見出し画像

さらけ出したくない私について

 罰なのだろうか、そうだとしたら、いったい何をしたのだろうか。


 浮き上がるような日々が過ぎていく。大きく沈むこともなく、日々をやりくりして、少しだけ、楽しいと思えることに出会えたり、時間を忘れて読めるものが出てきたりして、あまり下向きに、考えずにいられる時間が多かった。散々なnoteばかり書いてきていたけど、なんとか持ち直して、生きている。良いことなのかな。良いことなんだろうな。

 だけどどうにも、仕事の話になると、うまくいかないことばかりで。それは私に、どうにかできるものなのだろうかと、思う。

 今日も久々に心にくるものがあった。具体的な話は省くけれど、上司に求められるレベルに、達せていないこと、そして、どうしてそれができないのか不思議だと、言われたこと。

 やっぱり私には店を運営したり、誰かの教育をしたり、うまくいくように調整したり、そういう能力は、まるでないんだろうと思う。まるでないままでここまで進めてきてしまったから、今、困っているんだなということは、わかるけれど。

 自分が良かれと思ったことも、余計なことだったり、足りていなかったり、そもそもまるで見当違いだったり。考えていないわけじゃない。だけれど、圧倒的に"足りていない"んだなと思う。

 そもそもの発想も考え方も、変えなきゃいけないといわれるし、そうできたほうがいいのだろうと思うけれど、そんなもの、どうやって成長させていけばいいかなんて、わからない。

 本音で言おう。解りたくない。幻滅されるだろうし軽蔑されるだろうし、この程度の人間かと思われるかもしれないけれど、それでも、私は、生きているだけで、もう精いっぱいで。毎日をやり過ごすことだけが、自分のできることだと思っている。成長もいらない。変化もいらない。ただ漫然と生きている、そのことに意味があるかどうかはわからないけれど、生きているから、生活していかなければならないし、そこに意味を求めても仕方がないのだと思い始めている。

 ありていに言えば楽をしたいのだ。何の努力もせずに、生きていたいなんて、図々しいにもほどがあるけれど。死なないから、生きているから。私にできることなんて、それほど多くない。そして、増やしたいとも思えない。

 向上心もない。好奇心もない。ただ物語を消費していくだけのこの生き方は、到底胸を張れるものではなくて。恥ずべきことなのだろうと思うし、人にとって、プラスにはなりえないだろうと思う。

 だけれど、どうにも、どうしても、楽な方に、流れてしまう。


 ふと思う。劣化しているな、と。

 昔はこうではなかったんじゃないかと、思う。たぶん、だけれど、もう少し、マシなような気がしていた。なんというか、もう少し、人に胸を張れる自分であったような、あくまで、今と比べて、だけれど。

 あの頃と、何が違うのだろう。

 一番違うのは、人と、会話する機会がないこと、かもしれない。

 地元にいたころは、なんのかんので、話し相手はいた。職場の人とも、気軽に話せていたように思う。友人もわずかながらいた、かもしれない。何より、両親がいた。今では、帰ればひとり。職場の人とは、雑談すらも怪しい始末。上司となんて、本音をぶつけることもそうそうない。機嫌を取ろうとして失敗しているのが常だ。

 会話をすることが怖かった。何を言えば気に障るのか、気になった。黙っていることが楽だった。そうして内側だけで済ませてきた。6年間。

 たまに、友人と会う機会があると、それはそれは楽しくて。許しをくれる人の前でしか、話せなくなっている、ような。


 それが原因なわけではないと思うのだけれど、無関係でもないような気もしている。30代も折り返しにしてこんな風では、本当にろくな大人ではないと思うのだけれど、今のところ、生きていることで迷惑をかけてはいないようなので、まだ、大丈夫かなと、思っていたりもする。それにしても、我ながら、ラインを引くところが、あまりにも低すぎる。だからと言って、改善したりは、できないのだけれど。


 今日も終わる、そうして震えて、明日を迎える。毎日の終わりは、いつも、繰り返しなんだ。何がいけなかったんだろうか。何もかもがいけなかったんだろうか。そうしてまた、考えることを放棄してしまうんだろうな。


 たぶん、罰なんだと思う。何もしていないからこその、つみ。




 文筆乱れてお目汚し。失礼いたしました。

 本城 雫



いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。