内容の方が大事なことが書かれています!なので読んだことがない人は是非この機会に読んでみてほしいです。

今回は「問題行動の背後に働く5つの心理段階」をテーマに書かせていただきましたが、問題行動をするタイプに多いのは「過度な承認欲求」「過度な自己愛」をもつ人だと僕は考えています。

承認欲求については何点かまとめていますが、自己愛についてもこれから触れていきたいので、気になった方は僕のnoteをフォローして頂けると嬉しいです。

では今回は以上となります。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

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