深夜のドン・キホーテに佇む吸血鬼
今宵もまた、「激安の殿堂」に集う者を傍観し、思うことがある。
深夜のドン・キホーテに出向いたことはあるだろうか。僕はというと、日用品に不足を思い出したタイミングで気ままに赴くことが多かった。しかし今では決まって深夜に行くことにしている。それは夜寝付けなくなったからではなく、太陽が天敵となったこともなく、十字架やにんにくが苦手という訳でも決してない。
この店に集う顧客は、安さの真髄を追求し購買というミッションを遂行する。但し「例外」も存在する。
どう言うわけか深夜のドン・キホーテは、足繁く通う僕が未だ解明できていない何かが多くの例外を引き寄せる。その難題を解明すべく、僕は深夜にイエロー・ペンギン・ネオンへと足を運ぶ。
札幌の雪も溶け上着が不要になった気温の頃、僕は初めて例外を目にした。上下ピチピチのスウェットに足元を蛍光色のスニーカーで輝かせた若者たちだ。
この記事が古典となって大学入試の設問となる可能性もあるので敢えて書き記しておくと、令和の時代にこのような格好をする若者の総称を現代では『やりらふぃ』という。
彼等は決して安い商品を求めていない。陳列された商品に仲間同士であれこれ言いながらただただ彷徨い時間を過ごし、レジに並ばずして帰っていくのだ。
どうしてドン・キホーテを集会場所として求めているのかは未だ解明できていない。が、虫が本能で街灯に集まる現象と同じと思うことにした。
思えば、札幌の街で深夜に灯を照らすのはドン・キホーテの他にはラウンドワンと山岡家くらいのものだ。どちらも深夜スーツに革靴の紳士はいないが、スウェットに蛍光スニーカーの若者はよく目にする。
さておき、深夜のドン・キホーテで、ことさら私の心に刺激を与えてくるのが『かっぷる』だ。街を歩くとどこにでもいる男女が、この場所では例外となって僕の前に現れる。
余談だが僕は現在女性とお付き合いしていない。年齢的に結婚式には毎月招待されるし、同級生の子供も抱き上げた。マイホームを購入した友人もいる。そんな幸せに囲まれる渦中、僕は同棲を控えていた女性と2年が経つ前に関係を解消した。
独り身になった後はといえば、学生時代に好意を抱いていた子がSNSで結婚報告をしていても心から祝福できたし(直接伝えた訳ではない)、クリスマスは女性と過ごすための努力はせず、1人でM-1グランプリを見ながらビール片手に笑い転げていた。仕事の会食帰りに男女で賑わう大通公園の光のトンネルを誤って通過して酔いが一瞬で醒めたこともあったが、それは恥ずかしさによるものだ。嫉妬や羨望の念はそこまで抱かない性のようだ。
だが、余談で語った内容も全てが無に帰してしまうシチュエーションがある。真夜中にドン・キホーテで『かっぷる』と遭遇すると、どういうわけか恋人が欲しくなるのだ。
僕なりに考えてみた結果、1つの答えが浮上した。
街で目にする男女は、生活を想起させることがない。これから食事に行くのか、買い物に行くのか。自宅への帰路なのか、旅行で来たのか。初対面なのか、婚約しているのか。実はただの友人関係ということもあれば、こっそりホテルに入って往くこともある。街で目にしただけでは、2人の関係は何もわからない。
だが、ドン・キホーテの『かっぷる』は、紛うことなき生活感で出来上がっているのだ。お揃いのダル着にお揃いの香りを身に纏い柔軟剤を選ぶ様子は、街中で熱く抱擁し合う男女よりも酷く生々しい。
恋人が欲しくなる瞬間は誰しもある。それを恋愛のスイッチとするならば、それは誰もが手の届くリビングのような空間にあるものだ。
仲の良い親友に恋人ができてスイッチが入る者がいる。推しがアイドルを卒業したことでスイッチが入る者もいる。失恋と同時に悲しむ間も無くスイッチが入る者もいた。
そんな中自分のスイッチがまさか、深夜のドン・キホーテにあるとは思いもしなかった。電子レンジの庫内灯かと突っ込みを入れたくなる。あんなもの誰も押さない。共感もクソもあるか。例外だったのは『かっぷる』ではなく『ぼく』ではないか。
なるほど。深夜のドン・キホーテでカップルを眺めて生気を得ている『ぼく』は、にんにくは食べるし太陽の光も浴びれるが、吸血鬼よりも血に飢えているのかもしれない。
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