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【私の感傷的百物語】第八話 遍路の夜道

以前、思うところがあって四国八十八か所を歩き遍路したことがありました。弘法大師空海の足跡を辿りながら、寺を巡り、経を読む日々。その1ヶ月半ほどの間、ほとんどの夜を道端で野宿して過ごしました。素晴らしい経験もたくさんしましたが、同じくらい怖い目にも遭っています。里山の中でサルの群れに出くわしたり、四国最南端・足摺岬で台風に直撃されたりしました。

不可思議な現象にも何度か出会いました。雨降る徳島の住宅街で疲労困憊していると、木魚やウッドブロックを叩いたようなボクボクという音と一緒に、低い、くぐもった「おつかれ」という声が聞こえてきたのです。びっくりして振り返ったのですが、周囲には誰もいませんでした。もう一つは、高知の田舎での夕暮れ、道からはコンクリート壁しか見えない、二面舗装された川から、子供の矯正が聞こえてきました。降りる場所などありませんし、そもそも子供が遊べるような場所ではありません。恐ろしくて川底を覗くことができず、僕はそのまま素通りしました。

こうした経験の中で、一番怖かったのが、高知の三十六番札所・青龍寺と、三十八番札所・岩本寺の間にある山道を、深夜に歩いた時です。遍路における修行の道場とも呼ばれる高知県。寺と寺の距離が非常に離れていることが多々あります。僕は少しでも歩を進めたいと焦ってしまい、深夜でも歩けるところまで歩こうと考えてしまったのです。須崎氏に入ってから、すぐチェーン店の定食屋さんで夕食を済ませました。この時、店長とおぼしき女性が店員の女性を客の前で泣くまで叱っていて、思わず会計時、涙を流す店員さんに「頑張ってください」と、月並みな励ましの言葉を送ってしまいました(怖い思いも嫌ですが、こういう光景も、気分が良いものではありませんね)。

その後、途中にあった道の駅のベンチで仮眠をとり、深夜になってから、地図に従って山道へと続く道路を歩き始めました。事前情報は全く仕入れず、携帯電話の充電もありませんでしたが、須崎の市街地が結構な賑わいであったので、しばらく明かりなしで歩いても大丈夫だろうと、僕は軽い気持ちでいました。しかし、トンネルをいくつか抜けるうちに、街明かりは街頭のみの明かりに変わり、その街灯も次第に少なくなっていき、そしてついには、星明かり以外は全くの暗闇という状態になってしまったのでした。

人口の照明がなくなった時点で、僕は大いに動揺していましたが、いまさら引き返す気にもなれず、かすかに見える道路の白線を金剛杖でなぞりながら、早足で夜道を進みました。思えば、まったくの夜の闇に包まれるという経験も、なかなかありません。星の煌めきが妙に鮮明に感じられます。時おり目がくらむようなハイビームで深夜運転のトラックが走行してくると、道の一番端っこでじっと立ち止まりながら、轢かれないようにやり過ごしました(トラック運転手さんもびっくりしたかもしれません)。トラックが過ぎ去れば、再びいつ終わるかも分からない暗闇の中をあるきつづけるのです。

こうした事態に、僕は完全にパニックになってしまいました。と同時に、後ろから何者かがついて来ているような気配がします。闇の中に何かが潜んでいるような気がします。誰かがこちらを伺っているように感じます。呼吸が粗くなり、足は激しく痛み、荷物が肩に食い込んできます。僕は、「このまま倒れてしまうのではないか。よしんば歩き続けてもこのまま闇夜が終わらず、異界に迷い込んでまうのではないか」と、本気で感じました。不安と焦燥のなか、一心不乱に、お大師様の守護を祈りつつ、覚えたての般若心経を唱え続けます。この時つくづく、おとぎ話の時代から、窮地の場合に人間ができることは、こういった行為くらいしかないのだと痛感しました。

時間の感覚も忘れて、くねくねと蛇行した山道を進んでいきます。そして、ふと遠くを見た際、街灯と集落の明かりが光っているのを確認した時には、涙が出んばかりに嬉しかったのをよく覚えています。もう心身ともに完全に疲弊しており、午前三時頃、集落の中にあった「土佐久礼駅」の建物前にあるベンチで、それこそ死んだように眠りました。朝起きると、通学のための善良そうな高校生諸君が大勢駅に集まっていました。こちらは恥ずかしいやら申し訳ないやらで、逃げるようにその場から退散したのでした。

高知を過ぎてからは、愛媛県、香川県ともに日中の歩きだけでも順調に歩き進むことができ、無事に最後の札所まで到達することができました。結願の喜びは、やはりひとしおのものです。遍路から戻った後、たまたま読んだ内田百閒のエッセイで知ったのですが、遍路の際に後ろに気配を感じることはよくあるそうで、その正体は、同行二人である弘法大師なのだそうです。敬虔な気持ちになると同時に、「あんまり怖がらせないで欲しいなあ」とも、素朴に思いました。

あの高知で味わった夜の闇を、僕は一生忘れないと思います。


今もわずかにデータで残っている、四国遍路の時の写真の一つ。
カニに注意の看板。カニにつけられていた可能性もあるナ。

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