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思い込み、こだわりは自分では見えにくい
米澤紗智江さんの「こころの講座」、第1回講義の受講レポートです。
出来事そのものは単なる事実です。そういうことが起きた、という。
その出来事をどう受け取るかは、人によってそれぞれですよね。目の前で起こったことを、どう捉えるか、どう解釈するか、どういう意味を見出すか…いろいろな受け取り方ありますよね。
受け取り方はいろいろ…のはず…なんだけど、意外と「こうにちがいない」「こうなはず」「こうでなければ」と【確信】してるところがあるんです。そして、そこに「思い込み(こだわり)」が隠れています。
第1回講義では、感情的に反応した出来事を思い出して、そこでの感情と思考を書き出しました。こういう場面で私はこういう受け取り方をして反応したと調べました。
その反応になったのは、なんでなんでしょうね、私。一つの場面でも受け取り方はいろいろで、反応もいろいろあるはずなのに、私はなぜそう受け取ってその反応になった?
決まってここで感情的に反応するというとき、奥にネガティブな「思い込み」みたいなものを持っているわけです。ほんどの場合、それを自覚できていないんです。わかってない。なぜか。その人にとって、それが当たり前すぎて、疑いようもないから。疑いようもなく思い込んでいるから、そのことに気づけないんです。
私独特の思い込みがあるからその反応になったということですね。その反応は私にとってあまりにも当たり前すぎて、心の奥の思い込みに気づけていない。あまりにもオートマチックに心が作動していて、そこにある思い込みが自分の反応を作っているという発想がわかない。思い込みに疑いを持ちようがない。心の奥でその思い込みを確信している状態。自覚しないまま。
「私はひとの期待に応えないと
大切にしてもらえない人間だ」
これが私の思い込みだと、今は気づいているつもり。以前は、自分に鞭打ってでも周囲の期待に応えようと努力し、褒められれば喜び、そうでなければ落ち込んでいました。どちらにしても、目の前で起こる現実がそうなので(実際には、私の思い込みに基づいて、私が起こしていた現実なのですが)、自分はそういう人間だという思い込みをますます確信していました。思い込みを、体と心に刻み込んでいました。
思考と体験が一致するんですから。
そりゃあ、確信しますよね。疑えないです。
だから、思い込みは見えにくいものなんですね。
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