「覚悟」と「信頼」と「機微」

最近見たいくつかの話が、自分の中で繋がったので、書いておきます。

まずはこれらのポストです。

これらは記載もありますが「覚悟」の話だと思いました。
いわゆる日本の会社における10年程度の社会人生活の感覚からすると、まぁ大体みんなあまり何もわからずに仕事しているし、
基本的にルールで縛られているので、まぁ普通に作業を進めていけば、大失敗するようなことはないのが、大多数の仕事かなと思っています。

特に大企業では、構造的に専門的な中身についてはわからない状況の中で、判断しなければいけないケースは多々あるのではと思います、良し悪しは置いておいて。

そんな時に結局問われることのひとつは、「覚悟」がどの程度あるかなのだろうと。
自信を持って言い切れるのか、と言い換えてもいいかもしれません。
立場によらず、何かがあった時に責任を持つ気概を感じられるか、と言い換えてもいいかもしれません。

全く論理的でないとは思いますが、結局そういうコミュニケーションの積み重ねで、社会は成り立っているんだろうと考えています。

そして、この記事です。

「信頼」の話をしていますが、これは「覚悟」の話と地続きです。
「信頼」をするためにどこを見て判断するか?という視点で考えたときに、ロジックなんて大体のことは誰が考えても同じなわけで、最後の部分の覚悟ぐらいしかないのではないでしょうか。

しかしながら全く過程の見えない「覚悟」だけでは、まともな説明ができません。
それは承認者に対しての話もそうですし、その後関わりうる全てのステイクホルダーに説明ができないということは、承認者とステイクホルダーへの「信頼」の問題にも直結するわけです。

だから、過程と「覚悟」が「信頼」を得ることには重要なのです。

最後に、このポッドキャストです。

素晴らしかった映画「夜明けのすべて」について語っていますが、これまでの話を踏まえて、より「信頼」を得られるものは、何が違うのか?ということを考えていました。

それが「機微」だというのが、今の自分の結論です。

ロジックは誰が考えても大して変わらないけれども、結局一つひとつの物事の隙間に現れる「機微」にこそ、記名性が宿り、「信頼」に繋がるのだと思います。

そういう「機微」に富んだ作品だったのが「夜明けのすべて」だったわけですが、きっと目の前の仕事においても同じです。
誰がやっても大して変わらないような仕事の中に、いかに自分の「機微」を埋め込めるか。
逆転すれば、いかに他者が埋め込んだ「機微」を受け取ることができるか。

そういうことが、日々の生活に重要なのだなということを、改めて考える機会になったという話でした。


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