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自分をごまかし続けた先には魂の死があって、そのときには絵が描けなくなってしまうんじゃなかろうかと思う。


坂口恭平さんの個展に行ってきた。すごく良かった。それに生の坂口さんと話すこともできた。かっこよかった。私がまだ髭も生えていなかった頃、理想としていた雰囲気そのままの人だった。

坂口恭平さんの作品や人柄、生き方のすごいところは私が書かなくても、他の誰かが語ってくれると思うので、私は私が感じた、極めて私的なヘンテコリンな心の内を書こうと思う。

そういえば、数年前にも坂口さんの個展に行ったことがあって、その時は鹿児島でやってて、旅行がてら車で6時間くらいかけて行ったような気がする。その頃、私は抽象画を描きはじめたばかりの頃で、坂口さんが抽象画を描いてることを知らなくて、本を書いてることと線画のドローイングを描いてることは知ってたんだけど、あるとき、ふと坂口さんのツイッターを見たら自分が描いてた抽象画と少し雰囲気の似ている絵(カラフルなアクリル絵の具を使った抽象画)がアップされてて、そこからすごく惹かれるようになった。そのときに観た展示はそれまで観てきた画家たちの展示とは違っていて、すごく自由な空気を感じた。まだ絵を描きはじめたばかりだった私はもっとちゃんと描いたほうがいいかもしれないというジレンマというか、描きたいものをそのまま描くというより、ある程度はコントロールして伝わるように描くべきなんじゃないかという葛藤を抱えていたので、坂口さんの展示を観たおかげで、変な方向に進まずに、自由に描くということを続けることができているような気がしている。

それ以降、たまに坂口さんの作品をネットで観ることはあったけれど、あまり観ていると影響を受け過ぎてしまうし、嫉妬も出てきてしまいそうだったので、しばらく観ないようにしていた。私は私で毎日描き続けて、日々、作品の雰囲気は変化していた。それから久しぶりにツイッターで坂口さんの作品を見かけたときに、不思議なくらい自分が描くものと似てきていると思った。いや、似ているというより、同じ目には見えない領域から掬い出してきていている感覚がした。

今回の個展で、一枚一枚、画用紙の絵をめくりながら観る展示があって、それをめくって観ていると、自分が描いたような気がする作品がたくさんあったし、一緒に観ていた私の奥さんが、「これ何か家で観たことあるよね?」と何度もつぶやいた。たしかに、どこにも披露されることなく廃棄を待っている絵の置き場が我が家にあって、その中に似た雰囲気の絵たくさんある。

私はまだ自分をさらけ出す勇気がなくて、それっぽい絵じゃないと披露することができないでいる。口では自由に描いているように言っているけれど、まだまだなのだ。それっぽい絵とは、誰にも嫌われることもなければ好かれることもなさそうな無難な絵とも言えるかもしれない。本当なら自分から生まれた絵はどれも作品にできるはずだと頭では思っているんだ。真に自由に創造性と繋がって描けた絵ならどれもすばらしい。でも人からどう思われるかを気にし過ぎて、その自意識が絵に不必要なコントロールを加えてしまって駄作になってしまう。

坂口さんのファッションも素敵だった。自分で編んだセーターに、自分そのものを表現するかのようなかっこいい個性的なファッションだった。私といえば、万人受けしそうだと思って選んだ細身のジーンズに、無難な黒い上着に、頭を隠すためのキャップを身に付けていた。普段から人が多い場所に行くときはそんな格好なんだけど、本音はもっと着心地の良い素材だったり形だったりワクワクするような色のものを身に付けたいという気持ちがあった。でも自分の好きを表現して嫌われるのが怖いのだ。そんな隠していた気持ちを、坂口さんの存在が、ズバッと引っ張り出してくれた。もう歳だしという言い訳もできない。坂口さんと私は同じ歳なのだ。

私には絵だけ描けていればいいという想いが全くなくて、いい絵を描くためにファッションもだし生き方も、些細な日常も、歩き方も、振る舞いも、まるごとぜんぶ自分を表現できるような自由さを持っていたいという希望がある。そうじゃないと、絵に変なコントロールが入ってしまうからだ。自分の作品は自分が描いたというよりも、ただ自分という借り物の身体を、見えない創造性のエネルギーが通り過ぎていった足跡だと思っている。そんな絵を追い求めて描いている。だから自由さが必要なのだ。

どこかに自分へのごまかしがちょっとでもあると、それがどんどん広がっていって、作品にも影響してしまう。そんな自分への警告を今回の坂口さんの展示を観て受け取ることができた。

他人に好かれたいけれど、ごまかした自分で好かれてもうれしくないというのは頭ではわかっている。でもまだまだ怖い。ごまかした自分でも一瞬でも好かれたらそれでいいんじゃないのかという気持ちも最近感じたりしている。どっちが良いとか悪いとかはないだろう。けど、ごまかし続けた先には魂の死があって、そのときには絵が描けなくなってしまうんじゃなかろうかと思う。

だから創作を続けていくのならば、素直じゃないといけない気がしている。



自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!