セルフ認知行動療法
7/10
病院のカウンセリング料金が1回7000円だったので、こんなに払えんわ、カウンセリングくらいひとりでできるわと思い、セルフ認知行動療法をすることにした。
自分と向き合うことには慣れている。元々深く自己内省するタイプではあったけれど、ここ最近はより深く深く、自分と対話し続けている。
*
また東京に、緊急事態宣言が出た。
東京とは気が合いますね、私もです。
人生の緊急事態宣言が終わらない。
最近ずっと、人生のどん底を這っていた。
どん底って、こうも頻繁に更新されるものですか。
これが、感受性を殺せないまま大人になってしまった人間の定めですか。
あとどれくらい、この苦しみが続くんですか。
怖かった。どうしたら楽になるのかわからなかった。
止まらない動悸を抑えたい。そのためには、何かを変えなければ。動かなければ。そう思うのに、動き方が定まらなくて動けなかった。朝起きてから寝るまで、ずっと不安と焦りで息がうまくできなかった。
どう動く「べきか」という思考になってしまっているのが、苦しい。どう動きたいか、という思考になるべきなのに。ああ、また「べき」になっている。
「認知はできても、行動って難しいですね」
私の中の精神科医が、神妙な顔でカルテをめくっている。
おっしゃる通りです、本当にそうなんです。
*
心を蝕んでいる原因を、ひとりで色々と考えていた。先週ほとんど会社を休み、逆に体調を崩してから、単純に仕事がつらいわけではないような気がしていた。本当のつらさの原因を突き止めたい。既に分かっているような気も、ただ向き合うのが怖いだけのような気もする。
心の不安定さは行動にも現れている。金曜日は社員証を首から下げたまま、自宅と逆方向に向かう電車に1時間も揺られてしまった。慌てて引き換えそうとしたら、電車は人身事故で遅延。死にたいのはこっちだ、と思ってしまう自分にまた絶望した。
脱ぎ捨てたままの服を洗濯をしたら、ティッシュと一緒に洗ってしまって絶望した。それを掃除機で吸おうとしたら、変わらない吸引力なんて大口を叩いているくせに故障して、また絶望した。こんなことで、心がぽきりと音を立てて折れるのを感じた。気づいたら頭を掻きむしり、声を上げて泣いていた。深夜1時、隣人の迷惑にならない程度に。まだそれくらいの正気は保っている。ぎりぎり。
とりあえず、仕事をどうにかする「べき」な気がして、「新卒 退職」で検索をかけた。
YouTube上には「新卒○ヶ月目で会社を辞めました」という動画と、「3年待たずに会社を辞めたら人生負け」という動画が氾濫していた。1ヶ月で辞めた人の動画のコメント欄は、「ちゃんと逃げてえらい」という言葉と「甘すぎ、社会なめすぎ」という言葉が混在していた。
心がざわついて、吐きそうになって、慌てて画面を閉じた。
生き方の「例」は沢山あるのに、私にぴったり当てはまるものはひとつもないと思った。当たり前だ。人生はひとりひとつしかないんだから。
どうしても、正解を探そうとしてしまう。人生は正解や間違いではないんだとわかっているのに、心が追いつかない。
成功例を見ても、心は落ち着かない。この人たちはうまくいったから、そう言えるんじゃないか、うまくいかなかったらどうするんだと思ってしまう。
どうしてネットや本屋には、「つらかったけれどどうにかなった」人の言葉しか並ばないんだろう。
つらさの渦中にいる時は、その渦中にいる人の言葉がほしい。でも渦中にいると分かる。そんな時に言葉を綴る余裕なんて、ない。
永続する不安はない。
大丈夫、いつか不安は癒える。
わかっている。
じゃあ、不安の渦中にいる時は、どうすればいいの。
一番つらいの。つらいんだよ。
*
つらいけど、怖いけど、それをただ嘆くだけの自分でいたくなかった。私は言葉を紡いで生きていくと決めたじゃないか。だから意地でも書いてやると思い、筆をとった。幸いなことに令和3年においては、墨をすらなくても、言葉を発信できる。中指と電子機器があれば、ベッドの上で動けなくても文章が書ける。「書くべき」だと思った。でもそれ以上に、「書きたい」と思った。
灯火がほしい。
道標がほしい。
迷うなら前向きに迷いたい。
無人島に漂流した人間が
砂浜にSOSを書くように、
洞窟に閉じ込められた人間が
日記を壁に刻むように、
私は文章を書く。
私には、ほかに何もないから。
――いや、違う。
私には、「文章がある」。
そうだ、それだけは確かな、自分の救いだ。
好きなことを発信していれば、きっと、好きなことをしている人に届く。
7/11の日記の殴り書きを読み返し、ちゃんと供養してあげたくなったので、まとめ直すことにした。
7/13現在、私は「動きたい」と思えている。「動くべき」より、強く。
会社に行けなくても、不安で眠れなくても、今はそれだけで、よし。と、させてください。
きっと私は、動きたいと思ったことに対して動くことができる。石橋を叩いてたたき割るくらいの、過度な心配性のくせに。ちゃんと生きたい方向に、動ける。大丈夫。そう言い聞かせながら、ガムシロを2つ入れたアイスティーを飲み干す。
緊急事態宣言、明けるといいな。
いや、明かします。
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