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鎌倉移住プロジェクト完了:きっかけとなった息子の言葉

この記事は【QUMZINEアドベントカレンダー2021】の第25日目(12月25日分)にエントリーしています!

こんにちは、アンカーを飾るのはFunleash代表の志水静香です。普段はあらゆる組織の経営&人材の課題解決の支援を行っています。(note書いているのでよろしければそちらもご覧くださいね)
まもなく2021年が終わりますね。一昨年の年末に中国でコロナが発見されてから2年あまり。今年も昨年に引き続き、誰もがコロナに翻弄され、模索しつづけた一年だったように思います。私たちのライフスタイルも大きく変わりました。皆さんにとってはどんな一年でしたか?

2021年クリスマスイブの夜、私は静寂に包まれた稲村ケ崎(鎌倉市)の自宅で熱いバターコーヒーを片手にこのnoteを書いています。今年を振りかえる中で、まっさきに頭に浮かんだのは、一年近くの時間を費やした鎌倉移住プロジェクト。なんといってもこのプロジェクトに時間もお金も投資しました。

今年の正月明けに鎌倉に引越したいという想いが募って、2月~3月は不動産めぐりと家探し、4月に中古戸建ての購入、8月末に引き渡し、9月末~12月は全面リノベーション(湘南地区で有名なGITAKUさんプロデュースです)、そしてようやく先週、二子玉川から無事に新居への引越しを終えました。

リモートワークの普及によって毎日オフィスに出勤する必要がないので近郊に移住する・・昨年から今年にかけて都心から1-2時間程度の場所に移住する人が増えたといわれています。移住の理由を問われると私も表向きはそう答えています。でも実際は大きな決断をせまられるような出来事がありました。それは、中学三年生の息子の存在でした。

私の周囲にいる人ならば一度は息子を見かけたことがあるはず。それくらい、幼いころから彼をいろんなところに連れてまわしました。生後三か月でパスポートを取得し、海外はもちろん、日本国内ありとあらゆる場所へ。仕事もありましたが、行く先々でいろんな大人に出会ってほしいという願いからです。たくさんの方から愛をいただいて感謝しております。

小学校時代には明るくて社交的、常に周りに気を配り、ママが世界で一番好きと公言する子供でした(親ばかですみません)何でも自分で決めて子供とは思えないくらい自立したしっかり者。周りからはそんな評価でした。

そんな彼は中学校受験に挑み、希望する学校には入れなかったものの、都内の私立中高一貫校に進学しました。今思うと受験も自分の起業のタイミングと重なったため、親からの支援もなく自分で塾を決めて勉強していました。

その彼が中学校に入って一変したのです。GW開けたころでしょうか、突然学校を休みました。それから休みがちになり、部屋に閉じこもるようになりました。理由を聞いても一切答えず、シャットダウン(なぜ学校に行かなかったのか今でも本当の理由はわかりません。)部屋に鍵をかけてでてきませんし、私の問いかけにも全く応じません。ご飯もろくに食べず、仲の良い友達とも話さず、ひたすら部屋でうずくまっています。長いときには1-2週間この状態が続きました。学校に行くこともありましたが、また休むのです。1年生の時はそんな日々の繰り返しでした。

今はこうやって話せますが当時の私は別人になってしまった息子にとまどい、誰に相談して良いのかもわからず、一人で抱え込みました。

このままでは、学校の勉強についてゆけず退学になるのではないか、引きこもり→将来ニートになってしまうのではないか。心配と不安で食事も喉を通らず、実は眠れない日々を過ごしました。

ある時、些細な事で息子と揉めました。なぜ学校にいかず部屋にこもっているのか無理に聞き出そうとしたのだと思います。その時、彼が発した言葉は今でも鮮明に覚えています。あまりにもショックで深く落ち込みました。

「ずっと言わなかったけどさ、小学校の時にいろいろ相談したくても、いつも仕事ばかりだったよね。ほとんど家にいなくてずっと我慢してたんだよ。僕がどんな想いだったのか理解できないでしょ?
こんな出来の悪い人間をなぜ生んだの?僕なんか生まれてこなければよかったのに・・」

この時、初めて息子の前で号泣しました。

仕事の重要性を彼は理解してくれている、むしろ懸命に仕事をしている姿を見せれば彼の刺激になるはず、彼なら切り抜けられる、強い子供だから大丈夫。全部私の思い込みでした。
私が大学院に通っていたときも、仕事でシッターさんにまかせて家をあけていた時には我慢していた。笑顔で送り出してくれていたけれど、本心は寂しくてたまらなかった。幼いながらも私に心配をかけまいと奮い立たせていたのでしょう。
いつのまにか私の期待に応えたいという気持ちが弱みを見せられない子供にしてしまっていました。しかも唯一弱みを見せられる母親が気づかなかったのです。

受験で自信を失い、新しい環境に戸惑い、優秀な同級生に圧倒されて、これまで頑張ってきたけれど心の中で何かぷつんと切れてしまったのかもしれません。

巻き戻せるなら時計を巻き戻してもう一度赤ちゃんの頃からやり直したい・・仕事より、何よりも世界一大切で大切な息子にこれほど寂しい思いをさせるなんて。
私は取り返しのつかないことをしてしまった。とんでもないダメ母じゃないか。人の成長や育成に関わる仕事をする資格が私にあるのか。自分を責めつづけました。

コロナで彼と過ごす時間が増えた2年生になると息子は少しずつ学校に通いはじめ、少しずつ笑顔も見られるようになりました。

ある夏の日、鎌倉の友人を訪問する機会がありました。家にこもってばかりだったので無理に連れ出したのです。その帰り道、彼がボソッと言いました。

「ねえ、小さい時に江の島水族館に連れてきてくれたよね?あの時、すごく楽しかったよね。僕、いつか海の近くに住んでみたいだよね。できれば江ノ電のそばがいいなあ。」久しぶりに懐かしく、温かい気持ちになりました。

母と子

中学三年生に進級し、1-2年生のときの勉強の遅れをとりもどそうと、毎日深夜まで机に向かっています。
学校と自宅の往復で大量の宿題に追われ(これ本当に問題)疲れ切っている息子を見て心配になりました。

なんでもすぐに手に入る都心は便利。でも自然を身近に感じることができる場所に移った方がいいのでは?
のびのびと元気に子供時代をおくれたのは、多くの大人に囲まれて、さまざまな場所を旅していたからではないか?田舎に住み、多様な人たちと関わって生活するほうが彼にとって幸せなのではないのだろうか?息子のちょっとした一言が胸に残りました。

人生で一番、私を必要としている時期にそばにいてあげれなかった。もう一度、息子が自分らしくいられる場所で、親を必要とする子供時代の最終段階をできるだけ一緒に過ごしたい。神様がくれた最後のチャンスかもしれない。よし、彼の好きな鎌倉に移ろう。

これが私が鎌倉に移住を決断した本当の理由です。

海から歩いて5分、山に近い高台の家に住み始めて10日ほどたちました。そして昨日、息子が興奮した様子で電話してきたのです。

「ねえねえ、今日さ、七里ガ浜の夕焼けすごかったんだよ。海。とっても綺麗でさ、めちゃくちゃ感動したんだ。僕がとっ撮った写真を今から送るからみてね」

この言葉を聞いて涙がでました。こんな会話ができる日が戻ってくるとは。悩み続けた地獄の日々には考えもしませんでした。

生まれてきてくれてありがとう。どこで何をしていようが世界で一番大切な存在だよ。友達や他人と比較するのではなく、偏差値や周りの評価など社会の物差しで自分を評価するのではなく、自分らしく生きればいいんだよ。迷っても失敗しても大丈夫。ぜんぶ君の人生に必要なことだから・・私は胸の中でつぶやき、写真嬉しいな。ありがとうねと言いました。

2021年の振り返りというより、もうすぐ中学生活を終える息子の思い出話になりました。
今年一番嬉しかったギフトは息子の言葉とが彼がスマホで送ってくれた写真です。

息子と過ごす新しい鎌倉生活が楽しみです。今度は彼の言葉やサインを逃すまい。心は離さない。そう誓いました。

2022年が皆さんにとって豊かで素晴らしい年になりますように!あなたが抱えている痛みや悩みが和らぎますように!

最後に私からのクリスマスプレゼントです。(息子が撮った写真↓)

🎄🎄Happy Holidays from Inamuragasaki🎄🎄

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Photo taken by Soshi