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10年前の通学路

社会人になる前の春休み。

最後になるかもしれない、と思いながら、私は実家に帰っている。
だからこそ、この時間を大事にしなければいけないと思うのに、相変わらず私は家出ばかりしている。

今日は、昔から行っている美容院で髪を切った。
担当のお兄さんはどんな時でも「失恋でもした?」なんてことを聞いてこないから好きだ。
結構ばっさり切った。頭が少し軽くなった気がした。

店を出ると、雨が降っていた。
何となく、まだ家に帰りたくなかった。

ふと、小学校に行ってみよう、と思った。
10年以上前に卒業して以来、一度も行っていなかった。

本当に久しぶりに、私はかつての通学路に足を踏み入れた。

正門が見えた瞬間、泣き崩れそうになった。
近くを流れる小川も荒れた草むらもぽつんと立つポストも、変わらずそこにあった。
下校時刻を過ぎていたからか、校庭にも、その向こうの教室にも、人の気配は一切なかった。こんな雨の日の放課後の、湿っぽい廊下の匂いや埃っぽい図書館の匂いを、私は鮮明に思い出すことが出来た。もうずっと、忘れていたはずなのに。

あの頃毎日歩いた通学路は、全体的に小さく狭く思えた。怖いおばちゃんのいる煙草屋はもう看板を出していなかった。ガソリンスタンドだった場所には新しい家が建っていた。よくDSで対戦したあいつの家はまだそこにあった。そういえばあいつは、あれからどうしたんだっけ。

何も変わっていないような気も、
何もかもが変わってしまったような気もした。

私はあの頃から、
何が変わって、
何が変わっていないんだろうと思った。

コートのポケットに写ルンですが入っていたので、
残りの枚数分、シャッターを切った。

雨に濡れた追憶が、かしゃりとフィルムに刻まれる音がした。

ずっと、この道を歩きたかったのだと思った。
でも、怖くて出来なかった。
あの頃には戻れないことを、あまりにも強く感じてしまいそうで。優しい色の古びた記憶に、心を殺されてしまいそうで。
どうにかなってしまうのではないかと、怖かったのだ。

私は線路の上で立ち止まり、曇天の空を仰いだ。

あの頃には戻れない。
あの頃の私たちはもういない。
でも、私たちはかつて確かにここにいた。
そして私は、22歳になって、12歳の頃の私が踏みしめた線路の上に立っている。

私を背後から抱きしめたのは、

胸を引き裂くような、
激しく美しい、懐かしさだった。

「覚えてるよ」

私は彼に向かって言った。

「皆が忘れてしまっても、私はあなたを忘れないよ」

彼は私の言葉に、安心したように微笑み、
最後にそっと、胸にナイフを突き立てて消えていった。

細い刃を抜くと、そこからは温かい血が流れた。

記憶は私を殺したりはしなかった。
そっと、私を送り出そうとしてくれているようだった。

いつかすべて忘れてしまうとしても、
この景色を忘れたくないと思ったことだけは、忘れないでいようと思った。

私は傷口をそっと抑えながら、あの頃禁じられていた近道を通って家に帰った。


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