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十字架を抱えその先へ

大人になっても文章を書き続けていたら、言葉に言葉をもらうことが増えた。
色んなひとが、色んなところから言葉をくれた。

離れたところに住んでいる親友。別の国に住んでいる友達。あまり話したことのなかった友達。別の領域で表現活動をしている、かつてのクラスメート。

本好きな小学生だった私、すべてに怯えた中学生だった私、表現活動を始めたばかりの高校生だった私、物憂げな文系学生だった私、人生の過程で出会ったひとたちが、大人になって本格的に文章と向き合うようになった私に、言葉をくれるようになった。

あなたの言葉が好きだよ、聞いてるよ、届いてるよ、と言われた時、本当に心底、救われたと感じる。ありがとう、と思う。生きていることをゆるされた気がする。

いつからかずっと、「言葉は伝わらない」という十字架を背負い、磔台に向かって歩いている。私の背中から流れる血を、ひとは笑いながらグラスに注いで飲み干していく。痛みに耐える私の顔を見るひとは誰もいない。ただ裸足で、ずっとひとりで、終わりの丘に向かって歩いている気がする。

でも時々、私の言葉に言葉をくれるひとがいる。その声の方を向く瞬間、視界から磔台が消える。背負っていたはずの十字架は小さな首飾りに変わり、胸元できらきらと光りだす。

言葉で完全にすべてを伝えることはできない。それは逃れられない真実だと思う。でも同時に、完全にすべてが伝わらないこともないのだと信じている。

伝えてくれてありがとう、
私も伝えていたい。

SNSで幸せそうに見えるひとが本当はたくさん苦労していることを、輝いて見えるひとが人知れず努力をし涙を流していることを、いつも愉快なひとにだって死にたい夜があることを、私はわかっている。ちゃんと見ていたいし聴いていたいと思う。大丈夫だよ。

十字架から逃れることはできない。
私の中にはずっと、伝えたいひとに伝わらなかったという傷が残っている。雨の日や孤独な夜にじくじく傷んで私を磔の丘へと誘う。

でも、首飾りくらいなら抱えることに耐えられる気がする。伝えたいひとに伝えたい、という呪いをゆるめて、伝えたいことを伝えよう、に変えていきたい。そうして綴った言葉の先にいたひとを大切にしたい。そうやって生きることが、伝えようとして伝わらなかったという古傷を癒やしてくれるかもしれない。

伝えよ、さらば伝えられん。

ありがとう、聞いてくれてありがとう。
伝えてくれてありがとう。
私も伝えるから、あなたも伝えて。

私はここで聴いている。

眠れない夜のための詩を、そっとつくります。