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分かり合いたい心

子どもが成長してくると子どもが楽しめる映像を一緒に見るというのは、周りを見ていると、両親にとってはよくあるだと思われる。

うちの子は、「ちいかわ」が好きだ。なぜか、ちいかわなのだ。

一緒に見ていると、主人公のちいかわと友達のハチワレが一緒に草むしり検定を受ける話が流れていた。ちいかわとハチワレは一緒に検定を受ける。しかし、残念ながら、ハチワレは合格して、ちいかわは不合格になってしまう。検定の合格発表からの帰り道でラーメン屋を通り過ぎる時に、ハチワレは「合格でも不合格でも一緒にラーメンを食べよう」と提案していた。しかし、ハチワレは不合格でしょんぼりしてラーメン屋を通り過ぎるちいかわを見て、そんな気分にはなれずに帰っていく。
ハチワレは「同じ気持ちになれないときどうしたらいいんだろう」と考えて眠りにつく。
翌朝、ちいかわは、合格祝いのお菓子をもって、ハチワレのところにやってくる。そして、ちいかわは、「検定の問題集から問題を出してよ」とハチワレにジェスチャーするのだ。その時、ハチワレは涙を流していた。

この場面がすごく胸に突き刺さった。なぜか涙ぐんでしまった。

一方が成功して、もう一方が失敗する。人生で何度もこういう場面があった。非常に気まずい思いをしたこともあった。これが原因で関係が解消されたこともある。相手を見下す、もしくは相手から見下されることもあった。
私はある時から相手が成功した時に妬むのをやめた。やめることにした。やめるように心がけるようにした。
エネルギーの無駄だからだ。妬んだところで自分が上位に行けるわけでもないし、自分が優れた者になるわけでもない。妬んでいる自分が醜いような気さえするようになった。もちろん、相手から酷いレベルで見下すような発言があれば話は別だけどね。
しかしながら、私が成功した場合には相手がどういう態度を取るのかは、相手次第であり、私のこのような心がけとは関係がない。
実際に妬まれて相手の方から関係を切られたのは何回あっただろうか。もちろん私のふるまいに問題があったのかもしれないが。悲しいもんだよ。
先程のちいかわの場面は、そういう違う立場の者同士が心を通わす場面なわけだ。私にとっては分かり合いたくても分かり合えない、そういう苦しさに対して突き刺さったのかな、というふうに思っている。

不思議なもんだ。理屈よりも身体の方が先に反応して涙ぐんでしまった。こういう場面に涙ぐんでしまう私は何を抱えているのだろうか。私の何が反応したのだろうか。本当に面白いもんだ。
これから何度もこういう経験をするんだろうな。

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