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違和感と向き合う

違和感とは
どう折り合いをつけるべきなのだろうか

生きて
ひとと関わっていれば
あれ、何か違う
と感じる瞬間は必ずある

たとえ
松本潤と恋人になったとしても
あれ、違うな
と思うだろうし(そもそもそんなことは起こらない)

なりたかったものになれたとしても
あれ、違うな
と思う瞬間は訪れる

気づくと私は
違和感を抱くことを
ひどく恐れるようになっていた

*

でも

恐れることはないと
思わせてくれたひとたちがいる

いつか路上で愚痴を聞いてくれた
ふたりのお兄さんたち

絶対的恋人というものが存在するなら
それは自分のクローンなのかなという話になり

え、それは気持ち悪い
僕は嫌だな
ですよね私も
と、笑い合った

自分のことをすべてわかってくれて
自分も相手のことをすべて理解できる
存在

過去も秘密も癖も全部わかってくれる
今何をしてほしいかも全部わかってくれる
絶対的恋人

でもそんな存在と
一緒にいて本当に幸せなのだろうか
つまらなくないだろうか
むなしくないだろうか

わかり合えないこともむなしいけれど
むなしいの種類がきっと違う

わからないから
ひとはわかろうとするし
違うから
惹かれ合うのだ

そうかぁと
納得した
春の夜の風の中で

だとしたら

向き合うべきは
自分は違和感を
どこまで許容できるかということだ

*

私は7月半ば

あれ、何かが違う
私がいる場所はここじゃない

そう思い
一旦、今の職場から離れる決断をした

つらくないつらくないと
言い聞かせていた私は
つらいと感じていいのだと思った瞬間
つらさに耐えられなくなった

たぶん許容しきれなかったのだと思う
自分の生き方と
ここでの生き方との
違和感に

違和感を抱くことはもう恐れないから
愛せる違和感を探しに行こう

ここだ、ここじゃない、を繰り返し
それでも好きだ、ここにいたいと思える場所を
ゆっくり探しに行こう

そんなこんなで
私は今年の夏
休職することに決めました

こんなはずじゃなかったし
生きていけるか不安ですが

空は今日も
悔しいほど青く
伸びる道の
先方は見えず
苦しく時々美しく
人生は続いていくようで

もう23回目の、夏です

眠れない夜のための詩を、そっとつくります。