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「ありのままの自分を出すことで、見える景色」

もしかしたら、夢の世界だったのかもしれない。2週間が経ち、今はそんな感覚を持ち始めている。

先日の5/13.14に1泊2日の合宿があった。昨年の9月から通っていたコーチ養成講座の最後のコース。改めて、コーチングという価値、対話をすることで生まれる可能性をひしひしと感じていた。

今までのオンラインの講座では体感できないようなコンテンツであり、これだけ自分の過去から目を背けずに、向きあったことは無いだろう。

いつもなら要点をまとめながら、読みやすいように書くことを意識をするが、今日はつらつらと書いていく。

今、感じていること

アドバンスの感覚が少しずつ薄れ始めている事への怖さを日に日に感じている。

正直、今こうやって記事を書きながらも何か他のことで頭がいっぱいだ。今を生きることができていない。

だからこそ、湧き上がってくるものも感じ取れなくなっている。感じたものを感じるがままに出す。自分の内側から湧き上がってくるエネルギーを放出する。

そんなことができていない感覚にあり、良く見せようとか、弱いところは見せたくないという想いがまた出てき始めた。

それはさておき、アドバンスで向き合った今までの過去について書いてみようと思う。

今のOSが作られた過去と苦悩

生まれてから中学を卒業するまで、私は見た目にコンプレックスを持っていた。というのも初対面の人から良く「ハーフ?」と聞かれるほど、目・髪・肌の色素が薄かった。

周りと違うだけで、注目されたりからかわれたり。

注目されることで恥ずかしくなり、よく顔を真っ赤にしていた。それを面白がられ、より一層からかわれるようになった。

だからこそ、幼少期は周りの目を気にすることが多く、上手く感情というものを出さないよう生きていた。

注目を浴びたいという気持ちと、注目されることによる恥ずかしさという気持ちを持ちながら生きていた。

無意識のうちに、自分の存在する価値というものをすごく気にするようになっていた。

例えば、小学校の野球部で言うと、声出しをめちゃくちゃ頑張っていた。どうしてもバッティングでは、チームに貢献することが難しく、なんとかして自分が存在する価値や意味をアピールしたかったのかもしれない。

昔から勉強をすることは嫌いではなかったので、勉強に関しては良く周りから褒められることや注目されることが多かった。

冒頭に書いたように見た目が周りと違うというだけで、仲間外れにされたり、いじめられたり。そんな痛みを抱えながら、過ごした幼少期。

できるだけ目立たないように、注目されないように生きていた。でもやっぱり人とつながりを感じたいからこそ、何かで誰かの役に立つように振る舞っていた。

昔から自分の幸せを後回しにし、周りの人がどれだけ気持ちよく生きれるかどうかばかりを気にしていた。

そんな生き方をしていると、それが当たり前となり、自分のOSは周りの人を基準に求められている〇を出し続けていた。

中学校までは自己肯定感が低く、自分を受け容れることができなかった。しかし、高校になると環境ががらりと変わり、自分のことを好きになれる機会が増えた。

部活動や勉強、そして恋愛で成功体験が積み重なり、少しずつ自己肯定感を挙げながら、生きていくことができていた。

昔から周りの目を気にし、自分の幸せではなく、他の人の幸せを優先していた反動により、家族と接するときは自分の事しか考えずに生きていた。しかもそれは無意識的にやっていた事である。

一番大切な家族に対して、そう振る舞っていた自分に気付く大きなきっかけがあった。

それは、母親がうつ病になった時のことである。それまでの自分は母親のことを母親という役割でしかとらえていなかった。

いつも弱いところは見せずに、明るい母親がこんな状況になるまで、気付けなかった自分自身に怒りと悲壮感を感じていた。

いつも困った時は側にいて助けてくれる家族。そんな人たちを大切にできていなかったことを受け容れるのは苦しかった。

その後、大学3年のタイミングで私もうつ病になった。母親よりも病状は軽度であったため、薬を飲みながら回復していった。

こんな自分でもうつ病になるのだと、びっくりしたと同時に、精神的な目に見えない病気は自分自身をめちゃくちゃ苦しめ、しんどかった。

そこから月日は流れ、昨年の4月から環境が大きく変化した。社会人になり、東京に拠点を移し、1人暮らしが始まった。

私は自分自身のことを仕事ができ、何事も上手くいくだろうと社会人になる前は考えていたが、その考えは甘かった。

今までに感じたことのないような劣等感。そして、意味や価値を自分自身が出せていないということをずっと感じていた。

そんな自分を受けいれることができず、うつ病が再発した。昨年の8月から現在まで薬を飲みながら、治ったりしんどくなったりを繰り返している。

うつ病になってから次の日を迎えることが怖くなっていった。何度も再発を繰り返し、状態が良くなってもまたいつか来るのではないかと。

最近は、周りの人にうつ病の事をオープンにし始めて、少しだけ生きやすくなった。人は見かけによらず、何かを抱えながら生きている。目に見えないもので苦しんでいる人もいる。

結局、この過去について書きたかったことをまとめるとこんな感じだろう。

・幼少期の見た目へのコンプレックスで自分を抑え込んでいた
・周りの人の幸せを優先していた
・自分は幸せになってはいけないと感じていた
・大切な人を役割としてしか見れていなかった
・20歳からうつ病になり、今も治療しながら過ごしている

OSのアップデートと現在

そんな過去の自分と向き合い、たくさんの気付きを得ることになった。相手起点に合わせながら生きるのは、誰も幸せにならない。

そして、外側からくるエネルギーは枯渇してしまうということ。内側から溢れ出す、エネルギーを放出することで、自分らしく生きることができ、周りの人に良い影響を与える存在となる。

これからの人生は、自分起点から湧き上がってくるものを出し、意味や正解や価値だけを追い求めない。

とはいうものの、今までのOSはかなり強い。それなりの時間を他者起点で生きていたからこそ、意識をしないとまだまだ過去のままとなる。

アドバンスで気付き、学んだことを意識し続けるためにも、自分自身と向き合うことを恐れずに、前を見て進んでいきたい。

たくさんの葛藤を抱えながら、私は生きている。
たくさんの不安を抱えながら、私は生きている。
たくさんの後悔を抱えながら、私は生きている。

自分の願いから目を背けない。自分の過去の痛みから逃げない。人生はいつも、今しか生きることができない。人は苦しむために生きているのではなく、幸せになるために生きている。

幸せになったらいけない人なんて存在しない。みんな幸せになっていい。自分自身に優しく、存在を受け止めよう。

自分じゃない何かになる必要はない。自分のままでいいじゃないか。

2日間で学んだ感覚や感情を大切に、今というこの瞬間を生きてみる。

これからの未来というボーナスタイム

今日というこの瞬間は、誰かが必死に生きたくても生きれなかった日。生きているだけで、幸せなこと。そして、このボーナスタイムはいつかは終わるということ。

人は必ず、いつか死ぬ。

それが明日なのか、1年後なのか、10年後なのかはわからない。終わりはあるが、いつかはわからない。

生きることは苦しいことじゃなくて、素晴らしいこと。生きている喜びを感じ、自分から溢れるエネルギーで一人でも多くの人を幸せにする。

そのためにも、まずは自分自身を大切にする。大切な人を大切にしているくらい自分に対しても。

未来は明るいし、悪い状態はずっとは続かない。いつか道は開ける。それを信じ、私は今日という1日を生きていく。

本日も最後まで読んでくださりありがとうございました!!!




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