「令和元年のテロリズム」~"テロ"と捉えることで浮かび上がらせる社会課題~
令和元年のテロリズム / 磯部 涼(著/文)
2021年10月31日に起きた京王線刺傷事件。それを模倣して2021年11月8日に起きた九州新幹線での放火未遂事件。2022年1月25日、大学入学共通テスト当日に、試験会場であった東大前で発生した殺人未遂の東京大学前刺傷事件。
なんだか、気になる事件が立て続けに起こっているように思えた。その時に思い出したのが、この本である。
もともとは、愛聴しているポッドキャスト「POP LIFE: The Podcast」にて、著者の磯部涼をゲストに迎えた回を聴いていたので、そこで知った本だったと思う。去年から今年にかけて起きた事件も、この「令和元年のテロリズム」からの地続きなのではないか。そんなことを考えながら読み始めた。
この本は、令和元年に起きた川崎殺傷事件、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火殺傷事件の3つの殺人事件を追ったノンフィクションである。どれもセンセーショナルな事件であったが、殊更その内情は、酷い事件だったねといって忘れさられていくような類のものではないことが良く分かる。
上記の事件は、確かに「テロ」という言葉から想像する事件からは若干ズレているようにも思える。しかし、
というように、広義のテロリズムとしてこれらの事件を捉えて考えてみれば、背景に埋め込まれた複雑怪奇な社会課題の様相が見え隠れする。
この本はあくまでノンフィクションであり、その先の社会課題に対する言及は最低限に留められている。自分としても、現時点で何か言及できることがあるわけでもない。
しかし、昨今の事件にも、おそらくこの「令和元年のテロリズム」に通ずるものがあるのではないかと、読後の今も感じている。時折言われるように、確かに過去の事件と比較すると、それぞれの事件の凶悪性やその被害の規模というのは小さくなっているのかもしれない。しかし、果たしてその背面に存在する社会課題の多寡について、どれだけ興味が向けられているだろうか。最も恐ろしいのは、それぞれの事件が、それぞれの事件として、表面的な扱いだけを受けて、忘れ去られていくことだ。そういった意味で、テロという括りの中で、事件を扱っていくことに意義はあるのではないか。
我々の、事件との向き合い方、そしてそこから接続して社会について考えていくこと。そこに、この先の未来が掛かっている。そう言っても過言ではないかもしれない。
参考
#171 ポップ・カルチャーと犯罪:『令和元年のテロリズム』著者を迎えて Guest: 磯部涼
テロってなんだっけ。磯部涼『令和元年のテロリズム』を読んだ。 | Books&Apps
磯部涼『令和元年のテロリズム』感想〜生まれなければ苦しみもない反出生主義を後押しする主義なき爆弾の連鎖 - 太陽がまぶしかったから
『令和元年のテロリズム』令和日本のいびつな自画像
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