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いつ、最後を迎えるのか?

 先日、満年齢九十九歳で亡くなられた方がいた。Aさんとでもしておこうか。Aさんの生家は、ご両親が四十代で同じ年に亡くなった。一番年上だったAさんは、十人近くいる弟妹たちの面倒を見て、生活をしてきた。
 Aさんは、年頃になると縁談がきた。縁談先は、本家だった(仮にB家としておこう)。昭和時代の農村にあるB家は、義父母、そして、義兄弟姉妹がいる。それだけではなく、分家や嫁いだ兄弟姉妹たちが、お盆や正月には集まるところだ。
 先述の通り、Aさんは、両親が亡くなり、十人近くいる弟妹たちの面倒を見てきて、更に、B家に嫁いで苦労することになることを、まわりは心配して、縁談をなかったことにしようとしたようだ。しかし、Aさんは、「せっかく来た話だから、B家に嫁いでから、今度は、本家の嫁としてできることをする」と決心して、B家に嫁いだ。
 B家は、水田農家であったが、義両親は、体調を崩しており、更に結婚した夫は、あまり仕事をしない。結局、休耕手当をもらいながら、なんとか生活していった。今の時代では信じられないが、義両親を自宅で介護して、看取っていった。その頃、近隣の水田農家や農協からは、離農を進められた。しかし、Aさんは、「介護が必要な義両親を抱えて、離農した場合に、休耕手当もなくなる。つまり、収入がなくなりますよ。どうやって、生活すればいいんですか?」と返していたそうだ。何度も、このやり取りがあったと話されていた。そして、今から約三十年以上前に夫も亡くなった。

 Aさんには、四人の息子たちがいた。彼らは、苦労したAさんに一日でも長生きして欲しいと願っていた。
 今年になって、Aさんの死が近づき、再度、兄弟で相談をした。同じ結果が出た。しかし、長男が、一日でも長生きして欲しいということは、果たして、本人にとって幸せなのだろうか。本人も意識がしっかりしているうちに会いたい人、会わせたい人と会った方がいいんじゃないか。このように悩み、弟たちを説得して、Aさんを自宅に連れて帰り、自宅の自分の部屋の自分のベッドで最後を迎えるようにした。約二週間、四人の息子たちは、最後の親孝行として、Aさんの面倒を見た。ある朝、Aさんが亡くなって、私のもとに連絡が来た。

 Aさんの苦労のことは、私も生前からたくさん聞いていた。息子さんたちから自宅療養の話を聞いた。Aさんは、人生の最後に息子さんたちに囲まれて、亡くなっていった。Aさんのこれまでの苦労が無駄になるのではなく、その姿や過去の話を聞いた息子たちが最後に母であったAさんにしてあげられたことをしたのだと感じた。苦労は、どこかで誰かが見ていてくれるのでしょうね。

 Aさんの息子さんたちにとっては、このような形の最後を迎える決断をするのは、苦渋の決断だったんだと思う。「一日でも長生きして欲しい」ということは、私も家族に対して思うことだ。しかし、「誰にも会えず、いつの間にか死んでいた」というのも悲しいものだ、と想像する気持ちもわからないでもない。
 

 このAさんの一生涯と四人の息子さんたちの最後の看取りは感動的な話である。しかし、同時に、「一日でも長生きして欲しい」という価値観に対して、揺さぶりをかけられる。この価値観を否定することは、非常に難しい。私自身に対しても難しいのだ。しかし、本当にいいのかな。そんなことを思う出来事だった。

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