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久高島での時間(下)11:30-15:00

「じゃっ、またどこかで」と握手を交わし、彼は北へ。私は西へ。

一人になって歩き出すと、なんだかすごくリラックスしている自分に気がついた。おしゃべりした彼との小さな時間も、一人の自分の今の時間もどちらも最高な気分。青空と、この少し未舗装な道と、ススキに囲まれ両脇の奥が見えない景色。人ひとりいない道を進むと、半歩前から水色や紫色を隠し持つ真っ黒な羽を広げた蝶がフワッと舞い上がる。

フボー御嶽の前で心を鎮めた後、道のように見えた未舗装の道が地図上の道ではなかったようで、ススキ道の藪の中に道に迷い込んでしまった。突然現れた広場が行き止まりだった。突然拓けた円形の場所。風が止まっている。我に返り、ごめんなさい、とすぐさまロマンスロードへ入る道へ戻った。ウチパーラという場所を目指す。再び沖縄らしい木々の木陰を歩いていると、自転車に跨がった今朝の関西のおばさんに出会った。えっ歩きですか?、、、はい!よい旅を!

遠くに見えた彼女は、自転車を降り、いくつか場所を移動しながらせっせと海の写真を撮り、また自転車に跨り、駆けていった。ものの3分ほどだった。いろんな旅がある。そして、遠くから足踏みしていた私も、そこまで歩みを進めてみた。

そこに着いたのは11時頃だった。沖縄の赤瓦屋根の東屋のようなものが見えた。

そしてその向こうには――― 


忘れていた、というかすっかり通常の旅モードでリラックスして何の期待も想像もしていなかった頃に現れたその海の色や景色に、ただ一つの「美しい」という言葉一つも出なかった。言葉を飲みこんだ。いや、言葉にしたらいけないような気持ちさえした。

うろうろしながら、いろんな角度からそこに佇んでみることをし、その景色と時間を観察した。受け止めきれないときは細部だ。誰も目に止めないような光と影や、植物をまじまじと見ている時間が大好きだ。カメラではないが焦点を合わせたり離したりする。それから、椅子に座り、芝に座り、寝転がり、空を見上げた。東屋の沖縄らしい瓦が視界に入り、風を感じた。私は大きく空気を吸い込んだ。少しずつではあるが、次第にその場所と親しくなれてきたような気がした。そして頭を起こせばいつだって、そこはあの海だ。顔を上げて海を見て、また空を見ることを確認するように何度か繰り返した。この海、ここにしかない海。これまでも、いろんな国で海を見てきたが、この「ここにしかない海」という感覚は初めてだった。なぜだろう。特にネットで見たあの景色を見たい、と来たわけでもないのに、自分にも寄り添ってくれたように思えてきたフィーリングなのかな。

ーそして、海の前でぼーっとする時間が過ぎる中で、無意識に実家のばーちゃんを想って海に祈る自分がいた。

一息ついたのでそのまま北上した。心の中は、言葉にできない時間を飲み込んだような感覚が続いた。目の前に続くのは、南からの太陽でバシッと照らされた一本道。両側にはススキ。暑いと思いながらススキを眺めたことはこれまでなかったな。沖縄の秋はこうなのか。でもよくよく探せば冷やりとした風も時折感じられた。半分ほど歩き始めるとススキがなくなり、一本道の奥の地面と空の境界線の間に真っ青な面積が、一センチ、また一センチとどんどん上昇するのが見えてくる。最北端に位置する琉球開闢の祖であるアマミキヨが上陸したと言い伝えのある、「カベール岬」。ハビャーンと呼ばれる聖地である。

ほう、ほう。聖域と聞いていて何か恐れのようなものがあったが、開放感とともにまず目に入ったのはのんびりと岩場で釣竿を操る地元の方だった。それを見て、人の日常の中の一部でもあることを体感した。なーんだ。また肩の力が抜けた。一旦そうなるとあるがままの景色が目に入ってくる。言い伝えにも思いを馳せ、海側から見たこちら側の景色を想像した。岩場に当たって跳ね返るしぶきの一滴一滴が、今この瞬間。これが神聖さということなのかな。

南の太陽を背にして海を見ていると、波になる直前の水が立ち上がる間に光が差し込む。光の入り方が独特だ。ふと足元の砂浜を見ると自分の濃い影がはっきりと見える。今この「久高島の最北端に」自分が存在しているのを再認識する。

いつも通りにぼぉーっとして人から離れていると、海を見ながらゆっくりとこちらに歩み寄ってくる見慣れた人影があった。私も手をあげた。「久しぶり(笑)どう?」『オレさー、あのあとまた砂浜ずっと北上したんだけど、上まで上がれなくて。身の危険感じるほどで。これ以上行けなくなったから、1キロくらい戻ったよー。で、今ここ来て、あっち見たら、ホント目の前だったんだよ。」と笑っていた。「その冒険、いいね!」地図なんて迷ったときに開けばいい。彼にしか見られなかった今日の景色があったのだ。『そっちはどうだった?』と聞いてくれたので、感想はほどほどにして西の海岸の情報を伝えた。でもあの気持ちはまだ中立で言葉にできなかった。彼は暑いから海に入りたいそうだが、「そんな場所はなかったと思うんだけどな。崖を降りる梯子が見えたけど「立入禁止」(ウティ浜のこと)になっていたから、探してみてー!」とゆるく肩を叩いたが、彼なら自分の目で確かめに行くだろう。「じゃ、またね」と別れた。


島では、何度か運ばれてくる観光客とすれ違った。「こんにちわー」と声をかけあう。レンタカーで移動する家族連れ、カップルや友人とのレンタサイクル旅、私を含め一人旅の方も。みんな一つの島に、この日、この時、この場所にいることが不思議な気がした。
ハビャーンで時計を見るとまだ12時すぎ。もう一度、あの場所へ行きたいと本能に従い西側の海へ向かった。空に浮かぶ雲が少しずつ増え、太陽も動き、先ほどよりも黄色の色味が増したような景色に、再び心奪われた。…あ、ここ好きだ。うまく言えないけど自分がそこに溶かされる(解かされる)気がする。

カバンの中から、前日スーパーで買った「サーターアンダギー」をおもむろに取り出し、口にする。沖縄だ。赤い瓦の東屋の下。左側には安座真港の岬が見え、右側には沖縄本島が見えている。こんなに大きく見えるのか、以前、斎場御嶽から久高島を見た時は、すごく小さな島のように見えたのに。本を少し読み、瞑想した。そしてようやく帰りのフェリーの時間を確認した。

13時ごろになると、さらに雲が広がりはじめ、ときどき陰る様になった。この光が弱まったときだった。ちょっとした畏怖の念というのか、この場所の別の姿として違う雰囲気を見たのと同時に、すごく身震いがした。もう少し、町中なんかもゆっくり歩いて町の人に出会ったり、ビーチで足をつけようかとも考えていたが、うん。また今度にしよう、とあっさり決意。また次呼ばれたときに、行かせてもらおう。全部やらない、周りきらない。


また来たいから。


14時の便を目指し、まだ通っていない道を通りながら南下した。町の中の神事を行う場所などを一本道を決めて静かに通り過ぎた。港へ続く階段を降りようとしたとき、民家エリアから二匹の猫が突然現れた。さようなら、また来てね、と見送りされたような気がした。そして、最初にお礼をした「徳仁川」さんで目を瞑り心鎮め、船に乗ったのは、出港の10分前だった。

やや混みあう船の一角にカバンを下ろして水を含み落ち着くと、なんだか自分を責めるような気持ちになった。こんなことってなかなかない。というのも、「期待しすぎたのかな、なんだか自分の心が本当にオープンじゃなかったのかな」と少し寂しい気持ちになったのだ。その船内での記憶はあまりない。やはり最初の海での感じた恥ずかしさが(今はこうして言葉にできるが、その時は出来ていなかった)、心のどこかに引っかかっていた。

しかし、本土に着き、一歩、二歩と歩みを進めたとき、――――ハッとした。頭も身体もすごく軽く、スッキリしていたのだ。いつの間にか力が抜けている。頭ばっかりフル回転していてもダメなんだな、と思った。そして一気に久高島たびへの満足度で、みるみるうちに全身が満たされた。バス停に向かう道で、心の中に音楽が流れた。。。イヤホンをそっと耳に入れ、それらを再生した。安室ちゃんの「arigatou」と「NEVER END」。シンプルな言葉での私の気持ちの代弁だった。

早く取り戻したい あの笑顔と笑い声を
だけど今はこれしか言葉が思いつかないの
ありがとう
あぁ そこにいてくれて
あぁ 強くいてくれて
-「arigatou」安室奈美恵
数えきれない優しさが支えてる
忘れられない思い出の風が吹く
-「NENER END」安室奈美恵

バス到着まで15分あったので、この楽曲を聴きながら実家に住む85歳の祖母にメールと撮れたての海の写真を送った。あの場所で海の前に座ったとき、「おばぁ」という言葉を自然に受け取った。そして自分の祖母を想った。私はおばあちゃん子。昨年末に祖父を亡くしてからは軽度だった認知症の進行も進み、葛藤の日々を送っている、うちのおばあちゃん。だけど、まだメールは打てる。素直に、思うままに文章を打ち込んだ。

「いろいろ忘れることが不安かもしれんけど、忘れても大丈夫やで。嫌なことなんて特にさっさと忘れてしまえばいいし(笑)本当に大事な思い出は絶対覚えてるもんやでの。おばちゃんもうちらもみんな!…もうちょっとで一周忌だね。また帰ります!」と。

帰りのバスに乗り込もうとしたら、既出の女性が乗っていたことは、内緒🤫(笑)


静庭水🌿


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