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中島みゆきを聴きながら徒然に ネパール地震から丸5年

私は中島みゆきさんの曲を、中学生の時から聴いています。かれこれ30年以上になります。今日は、そのことについて書いてみようと思います。

大体、中島みゆきファンというのにはなかなかお会いできません。やっぱり少しニッチな存在なのでしょうね。でも、一度ご縁があり京都の大学の後輩にあたる、ある会社の社長さんとその奥さんとは中島みゆきのファン同士であることがわかり、中島みゆきの曲だけを歌うというカラオケをしたことがあります。マニアックな曲ばかりを3人で歌うという経験は、痺れるほど良かったです。(笑) またしたいなぁ。もちろんその彼も変わり者でした。

本当にみゆきさんは天才だと思います。失恋の歌ばかりではなく、愛についての歌、社会へのアンチテーゼのような歌、色々です。思春期にこれを聴きながら自由放任主義で育った私は、中島みゆきさんの世界観にも影響を受けているに違いなく、いわゆる普通の人にはなれるわけがありませんでした。

中島みゆきを聴く人は、その歌詞を味わい、そのヘビーな歌声を聞くことで、自分のことをとことん考えているのだと思います。ちょっと修行的な。静と動という状況でいうと、静。じっとしている時に聴く歌。

私も長くなってきた人生の中では、中島みゆきさんを聴く時期と聴かない時期がありました。中島みゆきさんの曲は、周期的に、集中して聴く時が巡ってくるというのが正しい言い方かもしれません。

数年のブランクがある時は、ちょっとお気楽な感じ。ものごとが上手くいっていたり楽しんでいる時。私でも彼女の歌声やメロディーが重すぎて、ちょっとゴメンナサイと思ってしまうのです。💦カラオケでは歌うのですが。そして、最近まではそんな状態でした。

しかし今このコロナの感染状況が長引き、仕事も出来ず先が見えない状況で一転しました。そしてまたCDを引っ張りだして聴きだしました。やはりしっくりときます。やはり、中島みゆきは逆境の時に聴くものかもしれません。傷口に塩を塗るような荒療治にはなりますが。

私が20代の頃、ネパールに行く決断をした時もよく聴いていましたし、ネパールで大変な時も傍に置いていました。ああ、我ながら。。でも、その深みでの沈黙があるから、最高の幸せも味わえると今なら分かります。

今世界中でこれを経験させられているのは、おそらく意味があるのだと思います。そこそこ楽しいことがいつもあり、平和で、平穏な毎日。それが永遠に続くなんてことは無いのですね。人類史では必ず起きる天変地異や戦争が自分の生きている時には起こらないなんてことはないのだと分かりました。

そして誰もがこのヘビーな状況に、立ち向かう、覚悟を決める。そういう時期がやってきました。ホントに勘弁して〜💦と思いますよね。

でも、私は何度かこのような状況を経験しているので、(人より多いかも笑)ピンチはチャンスだということも分かります。そして今、胸の痛みを抱えながら、敢えて中島みゆきを聴いています。かなり心に沁みます。でも、そういう時はその気持ちを味わうことが大事です。中途半端に逃げないことで、その反動の力が大きくなると思うのです。

今日4月25日はネパールの地震から丸5年。その時日本に帰国していて、前のブランドでの百貨店デビューの直前でした。地震のニュースを聞いて胸がつぶれそうになりました。その時も、深みに沈んで不安を味わい尽くした後、力を振り絞ったのを思い出します。

そして、実際何とかなりました。明けない夜はないと、今回も信じよう。

もし良ければ、中島みゆきを聴いてみてはいかがでしょうか。ちょっとヘビーですが(笑)。








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