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「Twilight Space online ―シンデレラ・ソルジャー―」第十三話

  • 11207文字

 先ほどまで私たちにタイラーと名乗っていた面接官。このギルドのリーダー、ハングドマンは私たちのそのその様々な反応を読み取ると、好意的な意味での驚きだと取ったのか、さらに満足したようにこう続けた。

「さて、君たちは。オーストラリアとアメリカの国旗について、どう思う?」

 オーストラリア、そしてアメリカの国旗?
 先ほどからわからない事ばかりだが、その質問もまた意味の分からないものだった。

 同じく面接を受けるロイさんやユベールさんの表情を盗み見るも、さき程と同様固まったままで、彼らも混乱しているようだった。

「どうした? 何かわからないことがれば、質問してくれたまえ。君たちの思うままに、素直に話してくれていいんだぞ?」

 同じくマイクさんやミニエットさんへ視線を向けるが、彼らの方ではただ黙って、このハングドマンという人物の行動を咎めない。だとすると、これもこの面接の一環……なのだろうか?

「それは……その、つまりあの星条旗と、オーストラリアの……たしか、南十字星の描かれた国旗。その国旗について、ですか?」

「そうだ。その国旗について、君たちの意見を聞いているんだ……さあ、もっと他に聞きたいことは? 話す順番なんかいい、とにかく自分のもっと思うことを話してみなさい」

 この人はいったい、何を尋ねたいのだろう。というか、そもそもなぜ突然海外の国旗の話なんてするのだろう。

 ただもしも、これがあらかじめ想定されていた質問で、このことによって私たちを彼らが試そうとしているのなら、ここで何も言えないことはまずいだろう。

 私たちはまだ面接の最中で、彼らに試されている立場なのだ。

「えっと、ですから……そう。このアメリカとオーストラリアの国旗には、どちらも星が書かれていますよね。それはたしかアメリカの星は属する州を表すもので、オーストラリアの国旗のものは彼らが南半球の国であることを象徴する、たしか南十字星が……」

「いや。南十字星ともうひとつ、彼らにもオーストラリア連邦に属する州や地域をその星の角の数で表すコモンウェルス・スターというものがある」

「え……では、つまり両者の国旗には、星に象徴される、その国の地域団結の表現がある……ということでしょうか?」

 なんとか、頭を捻ってそれらしい答えをひねり出す。
 これでいいのか、とは思うものの、こうしてでも何か糸口をつかまない事には彼の質問には答えられない、だろうとも思う。

「いいや。それでは答えとして面白くはないな。ほら、では逆にお互いの国旗の中で、星が書かれている以外の部分はどうだ? 二つの国旗では何がどう違っている?」

 アメリカの星条旗では、星の描いてある左上の部分以外、単に赤と白の縞が書かれている。たしか、当初はその縞の数も星と同様、アメリカの最初の独立州の数を表わしていた、と聞いたことがある。現代でもアメリカ人の愛国の象徴、国家的なアイデンティティを象徴する星条旗は、記号的に見れば彼らの独立を象徴したものだと言える。

 対して、オーストリアの国旗における先ほどの星が書いてある以外の部分。星条旗とは対称的に、そこは左上の一部以外の全てである。そしてその左上の一部分は、ユニオンジャック。つまりイギリスの国旗が描かれている。

「……ようするに、合衆国は完全な意味での独立国家で、オーストラリアはコモンウェルスの一部だと言いたいんだろう? どちらの国旗も英領時代からの改変だが、一方は自らの象徴的なアイデンティティを、もう一方では他国との関係や地理的な関係性を、その国旗に表している」

 ユベールさんの回答は、たぶんこの質問に対し最も的確なものだろう。

 私自身、頭の中ではかなり解りかけていたはずなのに、すんでのところで彼に答えを奪われてしまった。あと一歩、本当にあと少し言葉を上手くまとめられていれば。しかし結果として、この面接で彼には大きくリードされている、と思う。

「――いい答えだ。だが、そこまで解っているのなら、私が本当に質問したい部分が、そんなところではないと気づくだろう? さあ、次は君たちの考えを聞かせてくれ。なぜ今現在、その両者の国にはどうしてそんな違いがあると思う?」

「なぜ、違いがあるか……ですか?」

 イギリスから独立したアメリカと、自治権は持ちながら今も彼らとの勢力の中に属するオーストラリア。

 アメリカもオーストラリアも、どちらも過去からすれば新大陸と呼ばれるような土地だった。航海技術の発達によって、どちらの大陸もヨーロッパ人が入植したが、その土地には全く異なる文化を持った先住の人たちが暮らしていた。

 両者ともに資源が豊富で現代では経済的にも安定した先進国だが、一方は先ほどのようにイギリスから独立し、近代の歴史に大きくかかわる覇権国家。そして一方は、コモンウェルス。日本語ではイギリス連邦と呼ばれる、名目上は英国王に統治される地域の一つ。

 たしかに両者は非常に似た状況を持ち、しかし大きく違った面を持つ国々だ。

「えっ……えっと。たしかアメリカではゴールドラッシュがあって、かなり……その」

「オーストラリアでも確かあったはずだ。どちらもアメリカ独立よりも後の19世紀のもので、両者をそれほど分ける要因にはならんだろう」

 横からユベールさんの指摘が入り、否定されてしまった。
 私自身、それほど世界史には詳しい方ではない。正直なことを言えば、もうそれ以上の材料が自分にはない。

「そう……ですか。すみません」

「いや、いいぞ? 別に君たちの知識を問おう、というつもりじゃない。私に聞いてもらっても構わんし、議論してもらっても構わん。さあ、それよりも、君たちはどう考えているかを聞かせてみてくれ?」

 タイラーさんと言うべきか、ハングドマンと言うべきか。
 彼は非常にご機嫌な様子で、私たちになにかを期待している。それは私たちの単に考えなのか、さらにその奥の何かを、彼は覗こうとしているのか。

 彼が「シカゴにピアノの調律師が何人いるか」のような、いわゆるフェルミ推定のような事をさせたいというのはよくわかる。むかしの企業では、そうした不確定な情報からとにかく何か仮説を立てて、データを扱い検証できるような能力が重宝されて、そうした試験をさせられたらしい。

 ただ本当に、今の私にはこの質問に対する何の取っ掛かりも見いだせない。そもそも数的に何かを推量したいわけではないこの質問に、なにをどう考えていったらいいのかわからない。

「たしか……オーストラリアは昔一種の流刑地だった、と……」

「ふむ。確かにそうした歴史がある事は確かだが……?」

「いえ、だからって……だからってべつに、オーストラリアの人がどうとか、そういうことを言いたいわけじゃないんです。そういう理由で来た瞳入れば、べつに普通の移民として訪れた人もいたでしょうし……」

 なんといえばいいのだろうか? 罪悪感、とはちがう。でも人にそんなふうに思われて、それを払拭したいと思うような。自分が誰かに悪人のように見られたくない、そんな欲求は誰にだってあるはずだ。

「――で、ですから……自分たちが、そんなレッテルを張られたくない……自分が、潔白だとみ、見られたいって感情は、誰だってあります。でしょう? だからオーストラリアの人は、そんな……独立とか、反乱とかじゃなくって、自分たちが……皆の、当時本土だったイギリスの、仲間だと……その、思われたくて……」

「つまり悪人だとみられたくないから、独立しなかった? それで、一方は自由の国になったのにか? ひとつ訂正しておくが、オーストラリアが流罪植民地になった一つの要因は、アメリカが独立して別の流刑地が必要になったからだ。つまり、アメリカもオーストラリアも流罪植民地であった過去は変わらない」

「コホン……回答の評価をするのは私だぞ、マレー君? では、君自身はどう思うのかも、ちゃんと聞かせてくれるんだろうな?」

 いちおうはハングドマンさんもかばってくれたが、私の回答への評価はなかった。

「まあ、この問題に関して言えば一番の要因は、海洋ルートの長さでしょうな」

「海洋ルートかね?」

「ええ、オーストラリア側には東南アジア・オセアニアの島国があって、そこから中国やインド方面、さらに喜望峰を通ってのヨーロッパへのルートがしっかりしていた。だからオーストラリアはイギリス帝国の影響下に常にあり、彼ら自身も独立をして、その貿易の経済圏から抜けるメリットは少なかった」

 それは確かに、説得力のある意見だった。何故私はあの国旗の質問ではあんなにもいろんなことが考えられたのに、今回ではそうした地理的要因を忘れてしまっていたのだろう。

「そしてアメリカ大陸は大西洋、太平洋に隔てられ、航海にはリスクがあった。結果としてイギリス側からの影響はアメリカの方では薄れ、むしろ彼らアメリカ人は新大陸での自らの現実的な問題を重視した。結局のところ、カリブ海で他国の船への襲撃を許可する私掠船のようなイギリス側の試みも、他国からの新大陸への影響を削ぐことには成功したが、むしろアメリカ移住者の独立精神をも養ってしまうことになった」

「では、イギリス側は彼らの独立を防ぐためには、なにをすればよかったと思う?」

「さあ……遅かれ早かれアメリカ側はイギリスからは離れたとは思います。ただ、独立戦争時のスローガンがイギリス側の一方的な課税に対する不満だったという事を考えれば、当時アメリカ側へ譲歩するような政策を行っていたら……まだ歴史は違っていたかもしれません」

 「代表なくして課税なし」世界史で習った、アメリカ独立のスローガン。
 当時イギリス領だったアメリカの地域で、彼らはイギリス本土へ議会投票権のある代議士を選出する権利を持っていなかった。しかし彼らアメリカ植民地域への税に関する法律はそのイギリス議会で決定されており、当時の人々にとってそうした課税は不当なものだと考えられた。

 現代でもこの言葉は市民の権利と義務を考えるうえで重要なキーワードで、私たち日本人の教科書にも載っている。

「なるほど。では、ロイ君。君はどうかね? 先ほどから、あまり議論には参加できていないようだが……?」

 ユベールさんの答えには満足したのか、今度はハングドマンはロイさんへ話を向ける。彼は先ほどからずっとボーッと立っていて、口を開いていなかった。

 こうした議論にはあまり興味がないのか、あるいはなにかリアルの方でトラブルでも起こっていたのだろうか。

「いえ……えっと。ほ、本当なんですか?」

 なにが、だろうか?
 彼は改めて驚いた様子で、なにかハングドマンに聞き返す。

「本当に、貴方があのハングドマン?」

「なんだ、信じていなかったのか!? そうだと言っているだろう。さあ、そんなことはいいから、答えて見なさい。まだ面接の途中なんだぞ?」

「あっ……そ、そうですね。すみません……」

 では彼がずっと黙っていたのは、単にそのことを確認したかったからなのか。ロイさんは、ハングドマンのファンなのだろうか。

「ええ……そうですね。アメリカ……あとオーストラリアの違いは、なんていうか、自分は、自然環境の違いが……大きな、要因じゃないかと」

 自然環境。しかしその地理的な要因については、ユベールさんが既に述べていたはずだった。

「ええ、オーストラリアは御存知の通り有袋類の大陸で、大昔に人が持ち込んだディンゴか、現在は絶滅したフクロオオカミくらいしか、肉食の動物はいません……いちおう、オオトカゲや水辺にはワニもいますが、彼らは長距離獲物を追うような狩りをせず、人間や家畜は彼らを避けての生活は出来ます」

「なるほど……ふむ」

「一方でアメリカ大陸はグリズリーやクーガー、狼たちような中~大型の肉食哺乳類が生息しており、バッファローのような巨大草食獣も存在しています。だから、自然とネイティブアメリカンたちは戦いや狩りの技術を学び、白人たちに長く抵抗できました。逆に比較的平和なオーストラリアのアボリジニにはブーメランのような武器はあっても弓矢はなく、銃を持った白人には敵わなかった……」

 アボリジニ。先住オーストラリア人が、弓矢を持たなかったというのは知らなかった。そういえば彼らのブーメランや盾は有名だが、ネイティブアメリカンのように弓矢のイメージは確かに無い。

「では、その事がアメリカの独立に関係があると?」

「ええ、そうです。そうじゃないですか? ネイティブアメリカンたちとアメリカの入植者たちは戦って、普通の人々も銃を持って自衛するという事が僕らにとっては当たり前です。そして、そうやって銃を持ってイギリスに抵抗したから、アメリカの独立は果たされた」

 たしかに、ロイさんの言うことも一理ある。アメリカの銃社会については様々意見はあるものの、確かに彼らの憲法にある市民が銃を持つ権利は、星条旗と並んでアメリカの重要なアイデンティティだ。

 ユベールさんの語った遠隔地域への支配権、そして今ロイさんの語る環境と武装、自衛と独立について。考えてもみればこれらの要素はこのT.S.Oの世界で勢力を広げるために不可欠な要素だ。

 その惑星の環境によって、このゲームでの戦い方は大きく変化する。そしてその基本的な戦い方・装備に対してさらにメタ対策を行って、侵略側は戦術を変化させる。やがてそうした星々の航路を巡って、どのように支配権を巡らせるかの戦略によって、このゲームの有価資源であるRMUの収入が変わるのだ。

「うん……うん。じつにいい回答だ、君たち。これだけでも、このオーディションを開催した甲斐があったというものだ!」

 彼のその君たちという中に、ほんとうは私のそれは入っていないのではないだろうか。

「そう。ときにミズ・イマハラ君は日本人だろう? ”ヴィンランド・サガ”は読んだことがあるかね? あの、幸村誠の」

「えっ……え、いえ……すみません」

 それは、日本の漫画……なの、だろうか?
 残念ながら私はあまりそうしたものに詳しくなくて、そのタイトルについては聞いたことがなかった。

「……そうなのか? 君たちはどうだ? この中に読んだことのある者は?」

「い、いえ……俺も、聞いたことはないです」

「いや…………」

 ロイさん、ユベールさんにも尋ねるが、皆知らないようだった。なんとなくそのタイトルの語感からは、北欧の物語のような感じがあるが、ファンタジーの漫画だろうか。

「そうか……いや。11世紀のヴァイキングを描いたマンガでな? 大航海時代以前に北アメリカへたどり着いていた、とされる人物を主人公にしているんだ」

「大航海以前に、北アメリカに……?」

 そんなことが、はたして本当にあったのだろうか?
 そもそもファースさんの話では、ヨーロッパからアメリカ大陸までがなかなか行けないから、現代のあまりか合衆国は独立できたらしいのに。ただしさらに過去の時代には、ネイティブアメリカンだってユーラシア側からアメリカに渡ったと言われている。昔のヴァイキングが、アイスランドやグリーンランドのような北極圏から渡るという事も、ありえない事ではないのかもしれない。

 しかし、向こう側から来る人だっていなかったはずの未知の大陸に、その人物は何を求めて舟を出したというのだろう。

「そうか……マンガはあまり興味がないか……では、そう。そう、灰かぶりの戦士……」

「お……おい、あんた」

「そう、クレイトス。GoWシリーズとかは? ギアーズじゃないぞ、ゴッド・オブ・ウォー……あれも新シリーズは北欧神話だが、そういった昔のゲームはどうだ? みんな、ゲームは好きだろう?」

 ユベールさんは、彼の話の途中一瞬何かを言おうとしていた。そのゴッド・オブ・ウォーというゲームは、彼も知っている有名なタイトルなのだろうか。

 あいにくと私は、ゲームらしいゲームはこのT.S.Oが初めてで、昔のゲームというものへも知識はない。

「すみません。私は……」

「…………まあ。昔のFPSなんかを、仲間内でサーバを立ててやることはあるが。そんなにやっているわけではない」

「あっ。俺は、親父がそういうの集めてるんで、昔のゲームはちょっとやってます……コール・オブ・デューティーとか、メタルギア・ソリッドとか」

「メタルギアかね? あれは……特に5がよかった。戦場で馬に乗る、隻眼の老人。祀られた、生ける戦神! おそらくはヴェノム・スネーク、エイハブこそが彼らをアウター・ヘブンへと導いた、兵士たちの伝説だったのだろう……」

天国の、外側アウター・ヘブン ……」

 これも私にはは分からないが、ゲームのなにか設定だろうか。
 なぜそのヴェノムという人は、なぜそんな名前の場所へ人々を導こうとしたのだろう。わざわざ天国の外へ人を導くというのは、悪魔の仕業ではないだろうか。

「ハハハ……なんだ。皆話せるじゃないか……じゃあ、映画はどうだ? 私はアレが好きだった……『怒れ、怒れ、消えゆく光に』そう……あの、インターステラーとか……」

「それに、ファイト・クラブとかも?」

「おお、そうとも! ……ああ! なんといったか。あのブラッド・ピットの演じていた……いや、とにかく。彼には憧れたよ」

 ハングドマン、ロイさん、ユベールさんも、やはりゲームやそういうメディアが好きなのだろう。でも私には彼らが何を話しているの、かわからない。先ほどまではまだ面接の範疇だったが、いつの間にか彼の趣味の話に変わっていて、私はもう何のためにここに居るのだろうか。

「こう見えて、私は結構オタクでね……こうして周りに人を集め始めたのも、はじめはこんな話を、仲間たちとしたかったからなんだ」

「……は、はあ」

 それが、このギルドの前身だという事だろうか。

「とくに昔から、私はゲームなんかでオマージュされる、北欧神話の世界が好きだった。知っているだろう? オーディンやトール、ロキと言った神々……ラグナロクの予言」

「はい。私も、少し聞いたことは……」

「そうした北欧神話を信仰していたヴァイキングたちにとって、戦場で死にオーディンの館へ招かれることが死後の利益だった。病気や老いで死んだ者は、たとえ善人でも冷たいヘルヘイムへと送られる……つまり、地獄だな。ではなぜ彼らは、そんな宗教観を持っていたと思う……?」

 これも、また面接の一環だろうか。彼らが戦いの中の死を選び、病や老いによる死を厭った理由。

「それは、彼らが……! 戦いの高揚の中にこそ、自らを見出していたからなんだ!!」

「はあ……」

 どうやら、質問ではなかったらしい。
 ハングドマンはその場でまた演説のように大きく手を広げると、先ほどよりも太く大きな声で、熱を込めて話し始める。

「北欧の短い夏にのみ畑を行える半農民であった彼らにとって、冬海へ出て行う狩りや交易のような冒険は重要な生活を支える糧であった。中でも他の集落へ赴き殺し合いや略奪を行う戦争は、リスクはあれども彼らの生活を大いに潤したのだ」

 戦争、略奪。それは現代ではとても褒められた行いではありえないが、このハングドマンに曰く、その戦場での栄誉ある死が彼らの信じる天国への道だった。

「天国とは、その信仰における人のあるべき姿を映した神話だ! 神々に祝福を受け、アイアコス、ミノス、ラダマンテュスのような賢王に認められた人々の行くエリュシオン。キリスト教の天国とは、この世で信仰を貫き博愛に身を捧げた人物がたどり着ける狭き道だが、前身となるユダヤ教のカナンとは、掟や戒律を守る由緒正しきアブラハムの子孫たちに与えられた土地だった!」

「人の、あるべき姿……?」

 天国や地獄。現代の私たちが考えるそれは、キリスト教のイメージや仏教の極楽浄土のような、ある種宗教化された道徳を解くための説話だろう。善い行いを行えば天国へ、悪い行いをすれば地獄。

 しかしそうした善悪もまた、人の歴史の中で作られた一種の宗教的な感覚なのかもしれない。

「だが、北欧の厳しい自然の中で生きる彼らにとって、明日のことはわからない……善行が報われる保証はなく、畑を耕し満足な食料が得られるかも知ることは出来なかった。満足に蓄えられず冬を迎えれば、例え家族の中でも生き残るためには争わねばならないのだ! そうした現実を生きる彼らにとって、他の民族が説く天国など何の意味があろう……?」

「北国での生活って、そんなに厳しいものなんでしょうか?」

「……そうだとも。だから彼らの神は、企みや魔術を使い人に争いを起こすオーディン。酔っては暴れ、巨人たちをその鎚でやたらと殺すトール。そしてそんな他の神々をもいたずらによって騙し、やがて巨人たちへ寝返るロキのような、人々の刹那的な欲望を現した存在だったのだ」

「刹那的な欲望が、神……」

「そして人々はそのような狂乱の神やその神話と一体となって、世の中の秩序が顛倒する戦の時を夢見ていた。夏の間、彼らは自らの集落の生活の中で、きちんと秩序を持っていた。それは彼らが独自の文字を持ち、商人として交易を行えていたことからもわかるだろう? しかしひとたび戦となれば、彼らは豹変し恐れを知らぬ戦士となった。職業軍人として戦いの狂乱に堕ちたものはベルセルクとも呼ばれたが、彼らもまた主神の加護を受けた存在であることは変わらなかった」

「ベルセルク……北欧神話の狂戦士ですよね…………?」

 気が付くと、彼の話に相槌を打っていたのは私だけだった。
 この場の他の人は、しかし彼の話を聞いていないわけではない。むしろ彼らはその言葉を深く聞いているがために、彼らは黙って聞いていた。

 ユベールさんも、ロイさんも。マイクさんも、ミニエットさんも。皆いつの間にかハングドマンの語るその北欧神話の世界に入り込んでいて、その話に深く頷いて聞き入っている。

 彼の言っていることは、倫理的には危ういとも感じる。しかし彼は、ハングドマンは、こうした物語に人を引き入れる、ある意味でのカリスマのある人物なのかもしれない……。

「わかるか? つまり彼らにとって、戦争は抑制されながらも抗いがたい誘惑の対象だった。彼らは麗しい戦乙女に選ばれることで、神のもとへと逝くことが出来たのだ。そこには一種のあこがれがあり――彼らは、夏至が近づいても太陽が高くは上らず、水平線を斜めに走る西日を見ては、つらくとも報われることの少ない農作業を常に嘆いていた。それでも、病に倒れるものか! 老いに負けてなるものか! 彼らは己を鼓舞し、そのような死を冷たいヘルの指先に抱かれるものと、忌避していた――彼らの夢見ていたことは、あくまで凍てつく冬の風が吹きつけるなか、戦いの枝を振りかざし、戦場の鍛冶師となって激しく鉄を打ち鳴らす姿だった! そしていつしか、あの黄金の館へと招かれ、終わることのない戦を毎日繰り広げる事だった!」

 それは、彼が熱を込めて話す北欧の厳しさというものは、なんとなく伝わる。冬は日照時間が少なくて、夏といえども陽は高く上らない。その代わりに北極圏には白夜という現象や、極夜という陽の上らない日が訪れるらしい。

 しかし彼らがそのような極限の状況にいたからと言って、むしろ、人と人とが助け合わなくては、生きていけないのではないのだろうか。たとえどんなにつらくても、他者を拒絶して、略奪や戦争ばかりがおこる世の中で、人は生きてはいけないはずではないか。

「世に言われるように、農業の出来ない冬の間、彼らはしかたなく戦争をして過ごしたのではない。むしろ彼らの主観では、戦争の糧が尽きる一時を畑を耕してすごし、しかしいつも! 彼らの魂は主神と、その黄金の館とともにあった! 彼らはそうして戦いと理想の中に人生の理想を見出して、そして神々でさえも命を賭す、あのラグナロクの戦いを、心の中で…………ただ、待ち望んでいたのだ……!」

 ラグナロク。神々の黄昏。
 はたして神様さえ死んでしまうような怖ろしい神話の世界で、どのように彼らヴァイキング達は生きていたというのだろうか。


 ***


『――面接のことは、こちらのホスト不足だよ。彼、タイラーは……ハングドマンはあんなふうで、まあとにかく、結果のことは別段悪く影響しない。我らのリーダーである彼が、君たちのことは気に入っていたからね』

 あの後、マイクさんの面接時間終了の指摘によって、私たちの面接は中途半端に終わってしまった。彼は面接の評価は悪くないというように言っていたが、結局のところあの時間はなんだったのかという想いが拭えない。

 どこか狐につままれたような想いの抜けないまま、そのままログアウトせずに少しこの首都を歩くことにした。どこまでも視界を覆う未来的な都市の風景は、あのオシリスからの風景よりも幻想さはないが、地に足がついた感じがあった。

 どこまでも人工的なビルの背が立っていて、その光る窓にはどこもまた他のプレイヤーや、この物語の中に役割を持ったNPCがいる。私はただ、なにも知らず彼らに羨望を抱き、ふらふらと近づいてきてしまっただけなのかもしれない。

「――やあ。これから何処かに用事でも?」

 突然後ろから声を掛けられ、振り向くと先ほど一緒に面接を受けたユベールさんが立っていた。

「ああ。いえ……すこし歩いてから、ログアウトしようと思って」

「あまり、浮かない顔をしているな。まあ、非戦闘エリアで危険はないが、見ているとすこし心配になるぞ……」

 それは……はたして、どうなのだろう。
 いまのいままで自分自身でも気づかなかったが、そう言われるとそんな気もする。

 自分自身の中の何かを、出し切れなかったと言えば、そうだろう。戦闘服に身を包み、古代の戦争や神話の最終戦争を語るあの場に居て、自分が場違いだとは感じていた。

 自分が本当は何がしたくてここに居るのか、見事に見失ってしまった気分だった。

「こんなことを率直に言ってしまうのは気が引けるが、君はあのギルドには向いていなさそうだ……素直すぎる」

「そうかも、しれません。あのハングドマンという方は、強烈でしたね……」

「一部では有名だがな。あの性格は、人を選ぶだろう」

 ただあんなふうに、自分自身の好きなもの、打ち込めるものがあるというのは、うらやましい部分かもしれなかった。彼は良くも悪くも、この宇宙に自分の居場所を持っている。

「すくなくとも。慣れないお洒落をして、会いに行くような男ではないな」

「えっ……?」

「コーディネートは悪くないが、そのブーツは合わないと思うぞ?」

 指摘され自らの足元を見ると、ミズキに選んでもらったすこしフレアの入ったパンツの裾から、底のぶ厚い野暮ったいブーツが覗いている。

 まさかと自分でも驚くが、そういえばこの世界VRではパンツも靴も履くという動作を行わない。インベントリからスロットにドロップし、その場で自由に服装を変えることが出来てしまう。

 しかも、あの時のスマホの画面でもゲームの中のホロ・ウィンドウでも、自由にアバターの姿をクローズアップも回転もできる。私はただ服や化粧のことだけに気を取られていて、ほんとうに自らの足元のことにさえ、満足に目を向けられていなかった。

「ではな、お嬢さん。アクセサリーに凝るのはいいが、今度は取られないよう気をつけろよ」

「あっ……」

 そしてその去っていく姿をふと眺め、彼が、彼こそがあの時の男なのだといまさら気付く。

 ――そう、あの男。
 宇宙コロニーでの二回戦で、あの奇妙なプレイヤー集団にいた男。去っていくユベール・マレーというプレイヤーは、私がミズキにもらったあのSMGを奪い取った、あのマスク姿の男だった。


十四話。

マガジン。

#創作大賞2023

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