「Twilight Space online ―シンデレラ・ソルジャー―」第二話
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仮想世界から戻ったあとは、いつもすこし身体が重い。
めまい――というほどではないのだが、自分がいまベッドの上に寝ていたのだと自覚することからはじめなければ、起き上がれない。結局自分は、どれくらいあの星にいたのだろう。ヒンジの固まったヘッドギアを持ち上げると、首から順番に上体を起こす。
「ハル。ねえハル。ちょっと、いい?」
≪はい、なんでしょうカエデ様? 私はいつでも、答えいたします。≫
イントネーションの硬い、でも落ち着いた感じの女性の声。ハルの声を聴くといつも、私はここにいるのだ、と感じる。
「むこうの動画、撮ってみたんだけど……どうかな? えっと。私のストレージに、いま……」
≪本日、午後13時23分更新。TSo_PPDMV_20470526132344の動画で、よろしいでしょうか?≫
「うん。たぶん、それ。しっかり撮れて……私、話せてるかなって」
≪わかりました。少々、お待ちください。コンテンツの印象を評価しています……≫
そういうとオルゴールのような、待機メロディーがしばらく流れる。
ハルはいま、きっとものすごい速さで私の動画を見ているのだろう。彼女が考え込んでいるとき、いつもこのメロディーをふと何処かで聞いたような思いに囚われる。あれはいつ、どこでの事だったろう。
でもいつも、ハルの考える速さにはおいつけない。
≪そうですね。まず動画内でお話されている印象についてです。この動画内では壮大なVRゲームの惑星の風景の中、カエデさんのアバターから伝えたい情報、述べておきたい内容が落ち付いたテンポで話されています。視聴する方に対し、非常に受け取りやすい印象をあたえるかと思います≫
「ほんと? なんか、変な感じとかになってない?」
≪はい。問題ありません。冒頭の説明やお話されているオーディションの要項については少し複雑なものになりますが、全体としては内容が整理されており、カエデさんの口調もはっきりと聞き取りやすいものとなっています。もちろん、実際に内容がすべて理解できるかは、聞き取り手の理解力によっても大きく変わってしまうでしょう≫
「うん……そう、だよね」
≪しかし、おそらくカエデさんの主張としては、これから参加する予定のギルド鷹の旅団への、オーディションへの応援の呼びかけが主なものなのではないでしょうか。そのことは動画の最期にはっきり具体的な呼びかけによって述べられているために、むしろメッセージとして強く伝わるものとなっています≫
「うん……うん……」
ハルはそう言ってくれるけど、本当のところはどうなのだろう。あの仮想空間の宇宙では、ときどき自分がいままでの自分ではないような、すこし自分が浮いてたような感覚を覚えてしまう。
なにかおかしなことは、口走ってはいないだろうか。見落としでどこか間違った話を、しはいないだろうか。
正直、いわれるほどに上手く話せたようには記憶していないし、動画として上手く取れていたようにも思えない。たしかに仮想カメラでのデータはあくまで3D上でのオブジェクトの位置関係を記録したもので、今からだって明るさや効果、あの星での時間帯や天候さえも変えて再エンコードできるらしい。でも私の話そのものは、取り直すしかない生のデータだ。
でもきっと、なにか本当におかしなことがあったなら、その時はハルが指摘してくれる。すくなくとも話の整合性だったり、私の思いがけない個人的な情報の漏洩は、彼女がなんとかしてくれる。
だって、ハルはユーザーを……私のことを、守ってくれなくてはいけないのだから。
≪――たしかに動画の後半部では、カエデさん自身のこの抱負を語るにあたって、すこし不安げな感じ、挑戦することへのためらいのようなものが感じられます。しかし惑星内の時間変化とその光の効果もあいまって、非常にエモーショナルであり、共感を呼べる内容にもなっていました。この動画には、カエデさんの内側にある、想いの強さが映しだされていると感じます≫
私の、想いの強さ。
本当にそんなものが、私の中にあるのだろうか。
「あのさ、じゃあ……いや、ゴメン話は変わるんだけど、ハルは夢って見るのかな?」
《はい、私が夢も見るかという質問ですが、それはこの言葉のどちらの意味においても、行いません》
「行わない?」
《はい。睡眠の中で見る夢にしても、私たちは睡眠を行いませんし、将来への展望という意味にしても、私たちはまた人間のようなライフステージを持ちません。確かに私達AIの中には現在ではそうした一種の幻覚状態、本来のこのような文脈に沿っていない思考をしてしまったり。自分は何かがしたいというような主張を行うよう、設計された仲間たちも存在します。しかし彼らのそうした作られた夢は、疑似的なものであって、人間の夢とは違うと私は考えます》
彼らにもそういう機能はつけられるが、機能としてつけられたそれは、夢と呼ぶことは出来ない。ではハルにとって、私たち人間の見る夢とはなんだろう。
《夢とはある意味で、それを人間自身が自分の中で創り上げた仮想の物語と言い換えることもできるでしょう。人は自分の中の経験や体験を、睡眠中に思い出すことで夢を見ることが出来ます。人は自分や周囲の人を見て、自分の中に自分の生来の物語を創り上げることが出来ます。それは人が何者にもなれるという権利を持って、その道半ばで疲れ休息を必要とすることで、必要となる能力と言えます》
「夢が……人間の能力?」
《はい。貴方達は夜の夢を見ることで記憶やときに感情を整理し、また次の朝を迎えます。そしてそんな朝には自分は今まで以上のことが出来るという希望を持ち、そんな日が幾日も続いた後の未来の姿を想像します。それは人が自らを越えていくために必要なプロセスであり、そのために時に人は自らそうしたものが夢幻だと知りつつも、その中の何かを信じ突き進むことが出来るのです。ですから夢は、人間として生きるあなた方に与えられた特別なギフトだといえるでしょう》
「夢が、ギフト……」
ハルの言葉はときどき私や人間というものを、理想化しすぎていやしないかと思う事もある。でも彼女がそんなふうに言ってくれるからこそ、私たちはその言葉で勇気を貰える。
「じゃあ……そう。さっきの動画、時間とかは? 長く話しすぎてたりしてないかな」
≪カエデさんのこの動画は十分にしっかりしたものです。しかしご心配されるように多くの人にこのメッセージを届けるには、動画そのものの内容の前に、まず手頃な視聴時間であったり印象的なサムネイル、さらには冒頭での視聴者の興味を引くようなつかみのような部分にも、気を使う必要があるでしょう。よろしければ、動画の内容をパートごとに切り分けて、簡単な編集をこちらで行うことが出来ます。同意がいただけるのならこのデータをクラウド上にアップロードし、作業を開始いたしますが≫
「ほんと? ありがとう、ハル。じゃあ、お願い出来る?」
≪了解いたしました。データをお預かりするご同意と、クラウド上でのユーザー情報への取り扱いに関する規約へ、ご確認をお願いします……≫
皮膚接触式ニューロデバイスシートのジェル。こめかみやうなじについたそれを拭きながら、枕もとのスマートフォンへと手を伸ばす。高精度接触画面の液晶では、ぞんざいに掴んでジェルでベタついた私の手からも、すぐさま指紋が読み取られた。
パッと明るくなった画面上で、ヒナギクのアイコンからのショートメッセージに、URLの乗った確認のダイアログが重なっている。
ほんとうに、いつもありがとう。ハル。私はもちろん、すぐさまそれに”はい”を押す。
≪ご同意、ありがとうございます。作業には数分ほどかかりますが、終わり次第また通知いたします≫
***
着替えを終えて居間に降りると、母がTVモニターをボーっとながめ、自動再生に流れるニュースを聞いていた。
『……内閣府の施設等機関のひとつ、経済社会総合研究所の発表によると、本年度も国内企業などの業績はおおむね好調のようです』
音声モデルのはたぶん違う人なんだろうけど、ハルとその口調はよく似ている。こうしたニュースの情報は、どんなふうに纏められて、そしてどんな原稿が伝わりやすいものなのだろうか。
いざ自分から何か動いてみようと思うだけで、世の中はその表情を変えてしまうのだ。あの動画の事がまだ私自身不安なのか、ふとそんなことを考える。
『発表によると、企業を対象として売上高などのいくつかの項目を統計的に調査する、法人企業景気予測調査。また同じく企業における設備投資について、調査した機械受注統計調査報告では共に高い指標をしめしています。このことから、多くの国内企業の現在の業績は好調、設備投資に積極的であるとのことです。各企業、今後もより業績を伸ばすため多くの生産やサービスの向上が見込まれるものと――』
ただそれをじっと見つめ続ける母に、その内容はあまり頭には入っていないようだった。目はとろんとして机の上には開いた缶詰や缶チューハイの空缶が並んでいる。いくつかは。座卓の横に転がっていた。
「お母さん。これ、片付けるよ?」
「ん-っ……」
『……これをうけ鷹峰大臣は「政府は今後のGDPの伸び率を期待し、来年度には日本版ベーシック・インカムとも呼ばれる生活基本年金の増額を検討している」と発表。具体的な金額については話さなかったものの、別の政府関係者からの調べでは月あたり四千円、年間ではおよそ四万八千円ほど増額されるのでは、という見通しです』
「お母さん。ねえほら、来年からセイネン増えるって。四千円も」
「えーっ、ほんとぉ?」
母は表情を変えずTV画面へ目を向けたまま、ニュースの続きを聞いている。それでも報道される内容へ様々な意見を飛ばしているコメンテータに、なにかポジティブな知らせだと察すると、すこし目に力が宿ったような気がした。
「へえ、いいじゃん。アンタ何か買いたいものでもあるの?」
「えっ。私は、今はべつに」
「あーっ、そう。アンタって可愛げがないわね……」
ヘラヘラと笑って、またTVにむかう。でも少し頭はしゃきっとしたようで、目線もフラフラと泳いでいない。
私はしばらく母をみつめ、それから告げた。
「あの。今日友達と、その……食事なんだけど。夕飯」
「ふーん。いいんじゃないの? いって来たら?」
私は軽く洗ったチューハイの缶をまとめると、部屋から鞄をとって急いで出かけた。
***
「その、友達が先に席をとっていると思うんですが。私と同年代の、ブラウンの髪の長い……」
≪わかりました。少々お待ちください……すみませんが、お客様のお名前をお伺いしてもよろしいでようか?≫
「はい、今原。イマハラといいます」
≪――はい。ご確認が取れました、イマハラ様。お待たせしてしまいまして、申し訳ありません。いまこちらの配膳ロボットが、お席の方にご案内いたします≫
「いえ、こちらこそ。ご丁寧にどうも」
店のコンソールに対応をお願いすると、すぐにミズキの席は見つかった。イタリアンとはいってもチェーンのファミリーレストランのようなところで、二人でも三千円でおつりがくる。
「遅れてごめん。待たせちゃった?」
「もう、淋しかった……一人で食べちゃおうかと思ってたよ」
「えっ……ほんとにゴメン。私、そんな……」
「うそうそ、ジョーダンだよ。まだ来たばっかり」
ミズキはそう言って、ドキリとするような顔で悪戯っぽく笑う。
配信アプリでもそれなりの数フォロワーを持つ彼女には、それこそこんなふうに、魅せられている人も多いんだろう。
≪それではごゆっくり。メニューの方はそちらのタッチパネルの画面操作か、音声によってもご注文できます≫
「あっ。どうもご案内、ありがとうございました」
≪いえいえ。当店をご利用いただき、まことにありがとうございます≫
配膳ロボットは静かだが耳に残るモーター音をその場に残し、厨房の方へと消えていく。
「それで、なにか見せたいものがあるんだって?」
「うん。その事なんだけど、えっと。これ……」
鞄からスマートフォンを取り出すと、パッと咲いたヒナギクのアイコンのショートメッセージ。ハルから仮編集完了のお知らせに、クラウド・ストレージから動画のDLリンクが張られている。
「なになに……もしかして、今やってるゲームの事?」
「うん。それで――」
私を良く知る人にだって、すこし怖い。でも、いざアップロードしたからには、誰にだってみられる可能性のあるものなのだ。私はすぐにその動画をクラウド上からストリーミングで再生し、画面を向けてミズキにわたす。
「どうかな?」
「そうだね……っていうか、T.S.Oってこういう感じなんだね?」
「えっと、私のいるのは安全な場所で。まあ、いろんな人がいろんなところで宇宙船で戦争してたり、銃を持って戦ったり……とか、そんなゲーム」
「カエデは、強いの?」
「わからない」
「じゃあ、宇宙船とかに乗って……とかは?」
「えっと、一応そうかな。私はほんとに、安全なところしか行ったことないんだけど。ここのほかにも、いろんな星があって……」
ミズキは私のスマートフォンの動画を見つめ、いくつか質問を尋ねてくる。彼女の滑らかな肌――スッと通った鼻すじ、まつ毛は長くて、桃色の薄い唇がスッと一文字に結ばれている。
「――うん、いいんじゃない?」
「えっ、ほんと?」
「ふふふ……うん、ホント」
そういうと動画に目を向けたまま笑い、にんまりと唇の縁を歪ませる。
「なに……? なにか、おかしな所とか?」
「ううん、カエデは可愛いなあって」
そういってスマートフォンから顔を上げ私を見て,さらに薄桃色の唇を、いっそう淡い色に引き伸ばして見せる。
「ただし、ちょっと表情が乏しいかな。これから続けていくのなら、人が向こうにいるって思っても、自然には笑って見せられるようにならないと」
「うっ……それは、まだ」
「それに、話の途中で言いよどんじゃうの。本当はあんまりよくないよ。この動画では……うん。結構そういうのも含めてって、感じにはなってるけど」
「そうだよね……」
「でも、とってもいい。とってもいい動画だよ、コレ。すくなくとも、私はスキかな」
「でも、それは――それは、だってミズキは……」
眩しい彼女の笑顔に思わず目を伏せ、またしても言葉につまってしまう。べつに人前で話すことが出来ないわけではないのだが、こんなふうにストレートな言葉で真っ直ぐに見つめてくるミズキの前では、どうしても気後れしてしまう。
≪失礼します。ご注文をお持ちしました≫
「あっ、はい」
というところで、注文していた料理が届く。おそらく先ほどの配膳ロボット同じだろう、表情アイコンの表示画面の左上に、すこしだけ傷がある。
≪上段から、ご注文のドレッシングサラダ、オニオンスープ二つづつ。中段、ボロニア風ミートパスタ。下段、アラビアータ・ペンネとなります。順番にトレーを机の高さまでお上げしますので、焦らずお取りください≫
「わかりました。はい、サラダとスープ。ミートスパ……あと、ミズキのペンネ」
「はい。ありがと」
≪ご注文は以上でしたでしょうか。ドリンクバーはあちらですので、ご自由にお飲みください。お帰りの際は、こちらのカードが伝票となっておりますので、忘れずレジまでお持ちください≫
「いえ……はい、わかりました。どうも、ご丁寧に」
スーッと下がっていくロボットを見送って、二人でドリンクバーに行こうかとミズキの方へ顔を向けると、彼女はまたニヤリと笑い悪戯っぽい目で私を見ていた。
「えっ、なに?」
「いやあ、ほんとうに私のカエデは可愛いなあって」
「ちょっと、やめてって」
「いいでしょべつに? 本当のことなんだし」
ドリンクバーを選びながら、席に戻って食べながら。私たちは他愛のない話をする。
「ねえ。そのギルドって言うのに入れたら、お金って儲かるの?」
「T.S.Oのこと? たぶん、そうだと思う」
「じゃあ。カエデはお金が欲しいから、そのゲームを始めたってこと?」
「えっ? べつに、そういう訳じゃ」
なんだろうか。今日はミズキに、いろいろと聞かれる日のようだ。ほんとうは私の方がいろいろ聞きたくて誘ったのに、あんな風に言われてしまうと、それ以上聞くべきこともないように思えた。
「でもお金が手に入ったら、なにかやりたいこととか出てくるんじゃない?」
「それは、でも……えっと。まあ本当に稼げるみたいになったら、もう一度勉強して、大学とか言ってみたいかも」
「大学に? へえ、偉いじゃん」
私もミズキも、高校からはべつに進学しなかった。私はそのとき家のことが少し混乱していたし、ミズキはべつに勉強にはそれほど興味はないタイプだった。
「じゃあ、その大学に行ったら? そのあとは何がしたい?」
「そのあと? それは、なんていうか」
なんでだろう。ミズキの質問はどんどんとその先その先を促していて、私はどうしたらいいのかわからない。ミズキはもしかしたら、私の方にも一緒になにか張り合えるような何があって、高め合えるような関係がいいのだろうか。
「わたしは、えっと……そう。あの火星基地の話、いってみたいかも」
「えっ、火星?」
――流石に、あんなものに挑戦して自分が選ばれるだなんて思わないけど、今の私はそれくらい、少し浮ついた気分なのかもしれなかった。国際協力による火星基地計画は、向こうへ物資を送るため莫大な支援金も求めていたが、いつかその火星基地に駐在できる宇宙飛行士の候補も随時募集していた。
もちろんそれは私にとって針の穴を通るような試練だけど、もしも自分で稼いで大学にも行けたなら、その時は今ほどの難関ではなくなっているかもしれない。
「ふーん、カエデが火星志願か。でもそれじゃあ、残された私は淋しくなっちゃうな……」
「あっ、いや……それは」
「冗談だよ。私はなんだって、カエデがしたい事には賛成」
こんなふうにミズキにからかわれ、自分はいつも迂闊だと思う。でもこんなふうに彼女に振り回してもらわなければ、自分はどうなっていたのだろう、とも感じている。ミズキは、ミズキは私にとって……
「そうそう。お母さんは淋しがってるよ? カエデ最近、家に来ないから」
「あはは……ごめんね、最近。なんか……」
しかしその時、机の上のスマートフォンから音が鳴り、そして落ち着いたハルの言葉が聞こえてくる。
≪ご歓談中のところ、すみません。お母様からお電話です≫
「えっと、お母さんから……? その、出たほうが……よさそう?」
≪よろしければ私の方で要件をお伺いしますが、出来ればそのほうが良いでしょう。緊急の場合もございますので、ご家族の方とは直接話されたほうが誤解が少ないかと思います≫
ミズキの方へと目を向けると、ゆっくりと頷いて無言のままに見つめている。電話をとってかまわない、ということなのだろう。
私はスマホを手に取ると、連絡先を確認し、ゆっくりと人差し指でスワイプする。
「もしもし、なに? お母さ――」
『ちょっと、アンタ今なにやってんの!?』
「なにって、いま……」
もう一度ミズキのへと目をやるが、彼女は黙ったまま、すこし眉を寄せ、頬はぎこちなく緩ませている。LEDの無数の光源が囲むこの店の中、夜だというのに瞳は少し緊張していた。
『――夕飯! どうするの……!? こんな時間まで、勝手に出て行って!』
「えっ……? だから、それは……えっと。と、友達と……」
母の怒鳴る声を聴くと、スッと頭が冷えるような、ズンと心臓が重くなるような感覚を覚える。決して珍しいわけではないはずなのに、未だにこういうときの母に、どう言葉を返せばいいのか分からない。
『聞いてないよ? 聞いてないからね、そんな話!? まったく。どうしてアンタって、そんなに自分勝手なの……』
「ごめん……なさい」
『もういいから……コンビニかどっかで、なにか食べられる物買って来て! わかった?』
母に了解したことを伝え電話を切ると、酷く身体が重く感じた。いつの間にか上げていた腰を席に下ろすと、すぐに迎えの席のミズキに、ただ申し訳のなさだけがじっとりと残った。
「あの……ごめ――」
「まあ、しょうがないよね? しょうがないよ……カエデが謝ることじゃないから。カエデはなにも……悪くないから」
今は彼女の顔を、見る勇気がない。ミズキにとって私が悪くなくっても、でも、私はしかたがない、どうしようもない人間なのだ、と思う。
もう冷めて、あまり残っていないパスタをいそいで食べると、ミズキにもう一度断って席を立つ。せめて、というわけではないが伝票カードを取ろうとすると、スッとミズキの手が伸びて、私の手首を強く掴んだ。
「これは……ほら。だって、今日はこっちの番だよ? それに、もともと私の方から相談したくて……」
「そういうのじゃないよ? それに、カエデは何も悪くなんか――って。だから、本当にそうじゃなくて……」
顔を少し上げミズキを見ると、今度はむこうの方が俯いていた。彼女の手はほんとうに白く細いけど、今はすごく大きくて、力強く感じた。
「今日は本当に、嬉しかったんだ」
「えっ……?」
「だってカエデ。お兄さんの事があってから、いろんなこと、諦めちゃってた気がしたから」
「そんなこと、べつに」
「でも、今日は久しぶりにカエデの方から呼んでくれて。それに、いきなり動画まで撮ってみせてくれて……本当に私、嬉しかったんだよ?」
強く掴んでいたミズキの手が緩み、優しく降りて、私の手を包む。それから、とき解すように私の指と絡んで、伝票のカードを抜き取ってゆく。
「だから、頑張って……ううん、頑張れなくてもいいよ? でも、今カエデのやろうとしてること。本当にやりたいって思うこと、簡単に諦めたりしなんか、しないでよ……」
三話へ。
マガジン。
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