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39時間36分の旅行

2022年5月22日(日)の午前10時に飛騨からロンドンへ向かうために出発した。
関西国際空港からドバイを経由してロンドン・ヒースロー空港へ向かう旅である。

バス・飛行機を利用する。
いつもこうした道中には趣味の小説執筆や読書で時間が過ぎるので全く苦にならない。今回もそうなるだろうと思っていた。

思えば突発的に応募したものが見事に当選して徐々に渡英の夢想を現実の形にしていくのを見ると機会を得た勢いというのは恐ろしい。
今回、私はワーキングホリデーで渡英する機会を得た。1年から2年の間、英国で過ごす機会を得た私はこの当選を「英国に呼ばれている」と喜び、現職では得る物は少ないように思えるが趣味の小説の執筆に関しては得る物は莫大だろうと考えていた。こうして「行く理由が正しいから呼ばれたのだ」と手続きに挫けそうな自分を何度か励ました。

実際に得る物は多いと思う。ヨーロッパは多数の言語が集まる場所で言語によって表現はそれぞれ異なる。そうした相違点から現在の表現方法を客観視できるだろうし、新しい扉を開く事ができるかもしれない。

天候は曇りで旅立ちに向いた天候とは言えない。名古屋から大阪へ行く頃には雨が降っていて早くに乗り込んでいて本当に良かったと思った。
初めて使用する大型のキャリーバッグはたくさんの荷物を詰め込まれて非常な重さになっていたし、背負い込んだリュックには持って行きたい電子機器を満載したためにこれも非常な重荷になった。

思っていたよりも関西国際空港は人が少なかった。
もっと大勢の人がいて賑わっているものとばかり思っていた。時刻と社会状況のためにこれだけ人がいないのかもしれないなあと考え直して歩いていると腹が鳴ったので空港内で卵とじカツ定食を食べた。

関西国際空港:4階19:02撮影


ヨーロッパへの憧れは濃いようで薄い。自分でもよく分からない関係だった。
ゲーテの「イタリア紀行」(上)【岩波文庫】の冒頭の解説に”イタリアの旅が、人および芸術家としてのゲーテにどれほど重要なものであったかは周知のことで、この旅行によって詩人ゲーテは完成し、この旅行あって始めてドイツ古典主義の文学は、確立された。”とある。

アレクサンダー・フォン・フンボルトの本に「ドイツ語ほど物事の形態・状態を表す語彙が豊富な言語はない。」と記述していた。書いている間にヴィトゲンシュタインだったかもと不安が頭をもたげる記憶が悩ましい。

触れられる言語の全てを学んで習得する事は難しいかもしれないが触れてはおきたい。

ヨーロッパの憧れはほとんどこれのみだった。行きたいと強く願う観光地があるわけでもない。強いてあげるのなら美術館や図書館には行きたいと思っているぐらいだ。
こうした態度は機会の質を薄める態度だと反省して最近ではヨーロッパの観光や文化を調べるようにしている。

もしおすすめがあったら教えて欲しい。

ドバイ空港着陸30分前の上空より

こうして行く理由はある。機会も得た。
手続きを徐々に済ませて出発の日が近づくにつれて私は友人やお世話になった方たちにこの機会の報告を始めると思いのほかたくさんの応援を得る事ができた。
いよいよ出発の前日ともなると寝付きの良い方の私がなかなか寝付けずに布団の中で寝返りを打っては過ごしていた。

そのためかバス車内も飛行機内でも寝ている事が多かった。到着後の時差ボケなどの不調がほとんどなかったのは寝て過ごしていたおかげだったかもしれない。
全ての手続きを終えて、準備を万端にした出発であったがいざ、到着して荷解きをすると忘れて来た物がいくつかある事に気がついた。
慌てて調達して来たが物価は高い。無駄な出費をしたなあと反省したが解決できるミスであったのが救いだった。

この他にも出発前に借りていた父の車の鍵を持って来てしまう(致命的)、海外在住時のスマホ契約の方法が調べても上手く理解できずにSIMフリーにして無契約の状態になる、デビットカード・クレジットカードをそれぞれ作り直したがデビットカードの方が出発前までに届かない、などなど。

枚挙に暇がない。

でも、どうにか暮らしを始められている。
新しい生活が始まった。住まいが変わり、周りの人が変わり、利用する公共交通機関が変わった。

だが、これらの比にならない変化が私を苦しめている。

最大の変化は”言語”の変化だった。
ここで気が付いたが住まいは一戸建て(実家)から一戸建て(ホームステイ先)へ、人から人へ、JRや市営地下鉄・市営バスがロンドン市内のバス・地下鉄へ。

文字にしてみるとそれほど大きな変わりがない。人との接し方は分かるし、扉の開け方・閉め方、トイレの方法、バス・地下鉄がどのような物なのかも分かっている。
ただその変化が”日本語”から”英語”へと変わったのはこれらほとんどに行き渡った、これら変化を内包した変化であった。

言語という存在を形として見るような変化に今、触れている。
この経験を大切にしたい。

言語というものが人間の営みの中にこれほど無意識的・有意識的に浸潤しているという事を認めている。
この言語間の変化の程度を他の変化と対比させてそれらを引き上げるにはどうしたらいいか考えてみた。

一戸建て=洞穴? 特定の住まいを持たない?=英語も日本語も言語であるから住まい(建築)から離れるのはそもそも”言語”から離れてしまうのではないか。 勝手を知らない住まいの存在を示さなければならない。だが、建築において”言語”の変化を上回る以上の振り幅のある変化はほとんど古今東西にも存在しないのではないだろうか。あるとするのなら限りなく遠い未来の建築の姿ではないだろうかと考えた。

さてこうして

人=別種の生命?=これは犬や猫などの動物を想像したがこれも”言語”の変化に当てはまる。コミュニケーションを上手く取れないからこそ何らかの方法で取ろうとするのが”言語”という方法だと考えている。そこで考えたのは安心の有無だと考えた。安心がないのは命の危機が最大に感じられる時だろう。私は飛騨で過ごしていた時はほとんど命の危機など感じた事がない。こうした安心を覆す力が傍にある状態だと考えた。猛獣や危険な土地、未開拓民族などなど。

要するに、”言語”が変わってしまったという変化はそれぐらいの衝撃を私に与えてきた。

私はここで短いようで長い時間を過ごすだろう。そして敗けないように頑張るつもりだ。

予定では飛騨を午前10時に出発して到着は翌日の午後12時25分、そこからロンドンのホームステイ先へ移動する事になる。経っても30時間ほどだろうと考えていた。
そこで私は出発した時にストップウォッチで計測を始めた。

ロンドンのヒースロー空港に到着してホームステイ先の家族に紹介されたのは夕方の午後5時ごろだった。

仲介人がホームステイ先の家族と話をしている間にストップウォッチを止めると時間は39時間36分だった。

8時間はどこへ?


さて、これでnote1は終わりになります。今後も定期的に投稿してこうと思うのでどうぞよろしくお願いします。

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