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この家どうするの?(17) 庭なしの家

新居がきまる。賃貸アパート。
駅から歩ける距離。じゅうぶんだ。
結婚にあたり、とくに夢も希望もなし。
その年はすでに11月になっていた。
秋なのに暑かった。


庭のない家

独身のふりかえり。約30年のあいだ、ほぼひとりの人生のような気がした。
ちいさいころの記憶。両親の不仲で家庭内は会話もありませんでした。

家の庭と書いて家庭

大なり小なりのお庭。花やみどりがあり、土もある。
種をまいたり、お水をかけたり。
虫やどうぶつとあそぶ。
季節の映りや移りのたのしみ。
だんらん。


わたしの人生に住む家はあったが、庭に相当するものはなかったのです。


両親の離婚後、家の庭のなさは、わたしにとって致命的な欠陥となりました。
たとえば、一家団欒《いっかだんらん》。
こはんを食べながらの、雑談?や情報交換?のようなもの。
わからない。


テレビの「サザエさん」やホームドラマ(家族の物語)を見て、一家団欒を想像するありさま。

これでは会話力、自分から人にしゃべりかけたりする能力は上がらない。言語化ゼロ。コミュニケーションもゼロ。

わたしは社会人になり、仕事の「ホウレンソウ」もまともに、できない。
家があっても庭のないわたし。
社会人になりいつも恥ずかしく思いました。



ばんごはん

晩御飯は、最初は近所に住む叔母が面倒をみてくれました。
ご飯のおかずの用意。
後年、父が「お金を多く渡して、やってもらった」と言っていた。

叔母にしたら「なんでわたしが晩御飯を作らなあかんのよ」レベルの面倒な内職だっただろう。
わたしがもっと、しっかりしていれば。

これからの生活の話し合いも父からはなかった。
女・こどもは一家のあるじに黙って従うものという大義名分。
父は、わたし以上にどうしたらいいか、わからなかったのだ……


わたしは、これからどうして生きていいのかわからない。
なにをしたらいいのか?
それすらも父には、ひと言もいえず。


父にしたら、娘が何も言わないので納得や了承しているものだと思っていたのだろう。


せめて「晩御飯は叔母さんにしてもらうので、ありがとうと言いなさい」ぐらいは……
わたしは、もはや「ありがとう」すら気づかず、わからない人間だった。
おかずを置いて、そそくさとかえる叔母。


まいにちの ばんごはん つらい 



親の離婚。こどもは事実にしたがうしかない。



いきること

わたしは、なすすべなく体調をくずした。カラダの悲鳴。
いまならストレス・適応障害などの診断は、ついてたかもしれない。


わたしは、いまだに言語化能力の低さに悩みます。作文も苦手です。
社会に出てからも自信のなさからミスを連発しました。


「黙っていないで、なにか言え」
「ふてぶてしい」
ひとさまからなにを言われても、こんな調子です。
頭のなかでは、単語をさがし、ことばをつくして答えなければ。
どうしよ……どう言えば……
ぐるぐるしてるだけ。
要領もわるくて。
けっきょく黙っているのです。


よく結婚できたものだ。
しぶんの人生で宝くじに当たったようなもの。


これで運を つかいはたした
結婚の準備をしながら、うつむく。


いっちょまえに、マリッジブルーだったのかもしれません。



毎週金曜日は
「親の持ち家」の日


いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに


さいごまでお読みくださり、
ありがとうございます。

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