見出し画像

かめやま

『歓喜の かめやま』そう書いたタイトルを、すぐ消した。たぶん誰も知らない。
かめやま・かめ山・亀山。
これは関西しかない、昭和の おやつ  なのだ。



石油ストーブでコトコト

わたしの家は自営業を営んでいた。
祖母が経営者で、息子の父と、近所から働きに来ている従業員3人ほどの小さな会社。自宅も兼ねていたので仕事場は居間と同じ感覚でした。


冬は、石油ストーブ。上にヤカンをかけての、白い蒸気がシュンシュン。
いつになったらヤカンを下ろすのか。いつまでも、そのまんま。


「そのままで、さわらんように」
祖母の注意の声。小学生になったばかりのわたしは不思議でした。
乾燥防止・加湿器スチーマーなんてなかった頃。一日中、ヤカンのくちはシュンシュン、蒸気を吐いていた。




寒い朝の土曜日。
石油ストーブの上に大きな鍋が。
すこしだけ、あったかくなってた。何だろう。
そろっとフタを開けると、紫のような茶色のようなツブツブがキラキラ見えました。


たくさんの小粒。赤いお湯のお風呂の底で浸かるどころか、潜水せんすいしていた。
それにしても、赤いお風呂のお湯が多すぎる。潜水は苦しいよね。


「そのままで、さわらんように」
祖母の注意の声は続いた。
「あずき豆は、時間かかるんや」

あずき豆? 小豆。
このツブツブの名前だった。


「ぜんざい炊いてるんや」
「柔らかくなったら、お砂糖いれるで」
「お餅も焼くわな」
「きょうは、ぜんざい食べて帰りや」
祖母は従業員さんたちに優しく言った。
「学校、終わったら できてるし」
土曜日は、学校も仕事もお昼まで。
父も従業員さんたちも、わたしも嬉しかった。
祖母も石油ストーブもよく働いた。


「ゼンザイ」怪獣みたいな名前。
強そうだ。「セキユ・ストーブ」も強そうだ。
わたしは怪獣映画の観すぎか、妄想しがちな少女でした。
昭和40年代後半のころでした。



ぜんざい のはずが

関西の「ぜんざい」とは、
「つぶあん・汁あり」のものです。

小豆あずきは「ぜんざい」というおやつに変身する。
ワクワクしながら帰宅すると……先に仕事を終えた父の声が聞こえた。

かめやま になっとる」


「ぜんざい」が「かめやま」に変身したらしい。


土曜日の仕事。なんとしても昼に終わらせたい。祖母も父も従業員さんたちも忙しいあまり、すっかり忘れていたのだ。
石油ストーブの上の鍋のお世話を。


鍋の汁気が、ほとんど無くなっていた。
焦げなかったのが幸い。
赤いお湯のお風呂で潜水していた小豆のツブツブ、今度は日光浴、いや蛍光灯浴をしていた。ほかほか湯上がりの様相ようそうで。


「ぜんざいの|汁気《しるけ》がないのが  かめやま


父は、そういうやいなや、お椀に「かめやま」を盛りつけた。
お椀に入れるというより、盛る。
石油ストーブの端で焼いた餅を敷いてから。
「かめやま」は焼いた餅の座布団に、ほっこりと輝いた。


甘党の父だった。祖母や従業員さんたちに、おつかれさんと言いながら、あったかいお椀を配っていた。
労働の後の甘味は最高。
「うまい!」
「豆は、ようけ (たくさんの量) で炊くもんやねぇ」
「せやせや、ちょびっと (小量) で炊いても、アジが出えへんし」
「ひと晩、おいとこか」
「ホンマやな、おいしなるわ」


煮詰まった ぜんざいより甘い、かめやま。ピカピカ耀く小豆あずきの宝石だ。
ぎゅっとこゆい、かめやま。
焼いたお餅の上にかける、かめやま。
お餅が隠れる、かめやま。


大きな鍋は、すぐ空っぽになった。そして、次からは普通の ぜんざいに戻った。
あの頃、石油ストーブが原因の火事が多く、祖母は早めに鍋を下ろすようになったのだ。


小豆のツブツブ。亀さんのまぁるく盛り上った甲羅こうらのように見えるから「かめやま」なのかな?
甲羅から、湯気がホンワカ立ちのぼる。
「かめやま」は「亀山」と書くとは知らず、漢字も習っていなかったけど。
わたしの妄想力も、いい仕事したような気分だった。



かめやま

わたしは、かめやまは ぜんざいの失敗作……と思っていた。
ぜんざいも地域により、お汁粉だったり認識が違うことも解った。
しかし、かめやまだけは、わからなかった。


大人になり、周りの人にたずねる。
「三重県の地名」
「ミカド」
「ローソク屋さん」
「プロ野球・阪神の選手やろ」
そんな答えしか帰ってこなかった。


わが家だけの専門用語だったのかな?
誰も知らない、かめやま。


すっかり、かめやまを忘れた頃。
わたしが大人になってから……


京都の甘味処でメニューに載っているのを発見。驚きました。
「亀山」と漢字で。
ちゃんとした一品。本当にある……大阪には、全然ないなぁ。
京都だけかなぁ。かめやま。
家で作るしかないのだろうね。

家で、かめやまを食べたのは、あれきりだった。
わたしは、小学校高学年になると外へ遊びに行くようになり、家に寄りつかなくなった。
石油ストーブのぜんざいの残りは、父の胃袋が担当していた。


中学生になるころには、家業も傾き、従業員さんもひとり減り、ふたり減り……
石油ストーブでぜんざいを作っても食べる人は祖母と父だけになった。


そして、わたしが高校生になった頃、石油ストーブも、いなくなった。


甘味喫茶・菊水きくすいさん

ぜんざいがあるのは知っていた。
商店街の喫茶店。のぼりに「ぜんざい」
ショーケースには発音通りの「コーヒ」

甘味喫茶の看板に誘われる。
わたしは見逃さない。
「自家特製ぜんざい」の食品サンプルを。

甘党喫茶 菊水きくすいさん
大阪市北区天神橋3-6-17
2F


階段を上る。石油ストーブがあるかもしれない。小さい頃の記憶「かめやま」
こころの石油ストーブに、まず点火した。


ここは、ご夫婦で営む2階の喫茶店、いい空間だ。
石油ストーブは、さすがになかった。

席についたらメニューをすぐ見る。



歓喜のかめ山

信じられない「かめ山」発見……
頭から湯気が、どんどんでる。
歓喜の湯気だ。かめやま だ!

甘党喫茶・ 菊水きくすいさんのオリジナル
「かめ山」がお椀に盛られてやってきた。
お餅が大きい、豪華版だ!
営業スタイルの、よそ行きの、かめやま。
すこしの赤いお湯に浸かった、かめやま。
いや、ここでは、かめ山。

今どきは、さすがに汁気がないと、
煮すぎだの、汁が入ってないなど、お客様に怒られるのだろう。
こんもり小豆煮は、おはぎとも間違われるのかもしれない。
そんな時代になった。


それほど時は過ぎていた。
わたしだけが歓喜。歓喜のかめ山。


美味しすぎる……この、かめ山。
ほうじ茶で炊いているのだろうか。
サラサラで、こうばしくて。
今どきの、かめ山。
洗練された、かめ山だ。

昭和の頃、家で食べたのは、白砂糖で煮詰まった、ベタベタな甘い甘いかめやま。


仕事のかたわら、石油ストーブでコトコトしてた大鍋。


仕事場の祖母や父の顔が浮かぶ。


「あずき豆は時間が、かかるんや」


わたしも、祖母の歳になった。
この歳になって「かめやま」に会うなんて……


食べれるなんて……ありがとう。


お口直しの塩昆布が、しょっぱかった。



毎週月曜日は
「コーヒー・喫茶店」の日



いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

この記事が参加している募集

至福のスイーツ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?