どんな特性も受け入れられる社会に
我が子が発達特性があると知り、受け入れられないとか、悲しみを感じる保護者が私の身近にも全国にもたくさんいる。
私の障がいがわかった時も母が落ち込んでいたと祖母に聞いた。
身体障がいでも、精神障がいでも、発達障がいでも、自分の子どもがそうだとわかると、多くの親が悲しんだり、受け入れられなかったりで、あまりにも悲しいケースでは子どもと一緒に・・・ということまである。
それはその親たちに、そういうものを持って生きることで愛する子どもが辛い思いをするから、という認識があるからだ。
いじめられたり、仕事に就きにくかったり、そういう困難が我が子に振りかかる未来を憂いてしまう。
それは令和の時代になっても人々の意識や社会のシステムがまだまだ多様性に追いついていないからだ。
そもそもその人が持って生まれたものは障害ではなくただの特性。
特性というのは人間誰しもが持つもの。コピーされたロボットではないから。
けれど世の中に当たり前のように受け入れられたりむしろ歓迎される特性がある反面、理解されにくいものもあるのが現実。
学校や社会が求めるものとの間のずれ、それが障がいなのだ。
特性を持つ人にもその人を産んだ親にも何の否もない。
障がい──壁──を作っているのは社会の方なのだと私は思う。
どんな特性でも受け入れる気持ち、それぞれの特性に適した環境があればいいだけのこと。
社会やそこに生きる人達が多様性を当たり前に受け入れられて、誰もが生き生きと生きられる日が来ることを心から願っている。
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