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怒りについて考えていたら、黒猫に出会った。

嫌なことがあって、ついツンとしてしまった。
もう良い歳した大人なのに、こんなことで不機嫌になるのは子供っぽいかなと考えると、ちょっと落ち込む。
大人っぽい大人に、日々近づきたいものだ。

気分が落ち込んだら、まずは少し他のことをして気分転換するのが良い。
外を歩く。空を見る。
美味しいものを食べる。
ラテを買ってくる。
親しい友人と関係ない話をして笑う。

一方で、こんな時に1人きりでいると、気分転換が難しい。
さっきのことを思い出して、ぐるぐる、ぐるぐる…
ああ、さっきはどうした方が良かったんだろう…
反省モード。
だんだん、また気が滅入ってくる。


空を見上げて考える。
きっと今、私が怒っているのは、自分の心の捉え方の問題。他の人に理由を説明しても、なかなか納得してはもらえないのだろう。

最近、アンガーマネジメントに興味を持って本を読んだ。
怒りについて色々分析されていて理解が深まったが、実際マネジメントするのはかなり努力が要りそうだとわかった。

「怒りの原因を他の人に説明しても大抵理解されない」という内容の記事を、最近どこかで読んだ覚えがある。
その人の信念や常識だと思っていることから外れた物事への感情が原因のため、他の人にはよく理解できない、ということらしい。

怒りの原因をつくり出しているのは自分自身というのは、なんだかへこむ。
自分のせいで怒りが生じていると思うと、自己肯定感が下がりそうである。


1人でやることがなかったから、テラスに出て日なたぼっこすると決め込んだ。
冬空で外は寒いけれど、日向はあったかくて、まぶしくて、気持ちが良い。
まるで猫みたいだ。
そう思いながら、猫になった気持ちで、ぼんやり階下の風景を眺める。

そんなとき。
つつーっと黒いものが、視界の端を通り過ぎる。

…黒猫!
黒い姿を目で追いながら、思わず階段の反対側へ身を乗り出すと、まだいる。

みゃーん。

柱の影に隠れてしまった。
体の一部しか見えないけれど、リラックスして座って毛づくろいしている。

みゃーん。

また鳴いた。
仲間はいないようだけれど、ひとりでも鳴くんだなぁ。
だいぶ距離があるから、黒猫はたぶん私に気付いていない。

猫になったつもりが本物の猫に出会えて、ちょっと嬉しくなった。
猫に元気付けてもらった気がする。
もっと眺めていたいなと思いつつも、お昼休みから現実に戻る。


怒りによって他の人を傷つけたり、迷惑をかけたりするのはよろしくない。
けれど、嫌だと思ったことをそのままにして我慢するのも、またよろしくないと最近思うようになった。

1つの社会的な価値観だと思うが、人前で怒るのははしたない、怒りは我慢すべき、のような見えない常識を感じて育ってきた。
我慢しなくちゃいけないんだ、と思って我慢したことも何度もある。

その結果、怒るべき時に怒れなかった、きちんと主張できなかったことが、子供の頃はよくあった。
嫌なことを我慢して笑っている時、心の中では泣いていることもあった。
今思うと、これは頑張る方向性が少しずれている気がする。


怒るという態度で表現する必要がないだけ。
落ち着いた態度で、思ったことを相手に伝えれば良いのだ。
人は他人なのだから、伝えなければ伝わらない。

相手にわかりやすく伝えるのは、とてもエネルギーが要る。
怒りのエネルギーを、伝え合うエネルギーに変えることができれば…
喧嘩は、ちょっと減るかも?


無理に我慢せず伝えるようにしたら、自分の心は少しだけ軽くなった気がする。
これからもトライ&エラー!
大人しいだけじゃない、怒らずにちゃんと意見を伝えられる、“大人っぽい大人“になりたい。


Schönen Tag noch! 😄