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人の努力を笑う罪深さ。


 突然だが、努力を笑われた経験はあるだろうか。

 例示するだけで胸糞悪いことこのうえないが、打ち込んでいる物事を馬鹿にされたり、なにかに執心する姿を鼻で笑われたり……といった。

 きっと、誰もが「ある」と答えるだろう。

 もちろん私にもある。

 自分だってそういうことを無自覚に行っていない保証もないし、派手に糾弾するつもりはないが、誰もが日常的に犯しかねないその愚行は、とても罪深いものなのではないかと思うのだ。

 そう考えるに至った出来事がある。

 大抵の嫌な記憶はすぐに抹消できるポジティブおばけの私でも、いまだに拭えない苦いその記憶について、今回はお話ししよう。

 いつもよりは短く済むだろうから、少し聞いていってほしい。

 ……でも、なにかしらのトラウマを刺激してしまう可能性もあるから、無理だと思ったらすぐに引き返してほしい。



 小6だったと思う。

 体力測定の種目のひとつ、上体起こしをしていたときのことだ。

 当時の私は、体を動かすことが嫌い、かつ苦手な子だった。

 腹筋の力なども微弱で、二十秒か三十秒程度のその時間がとてつもない苦痛に感じるほどだった。

 一回一回が本当にきつくて、それでも一回でも記録を伸ばしたい一心で、なんとか半分ほど時間が経過した頃。

 足を押さえてくれていたクラスメイトが、顔を背けて噴き出した。

 クラスメイトというか、友達といっていい間柄だったその子は、「気にしないで」と言っていたが、そんなのはどだい無理な話だった。

 当時の私はネガティブで傷付きやすい、おまけに自信のない……現在とは正反対のひ弱なメンタルの持ち主だったから。

 

 思い出し笑いだったかもしれない。

 だが、そのときの私には、自分の必死な姿を笑われたとしか思えなかった。

 だって、そうだろう。

 私だって、ある程度自分の姿を客観視することくらいできる。

 きっと、すごく不細工な顔をしていた。

 そんなことに気を配る余裕なんてなかったから。

 きっと、すごく無様な姿だった。

 イモムシみたいにうねうね蠢いていたかもしれない。

 全然しっかり押さえていてくれなかった(※本当になにも力が入っていなかった。添えていただけだ。)その子に一切の責はないのかと言われると、私はそうではないと思うが、私に人並みの腹筋があったのなら、こんな醜態を晒すことにはならなかった。


 何歳になっても、他人の気持ちを慮ることが苦手な人はいる。

 小学生なんてほんの子供だ。

 残酷なほど正直な年頃だ。

 思わず笑ってしまったのも仕方ないのかもしれない。

 それでも、そのことで私が深く傷付いたのは確かだ。



 能力にはどうしても個人差があって、「ただの差異であって、そこに優劣はない」と言いたくても、事実として明確な優劣は存在する

 もちろん、今回のように、努力で多少の向上が見込めるケースもある。

 だが、努力でカバーできる範囲というのは、思っているより狭いものなのではないか。

 人々は努力に夢を見すぎてはいないか。

 ある人は、努力が実を結ばないことを嘲り。

 またある人は、努力できない人を貶め。

 もうそんなのはいいじゃないか。

 できること、できないこと。

 得手不得手。

 誰にだってある。

 「ない」と言い張るのは勝手だし、どうでもいいが、出会っていないだけだ。まだ。

 なにを頑張って、なにを頑張らないかも。

 その人自身が決めることだ。


 自分よりも劣っている他人を虫けらのように感じてしまうこと。

 それ自体に罪があるとは言わない。

 そういうものだ。

 それが自然な状態だ。きっと。

 

 しかし、その縮まることのない差をあげつらって、笑いものにすることを、その姿勢を、私はどうしたって好きになれない。

 だって、わずか数秒の出来事を二十年近く覚えているから。


 通過儀礼と言ってしまえばそれまでかもしれない。

 もっともっと屈辱的な思いをした人はたくさんいることだろう。

 私自身、こんなのは序の口で、話したくない出来事など山とある。

 だからといって、あのとき感じた言い表しがたい複雑な感情のうねりが嘘になったり消えたりすることはないから。


 ここまで読んでくれたあなたも、あなたの感じたことを否定しないでいいと伝えたかった。

 すぐにそうは思えないかもしれないけど、それでいい。

 あなたが「頑張った」というのなら、私は「頑張ったね。お疲れ様」と言おう。

 「つらい」も「苦しい」も、言われたことをそのまま受け取っていたわるだけだ。

 あなたもあなたを否定しなくていい。

 あなたの努力も苦悩も、あなたにしかわからない。

 私たちは種が同じだけのまったく別の生き物で、それぞれ別の地獄を日々生き抜いている。

 横でも下でも好きなところを見ればいい。

 笑うのも蔑むのも好きにしたらいい。

 でも、私には他人を笑っている暇なんてない。

 もし暇があっても、それがそんなに楽しいことだとは思わない。

 笑われた側の気持ちを知っているから。

 皮肉でもなんでもなく言える。

 この気持ちを教えてくれて、ありがとう。

 私は上を見て、前を向いていくだけだ。


 

 久しぶりの投稿が楽しい内容ではなくて申し訳ない。

 なにか少しでも、得られるものがあったのなら幸いだ。



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